日本の子どもは泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して疳癪を起しているのを一度も見ていない」と書いている。イザベラ・バードも全く同意見だ。「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。…」(三二八―九頁)
家族という社会の基礎単位において、将来を担う最も弱き存在がいかに扱われていたか。子どもの養育環境とは、社会の健全度を測る最良の指標にほかなるまい。これらの証言に現れた当時の日本社会とは、基礎的なところでいかに健全であったことか。しかし日本の伝統精神の中核にあったこうした慈しみの心・和の心は、今や見る影もなく失われてしまったと見える。旧文明の精神を抹殺することで、私たちは子どもたちの笑顔にはっきりと現れていた輝きを失ったのである。
そのほか詳述しかねるが、単に「家制度」のもとで屈従させられていたという旧来の捉え方ではその実質を見誤ることになる女性の豊かな人生の位相を明らかにした章や、人の手の入った自然の繊細な美しさ・豊饒さを描き出した章など、紹介したい箇所はさらに数多い。例えば、古き日本への辛辣な批判者もまた賞賛せざるを得なかった、江戸の「庭園都市」とでも表現すべき様相はどうだろう。当時世界最大規模の人口を擁しながら、都市的な壮麗さとは別種の洗練を外国人に感じさせた、世界のどこにも似たもののない緑の江戸の姿。メディアで形成された私たちの江戸イメージがいかに貧弱なものであったかが実感される。このように描き出された驚くべき江戸時代の実像について、その実際はぜひ本書を読んで体験していただきたい。読者は異邦人と同じように、ありし日の文明に深い異文化ショックを感じることであろう。
ポイントは、江戸期の日本が、異文化からの参入者に「幸福な社会」として経験されたということである。それは、戦国の動乱ののち二百数十年にわたる幕藩体制の平和な統治が可能にしたものであり、その閉鎖系の体制下において生産と文化は独自に高度な発展・進化を遂げ、何より人々の心に「和」の精神の実現ともいうべき真率さと開放性が根付いたのであった。しかし先に見たとおり、文明特有のコードは、当該の文明内部の人々にとってあたかも空気のように意識されることはない。したがってそうした幸福な実質は記録されることなく、文献史料に依拠する歴史学・歴史研究ではこれまで全く無視されてきたのである。
本書に挙げられた異邦人の見聞記から判断するなら、旧日本文明が特に民衆の安心と幸福度という点で、近代産業文明とは別種の、しかし相当に高度な文明として彼らに体験されたことは確実である。それが前近代段階の一つの完成に到達した文明として驚嘆とともに記録されたのは、そのように記録するに足る何らかの実態があったからにほかなるまい。これまで論じ尽くされてきたように、そこに負の側面があったのは事実に違いない。しかし光と影が一体として存在するのは自然・当然である。問うべきはその度合いであろう。ここに描き出された、構成員の大多数とりわけ下層に属する人々に安心と幸福を保障していた社会とは、一つの「よき文明」と結論するに足るものであるはずだ。
このような「古きよき文明」を抹殺し、そのことすら忘れ去った果てに今の日本があることを、私たちは新たに認識する必要がある。しかしそれは日本近代の意味を問う作業の土台としてではなく、むしろ反対に日本の将来を構想するための土台としてである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます