まえにもブログをやっていたが、なんだか違うような気がしてきたので新しいのを立ち上げてみた。時間がなく飾っているヒマはあまりないので、思った通り書くしかない。文章でカッコつけるのはすごく好きなのだが、それもある程度だ。
書くという行為はふつうに考えれば自己表現であり、人に読んでもらって承認してもらいたいからということが、一般には主要な動機となると思う。もちろん、自分もそういう願望が濃厚にあるのを書いていて感じる。だって、やっぱり人から認めてもらいたいし。
しかしそれだけじゃ、どこかで行き詰まってしまうだろう。どう膨らまして飾って書いても、自分は今のところこの程度の人間なのだから。それを小出しにしてひけらかすなんて、じつにつまらない。そんなもの自分だって読みたくない。
ただ、自己表現を人に認めてもらいたいという動機も、それ自体はごく自然な願望であって、否定すべきものではないだろう。もちろん、それだけで終わってしまっては、たんなる言葉の一方通行にすぎない。
さきに「この程度」といったが、それは表現されている自分が現状この程度ということで、実際大学を卒業して大人になってから学んできたことは、それまでの教育での学びをはるかに凌駕する内容だった。その学びの大きさと深さ、その心深くへの蓄積はきっと大きいものと信じる。
文章を書くということには、たんなる自己表現以上の意味があるのではないかと思う。これまで書いてきたことはまず忘れていないし、書いたあとではほとんど空で言えるようになるところをみると、書いて考えを整理するということは、思考にまとまりをつけ、学びを心に深く刻印するという、まず自分にとっての意味があるのではないかと思われた。
たとえば授業などを聴いてわかったつもりになることは、本当にわかったことではないのは当たり前だ。
聴いた言葉がハラにおさまっていて、いつでも思い出せるようになっていること、それが自分自身の言葉になり、さらに行動に表現されていること、そういう言葉による認識が実感にまで深まっていること、それをほんとうの能動的理解というのではないだろうか。
それから、言葉とは本来、まずなにより相手の誰かに何らかの意図を伝えるためのものである。たとえばアフリカのヒヒなら音声だけで感情を伝えあっていればそれでいいのだろうが、ぼくら人間は、本質的に言語でメッセージを伝え合うというコミュニケーションを行う存在だ。
それは何も人間様に進化したことで動物性を捨て去ったということではなく、そういう動物的な衝動や情動の上に言語を乗せるということであり、感情を含んで超えるメッセージを獲得した、ということだと思う。
そういう「生」をふくまないのは、言語ではなくたんなる情報単位にすぎないだろう。心に関わらない言葉なんて、味と栄養のない食事みたいなもの、もうたくさんだといいたい。
だから、こうして書くことが何らかのメッセージになるように、ぜひしたいと思う。さきの自己表現の欲求も、メッセージのための燃料と考えれば、そういう欲求をたくさんかかえながらそれを恥じてためらっている君も納得するだろう。
いろいろかっこいいことを学んできて、言葉だけならいろいろ(それも文字面だけだが)言えるような気がする。しかし現在自分が生きている世界はそんなゴマカシではやっていかれない。
たとえば職場。公営バスの営業所だからある意味楽勝なのだが、そういう環境なりの厳しさというのがやはりある。人使いは荒いし、ミスは厳しく追及される。加えて運転手さんたちは怖いオジサンたちときている。この新しい環境で、細かい約束事をしっかりこなしていく必要がある。
正直言って自分の弱腰さ、ミスの多さ、仕事上の現状の無能力さを痛感させられる場面が多いし、今後もいろいろあるに違いない。
とりわけ急な事態に対応しなければならないので、そういうときにあせってパニックにならないようにしなければならない。これはちょっと揺さぶられる気分だ。
これまで比較的優しさのある職場環境で、それなりに大変だったけれども、どれほど恵まれていたのかを感じる。
しかしこの新しい環境で、なんとしても適応的にやっていきたいと思う。やはり男としては、強く生きていきたいから。
これまでいろいろ心理学的な学びをしてきたが、そういうことがどれだけ身についているか、試されていると言えるのかもしれない。少なくとも理論と方法としては、そういう大変さを乗り越えるのは、文字通り「楽勝」であるはずだが、そのためには学びが自分の血肉となっている必要があるだろう。
そのための試行錯誤を、自己表現、学習の深化、メッセージとして、書いていければと思う。落ち込みの日もとにかく書くこと。それでばらばらの心にまとまりを付けられるはずだ。
そうしてなにをすべきかはっきりさせること。
書くという行為はふつうに考えれば自己表現であり、人に読んでもらって承認してもらいたいからということが、一般には主要な動機となると思う。もちろん、自分もそういう願望が濃厚にあるのを書いていて感じる。だって、やっぱり人から認めてもらいたいし。
