〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

安定してればいいというものではない

2006-05-06 | Weblog
なんだか反省ばかりを書いているような気がしてきたが、実際反省すべき点がひじょうに多々あるのでしょうがない。反省力くらいはあると思いたい。
すでに同じようなことを何度も書いてきたが、学びがあまり身についていなかったかなといたく感じる。
生活が安定していたり、そこそこ現状のレベルでやって行けたり、目先忙しいことややるべきように見えることがあると、ついつい「ま、これでいいや、けっこうやってるじゃん」みたいに、切実に自分を心理的にトレーニングするという動機を見失ってしまうようだ。それでわかったような気になっているのだから、ああ恥ずかしいこと。
ウィルバーが『万物の理論』で書いていた、発達段階の第二層の思考、ぼくらが目指すべきヴィジョン・ロジックの“イエロー”の波の特徴に、「自発性」「機能性」「遂行能力」とうことが挙げられていた。知識として知っているだけ、それでいろいろ水平的に考えられるだけではまったく不十分ということだと思う。
知識を人生の現場で使っていけるようにならなければ、「知っている」ということがただの自己満足や俗物的な嫌味になって、腐って終わってしまいかねない。
たしかに時間は限られているし、能力についても分を知らないでMUST化していたらつまらないことになるだけだ。その当面の限界の中で、しかしできることはたくさんある。
はっきりと願望と目的意識を持った方がいいに違いない。そういえば人生の中長期といったが、具体的に考えてなかったな。
惰性だとわかっているつもりで惰性をやり続けるのだから、人間の(というか自分のということだけど)自我意識というのはやっかいなものだ。

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