〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)7

2017-08-04 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)


 「日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う」とスエンソン〔デンマークの海軍軍人〕は言う。「主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってはまず未知の関係といってよい」。(二二九頁)

 もちろん、観察者が一様に指摘する民主性や平等なるものは、近代的観念としての民主主義や平等とそのまま合致するものではない。しかし、近代的観念からすれば民主的でも平等でもありえないはずの身分制のうちに、まさに民主的と評せざるを得ない気風がはぐくまれ、平等としかいいようのない現実が形づくられたことの意味は深刻かつ重大である。……彼〔メーチニコフ〕が「ヨーロッパ人であるわたしがもっとも驚いたのは、日本の生活のもつきわめて民主的な体制であった。モンゴル的な東洋のこの僻地の一隅にそんなものがあろうとは予想もしていなかった」というのは、社会全体にみなぎるこうしたうちとけた親近感に心うたれたものだろう。(二三四頁)


 ここから読み取れるのは、江戸期の日本社会が、悪しき階級差別に貫徹されていたとするかつての通説と正反対の実質を持つものとして、外部の人間によって観察・体験されたという事実である。私たちが教えられてきた士農工商そして被差別民の陰惨な身分制度とはいったい何だったのか。もちろん、これらの証言は身分による区別が存在しなかったという夢物語を語っているのではない。身分・階級間の区分は形式的にはきわめて画然としていた。しかしだからこそ、その構造の中に生きる人々はことさらにそれを意識する必要がなく、ある身分に属することによって社会的役割とそれらを通じた安心と安全が保障されていた。このように本書は、従来差別と抑圧の構造としてネガティブにのみ捉えられてきた当時の身分制なるものが、実質的には「役」の階層構造として社会を秩序化する機能を果たしていたとする。しかも特筆すべきは、とくに下層の人々ほどその「役」の範囲内で事実上の自由が保障され、また階級相互間が親和的に浸透しあっていたこと、要するに外国人が「自由」「民主的」「平等」という用語でしか表現できなかったような実質を持つ社会だったということであろう。


子どもの楽園


 本書の全十四章で最も強い印象を受けるのは、彼ら外国人が当時の日本を一様に「子どもの楽園」であると記録した事実である。幕末・明治初期の日本社会とは、同時代の西洋の社会と比較しても、子どもが非常に大切にされていた、一言で言って情愛の深い社会であったようだ。このことは、私たち日本人が旧文明と断絶することで何を失ったかを、具体的に実感させるものがある。

 子どもが馬や乗り物をよけないのは、ネットー〔明治初期のお雇い外国人〕によれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。彼は言う。「日本ほど子供が、下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子供たちが結構家族全体の暴君になっている」。ブスケ〔フランスの軍人〕にも日本の「子供たちは、他のどこでより甘やかされ、おもねられている」ように見えた。モース〔米国の動物学者〕は言う。「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われている国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」いちいち引用は控えるが、彼は『日本その日その日』において、この見解を文字通り随所で「くりかえし」ている。/イザベラ・バード〔英国人旅行家〕は…次のように書いている。「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人びとを見たことがない。…」彼女の眼には、日本人の子どもへの愛はほとんど「子ども崇拝」の域に達しているように見えた。(三二五―六頁)

 カッテンディーケは長崎での安政年間の見聞から、日本人の幼児教育はルソーが『エミール』で主張するところとよく似ていると感じた。「一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭生活にもみなぎっている」親は子どもの面倒をよく見るが、自由に遊ばせ、ほとんど素裸で路上をかけ回らせる。子どもがどんなにヤンチャでも、叱ったり懲らしたりしている有様は見たことがない。その程度はほとんど「溺愛」に達していて、「彼らほど愉快で楽しそうな子供は他所では見られない」。(三二六―七頁)

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