きょうは一月も半ばだというのに派手な雷雨だった。職場の窓ガラスが衝撃波みたいな感じでびりびりと震える。ちょっと生ぬるいような妙な陽気だ。
それにしてもここ最近の冬はあまり寒くない。昔子供だった頃はもっと寒かったような気がするのだけど。雪が降らないし。
一方北陸では記録的な豪雪らしい。最近の気象は記録づくめになっているようだ。
「観測史上最高の~」が毎年続いている。これはちょっと、いや、かなりおかしいのではないか? そのおかしさが最近では体感レベルにまでなってしまっているようだ。
日々の天気予報というような短期情報でやっていると「ああ、平年より○○度高いのね」くらいですむけれども、これはそういう問題じゃないだろう。
こういう地球環境の問題は年を追うごとに加速度的に悪くなっているようだ。10年後、20年後はどうなってしまうのか?
一方それをみんなに知らせる責任のあるはずの報道は、そういう短期情報に終始していて、「いまそこにある危機」については見事なくらい口をつぐんでいるというように見える。
まあ、マスメディアというのは情報が売れてナンボという世界だからある意味しょうがないのだろう。
よくマスコミがいう常套句に「国民の知る権利」の保障というのがあるが、それは芸能人のスキャンダラスな不和だとか刺激的な殺人事件の真相とか、どうもそれくらいのレベルのことを知る権利ということになっているらしい。
一見もっともらしいセリフがそれ以外の意図と目的で語られるという偽善はよくある話だ。
マスコミに限らず社会事業というものは、銭勘定が最優先になるとつまらない方へつまらない方へといってしまうもののようだ。
もうかなり破滅的なところまで行ってしまっているらしい環境問題がなぜか報じられないのは、そういう事情ももちろんあると思うけれども、しかしそれだけではないような気がする。
みんなきっと怖いのだ。知るのは怖いし話すのも怖い。恐怖というのは必ずしも本人が意識しているとはかぎらないという。
そういうふうに恐怖を抑圧してないふりをし、短期情報に身をゆだねてあれがほしいこれがほしいとやって毎日をやりすごす。
でもやましいから、腕になんかバンドみたいのを巻いていい人になったふりをする。地域の森を保存するとかがんばってエコロジカルな人になった気になる。そうして、歪な貧富の格差の上に成り立っていて、それ自体が地球環境を破壊している、大量消費・大量廃棄の生活は何も変えないままだ。
そうやって当面ぼくら一代かぎりならやり過ごせるのかも知れない。いや、ひょっとしたらそれすら難しい状況なのかも知れない。そういうデータはそれこそイヤになるほどあるらしい。ちょっと怖くて見る気がしない。
そう、これは怖い。知りたくないというのは人ごとではなく自分の気持ちだ。それよりはうまいものを食えて目先楽しげなことの多いこの生活を続けた方がいい。どうせ死んだらオシマイ、あとは無いんだから、イヤなことは忘れていたい、といったところだ。
…やっぱりそれじゃまずいだろう。そんなのはいやだぞ。
とにかくぼくらがやっている社会生活というのは、基本の価値観からしてどこかがおかしいのだ。
自分たち自身の生存の基盤を取り崩すような社会活動を、おかしいといわずして何というのだろうか?
それにしてもここ最近の冬はあまり寒くない。昔子供だった頃はもっと寒かったような気がするのだけど。雪が降らないし。
一方北陸では記録的な豪雪らしい。最近の気象は記録づくめになっているようだ。
「観測史上最高の~」が毎年続いている。これはちょっと、いや、かなりおかしいのではないか? そのおかしさが最近では体感レベルにまでなってしまっているようだ。
日々の天気予報というような短期情報でやっていると「ああ、平年より○○度高いのね」くらいですむけれども、これはそういう問題じゃないだろう。
こういう地球環境の問題は年を追うごとに加速度的に悪くなっているようだ。10年後、20年後はどうなってしまうのか?
一方それをみんなに知らせる責任のあるはずの報道は、そういう短期情報に終始していて、「いまそこにある危機」については見事なくらい口をつぐんでいるというように見える。
まあ、マスメディアというのは情報が売れてナンボという世界だからある意味しょうがないのだろう。
よくマスコミがいう常套句に「国民の知る権利」の保障というのがあるが、それは芸能人のスキャンダラスな不和だとか刺激的な殺人事件の真相とか、どうもそれくらいのレベルのことを知る権利ということになっているらしい。
一見もっともらしいセリフがそれ以外の意図と目的で語られるという偽善はよくある話だ。
マスコミに限らず社会事業というものは、銭勘定が最優先になるとつまらない方へつまらない方へといってしまうもののようだ。
もうかなり破滅的なところまで行ってしまっているらしい環境問題がなぜか報じられないのは、そういう事情ももちろんあると思うけれども、しかしそれだけではないような気がする。
みんなきっと怖いのだ。知るのは怖いし話すのも怖い。恐怖というのは必ずしも本人が意識しているとはかぎらないという。
そういうふうに恐怖を抑圧してないふりをし、短期情報に身をゆだねてあれがほしいこれがほしいとやって毎日をやりすごす。
でもやましいから、腕になんかバンドみたいのを巻いていい人になったふりをする。地域の森を保存するとかがんばってエコロジカルな人になった気になる。そうして、歪な貧富の格差の上に成り立っていて、それ自体が地球環境を破壊している、大量消費・大量廃棄の生活は何も変えないままだ。
そうやって当面ぼくら一代かぎりならやり過ごせるのかも知れない。いや、ひょっとしたらそれすら難しい状況なのかも知れない。そういうデータはそれこそイヤになるほどあるらしい。ちょっと怖くて見る気がしない。
そう、これは怖い。知りたくないというのは人ごとではなく自分の気持ちだ。それよりはうまいものを食えて目先楽しげなことの多いこの生活を続けた方がいい。どうせ死んだらオシマイ、あとは無いんだから、イヤなことは忘れていたい、といったところだ。
…やっぱりそれじゃまずいだろう。そんなのはいやだぞ。
とにかくぼくらがやっている社会生活というのは、基本の価値観からしてどこかがおかしいのだ。
自分たち自身の生存の基盤を取り崩すような社会活動を、おかしいといわずして何というのだろうか?
もっとすごいのは長野県と新潟県の県境のところですよね。
雪が溶けないし、買い物もいけないから大変らしい。
メディアは目の前の事しかニュースにしてなくて、環境破壊にしても気づくのが遅いんだよね。結局CMで「環境を大事にしましょう」って遠まわしに言って終わりなんですよね。
私たちも気をつけるところがあるだろうけれども、みんなしてるから、ってダラダラになっちゃうからダメなんですよね……。
気をつけます(´・ω・`)ショボーン
どうもいつもありがとうございます。北陸の雪はスゴイということですが、ご無事でしたか?こちら神奈川はきょうもみょうになま暖かい感じです。ちょっとキモチワルイ…。仕事的にはバスのチェーンを巻かないですむのでラッキーといったところですが、しかしこれはそういう問題ではありませんね。ほんとうにメディアというのは目先のことしかニュースにしていないって思います。その「環境を大事に」とか「地球に優しく」とかというようなよくあるキャッチも、ヒジョーにアリバイくさい。…といいながら、いまコンビニで地球環境にまったく優しくない過剰包装の食品と食玩をかったのは自分です。気をつけたいなと…