しかしそれだけじゃ、どこかで行き詰まってしまうだろう。どう膨らまして飾って書いても、自分は今のところこの程度の人間なのだから。それを小出しにしてひけらかすなんて、じつにつまらない。そんなもの自分だって読みたくない。
ただ、自己表現を人に認めてもらいたいという動機も、それ自体はごく自然な願望であって、否定すべきものではないだろう。もちろん、それだけで終わってしまっては、たんなる言葉の一方通行にすぎない。
さきに「この程度」といったが、それは表現されている自分が現状この程度ということで、実際大学を卒業して大人になってから学んできたことは、それまでの教育での学びをはるかに凌駕する内容だった。その学びの大きさと深さ、その心深くへの蓄積はきっと大きいものと信じる。
文章を書くということには、たんなる自己表現以上の意味があるのではないかと思う。これまで書いてきたことはまず忘れていないし、書いたあとではほとんど空で言えるようになるところをみると、書いて考えを整理するということは、思考にまとまりをつけ、学びを心に深く刻印するという、まず自分にとっての意味があるのではないかと思われた。
たとえば授業などを聴いてわかったつもりになることは、本当にわかったことではないのは当たり前だ。
聴いた言葉がハラにおさまっていて、いつでも思い出せるようになっていること、それが自分自身の言葉になり、さらに行動に表現されていること、そういう言葉による認識が実感にまで深まっていること、それをほんとうの能動的理解というのではないだろうか。
それから、言葉とは本来、まずなにより相手の誰かに何らかの意図を伝えるためのものである。たとえばアフリカのヒヒなら音声だけで感情を伝えあっていればそれでいいのだろうが、ぼくら人間は、本質的に言語でメッセージを伝え合うというコミュニケーションを行う存在だ。
それは何も人間様に進化したことで動物性を捨て去ったということではなく、そういう動物的な衝動や情動の上に言語を乗せるということであり、感情を含んで超えるメッセージを獲得した、ということだと思う。
そういう「生」をふくまないのは、言語ではなくたんなる情報単位にすぎないだろう。心に関わらない言葉なんて、味と栄養のない食事みたいなもの、もうたくさんだといいたい。
だから、こうして書くことが何らかのメッセージになるように、ぜひしたいと思う。さきの自己表現の欲求も、メッセージのための燃料と考えれば、そういう欲求をたくさんかかえながらそれを恥じてためらっている君も納得するだろう。
いろいろかっこいいことを学んできて、言葉だけならいろいろ(それも文字面だけだが)言えるような気がする。しかし現在自分が生きている世界はそんなゴマカシではやっていかれない。
たとえば職場。公営バスの営業所だからある意味楽勝なのだが、そういう環境なりの厳しさというのがやはりある。人使いは荒いし、ミスは厳しく追及される。加えて運転手さんたちは怖いオジサンたちときている。この新しい環境で、細かい約束事をしっかりこなしていく必要がある。
正直言って自分の弱腰さ、ミスの多さ、仕事上の現状の無能力さを痛感させられる場面が多いし、今後もいろいろあるに違いない。
とりわけ急な事態に対応しなければならないので、そういうときにあせってパニックにならないようにしなければならない。これはちょっと揺さぶられる気分だ。
これまで比較的優しさのある職場環境で、それなりに大変だったけれども、どれほど恵まれていたのかを感じる。
しかしこの新しい環境で、なんとしても適応的にやっていきたいと思う。やはり男としては、強く生きていきたいから。
これまでいろいろ心理学的な学びをしてきたが、そういうことがどれだけ身についているか、試されていると言えるのかもしれない。少なくとも理論と方法としては、そういう大変さを乗り越えるのは、文字通り「楽勝」であるはずだが、そのためには学びが自分の血肉となっている必要があるだろう。
そのための試行錯誤を、自己表現、学習の深化、メッセージとして、書いていければと思う。落ち込みの日もとにかく書くこと。それでばらばらの心にまとまりを付けられるはずだ。
そうしてなにをすべきかはっきりさせること。
移動したんですね。
何だか意気込み感じられまっする。
これからも楽しみにしております。
朝早くとか夜遅くとか毎日、ご苦労様です。
私はバスで通ってるので、運転手さんの安全運転がありがたいです。
いろいろ大変だと思いますが、お互いにがんばりましょうね。
またブログ、楽しみにしてます
楽しみにしてますよ~
goo版で分からないことがあったら聞いてくださいね。
答えられるか分からないけど。。。
書くことを通して、学びや体験を深めていけたら良いですね。
お互い励みましょう。応援しています。
みなさんのブログ、楽しみに読ませていただいています。
こちらでもよろしくお願いいたします。