〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

コスモロジーセラピーについて②~きみは宇宙

2020-04-24 | 二つの心理療法について
岡野守也先生のコスモロジーセラピーについて、不肖・私の視点から見えるものを私なりに語りたいと思う。
繰り返すが、その全容は先生のブログにて惜しみなく公開されているので、ぜひそちらを当たっていただきたい。

かつて切実に感じ、というか今も状況によりとても感じるのが、「自信が欲しい」ということである。
よほどの自信家でない限り、おそらく誰もがそうであると思う。

この「自信」という言葉、「常に上から目線の勝ち組」みたいなニュアンスが濃厚だが、コスモロジーセラピーによれば、その本来的な意味は「自己を信頼できる」ということにある。
自己信頼=自信なのである。

かつての若いころの筆者は、その意味で実に自信のない人間であった。当然とはいえ、いまでもその頃の事は記憶が実にあいまいである。
そして、その低迷を脱してそこそこ人生の幸せを味わえるようになったいまでも切実に、「真の自己信頼」という意味での自信をさらにぜひ身に着けたいと願っている。

たしかに、どんな場面でも「自分を信じることができる」という意味での自信があれば、まさに人生を自信をもって生きていくことができるだろう。
俗っぽく仮想的に言えば、たとえ百億の金があっても、絶対回復不能な自信喪失・うつ状態ではどうにもならない。
逆に金はわずかでも百パーセント自己信頼できている心は満ち足りていると思う。金はそのあとの話だろう。

しかしそれがどうすれば得られるのか、ということは意外にも知られていない。

別のところで少し述べたが、コスモロジーセラピーでは個人レベルの自信、集団レベルの自信、そして宇宙レベルの自信の三つのレベルでの自信が取り上げられている。

しかし一般には「どうすれば自信が得られるのか」については、もっぱら個人レベルの自信の話に終始していて、しかも別に書いている河野良和氏の方法論を除けば、どれもそのピントが外れているものばかりのように見えてしまう。
(これも筆者の狭い視点からそう見えているに過ぎないので、そうしたものが世の中にあるのであればぜひ教えてほしいと思う)

また「集団レベルの自信」というのは私たちにとってあまり意識されていないが、家族がみな信頼しあっていれば家庭は幸せであるように、組織が、そして国家が自己信頼に満ちていれば、それはポジティブなエネルギーにあふれたものになるに違いない。その構成員の多くは自分自身が自己信頼に満ちていられることだろう。

実際、過去の筆者自身の病的な自信のなさは、家族がいろいろあって危機的状況にあったときとちょうど被っていた。当時ははっきりと意識していなかったが、今でははっきりとそうであったと思い出す。家族と私はいやおうなく一体なのである。

しかしこの集団レベルの自信については、とりわけ日本の場合かつての超国家主義の妙な方向にそれてしまった歴史があるだけに、ストレートに語ることはコスモロジーセラピーでは今のところされていない。オウム事件の影響もインパクトが大きかった。
私個人にとってもこのレベルの自信はいまだ模索中の課題であり、この連載でも取り上げるのは控える。

重要なのは、私たちにとって日常さらに意識の外にある
「宇宙レベルの自信」
である。

それにしても、なぜ「宇宙」と「自信」が関係があるのか?
何かいわゆるスピリチュアルな「あっちの世界」のお話なのか?

コスモロジーセラピーについて少し学んでいただければ、そうでないことはすぐにお分かりいただけると思う。

20世紀以降の現代科学が可能にした人間観・世界観・宇宙観、包括的に言うとコスモロジーは、この宇宙がどのようなもので、私たちの命が宇宙進化史のなかでどのような達成であるのかを科学の言葉で描き出している。

そして、それを知ること自体が、最も根本的なところでの人間存在としての自己信頼=自信をいわば取り戻させてくれるものとなる。
それこそ、言葉の正しい意味での真の「自信」ということになるだろう。

コスモロジーセラピーの核は、まさに科学が描き出したこの「宇宙と私の大きな物語」、コスモス的なビッグストーリーにある。
そのことは上掲ブログで余すところなく語られているし、ここでも及ばずながらそのことを紹介していきたいと思う。

しかしそれ以前の問題として、コスモロジーセラピーで言われている最も基本的なことは、

「私は宇宙」
「君は宇宙」
「今・ここが宇宙」

という事実である。

何を甘っちょろいセリフと思われただろうか?
何かポエムを語っているのかと感じられただろうか?

しかし、これはリアリティそのものである。
科学云々以前の問題として、「私」は内面も外面も宇宙以外の何物でもなく、「あなた」は全身が宇宙そのものである。
そして地球上のこの場所・今この瞬間もまた、宇宙だというほかない。
そうではないだろうか?

コスモロジーセラピーで最初に問いかけられるのが、まさにそういう基本的な事実であり、私も最初は半信半疑であったが、気づいてみればほんとうにそのとおりである。

その宇宙がどのようなもので、なぜ今ここに私がいるのかを、コスモロジーとして語れるようになったのが、宇宙史の中にある、人類の意識進化の到達点である現在なのだ。
それによって根本的な自己信頼を獲得できるというのが、コスモロジーセラピーの画期性であると思う。

たしかに、科学の知識・情報としては「宇宙137憶念の歴史」というようなことは語られるようになったが、宇宙観・コスモロジーというセットとして体系化され、かつ私たちの価値観にまで内面化しうるものでなくては、本質的に意味がない。

ことばで自他分別し生きている私たちにとって、「宇宙」という言葉から読み取るニュアンスが何かということが重要なのだと思う。
確かに宇宙飛行士が船外活動している、映像・画像でよく見るあの真っ暗な空間を「宇宙」だというなら、私もあなたも今・ここも、宇宙とは別の何かであるかのように感じられるのが当然である。

しかしことばの定義上、宇宙とは時間・空間・物質、そして私たちを含む「すべて」のことであるはずだ。


*ハッブル宇宙望遠鏡による銀河「NGC3370」の画像

そういう意味での全体・宇宙(コスモス)がどのようなものか、それはどのような歴史を経、なぜここに私たちがいるのかが、今や理性で理解し納得できる時代になったのである。

講義の受け売りだが、現代科学を知らなかったニーチェは過去の人物であり、ゴーギャンが問うた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」もすでに過去の問いとなっているのだ。
そうしたニヒリズムはもはやあまりに古い。

しかし、こうした画期的なコスモロジーが、現在でもあまりにも知られていない。
ぜひもっと知られてほしいと思うし、個人としてもより深く内面化していきたいと思う。

ミマスの歌った「COSMOS」という歌、あの「きみは宇宙」という歌詞は、そうして聞いてみると実際感動的である。

「私は宇宙」

そうはっきり思い深い自信をもって生きていきたい。
しかし、では、具体的にどうすればよいのか?


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