〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

初心

2007-10-29 | Weblog
月日がたつのは早いもので、このブログを開始してから、左の月履歴を見るとずいぶん経っているのにちょっと驚かされます。
いいかげん長くなってきてうっとおしいですが、まあ別に格好つけるわけでなく事実「心の履歴」ですから、そういう意味ではいいなと思うことにしよう。

さらに前ブログから数えれば二年半、「学んだことを伝えよう」という当初の目的を忘れ(たふりをし)、自殺マニュアルとか特攻とかミリタリーとか、なんだか回り道をしてしまっています。
(しかしなぜか「特攻」、どうしても気になるのです…)

で、ともかく卒業したいと思うのは独りよがりの自己満足、ということです。
書いていることもそうだし、ブログのスタイル自体、自分の現在のライフスタイルをそのままもろに反映してしまっています。
ご存知の方にはいうまでもありませんね…

自己満足というと悪いことのようですが、それ自体は悪いことではないのだと思います。
自分を好きになれなかったら、まず他人を好きになることはできなさそうです。
また、行動のエネルギーの大きな部分って、人にもよるでしょうが結局「自分が満足したい」ということが占めてはいないでしょうか?

いっぽう問題なのは、ようするにそれで自己完結してしまっていることだと思います。そもそも言葉の本質として、私たちは書くからには誰かに何かを伝えたいからそうするのだと思います。書くからにはやっぱりそれがメッセージであることを外したくないと、今後の課題として思います。
「つながってこそ個人」、なのでした。

またそうでなくては「学び」も意味をもちえません。
別にここで何かを「教えよう」というわけではないのですが、しかし取り入れたことをシェアしなければ、なんだか流れが滞って澱んでいきそうです。現にそうなってはいないか?

それからネットの特性として、ネット上で人とのつながりを作れるということがあります。これは決定的にやってこなかったことで、やっぱ実生活の習慣が反映してしまっているなとちょっと痛感します。こうして日々は暮れていき、年もくっていくと。

気にはなっていたのですが、たとえば「リンクを貼ってくれていながらこっちがリンクを貼らない」というのは、今更ながらマズイと思いました。これから改善イタシマス…

ライフスタイルの反映、と言いましたが、しかし名前も匿名、こちらの顔かたちも不詳、コミュニケーションでは「待った」がかけられていくらでも取り繕え、自分の現状にかかわらず理想/建前を語ることができるというこのネット上で、いったいどうしてそうする必要があったでしょう?
まあいずれ癖とか習慣というのはそういうものなのでしょうが…考えていないわけですね。

いわばリハビリというか、トレーニングとして「かのように」ふるまう、ということで、これからは意識的にあえてネット上ではやっていこうと思います。
論理療法で学びましたが、頭であれこれ考えるだけでなく、実際にビリーフに反する行動をしてみると結果が付いてくる、と。
奇異に思われたらどうぞ笑ってお許しを。

あと思うのは、個人的にもブログはいまだ一つの課題だということです。
学生時代には考えられなかったくらい、社会人になってから縁あって多くのことを学んできたのですが、しかしにもかかわらずそれが「お勉強」レベルにとどまっているのは(たんなる反省―自己非難でなく)いったいなんでなんだろうと思うのです。思うのはそれがあくまで受動的記憶にとどまっているからではないか、ということです。

つまりいいかえれば、実際に自分で「思う」ことをしていないために心底そう思うことができていないのではないか、ということです。

とくにそのことにかかわっていまさらながら思うのは、「思うだけではどうにもならない」という常識的な「思い」が、やはり強固にあるということです。いわば本来的な意味での「言葉に対する不信感」ということです。

もちろん「思い」は言葉だけではありませんが、しかし言葉で生きている人間としてそれが本質的に重要なのは間違いないことだと思います。
いままで言葉をいかに無自覚に使ってきたかと思わされます。そしてそのとおりになってしまっていると。

学んでいることとその距離、この間の大きな壁・障壁になっているものこそ、「思うだけではどうにもならない」というビリーフ・信念のような気がしてきました。あらゆる思いに付随して、いつもそういう思いが貼りついているように感じられます。
で、「結局オレには無理だよ」と。

そういうわけで、ブログに書くこともまた「思うこと」であり、それ以上に「思いを明確する」「言葉にして残す」ということでもあります。そしてそういう「思い」をシェアし共有し合うのが、やはり本当の意味でのコミュニケーションのひとつなのではないか、と。
それをちょっとしっかりやってみたいと思いました。

いささか観念論めいた雑感を書いてみましたが、しかし不肖私にとっては目下ちょっとリアルな課題なのです。はたして逆転は可能なのか?

ネットとは仮想現実といわれ、またそのようなことで「ちょっとリハビリ」とか書きましたが、しかしこれはまぎれもない現実です。
またネットの影響力はちょっと驚くべきものがあり、今後ともますますそうなるのは間違いなさそうです。

考えてみると意外なのは、映像とか音楽とかがどれほど流れようとも、ネットというのは結局テキストの世界だということです。どれほど薄っぺらく粗雑になろうとも、ここはコトバの世界。
こういう時代に生まれたのもまたエキサイティングで楽しいことなのではないかと思います。

まあそれはともかく変わっていきたいなと思います。変われる。変ろう。

(そういうわけでこれからはまたランキングタグなども貼っていこうと思います。たんなる自己満足でそれをやるのはあれですけど、これからはそれだけではない、ということで…




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