〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

8月12日のこと

2009-08-12 | Weblog
ひさしぶりに書くにも関わらず唐突ですが、日付が変わってきょうは8月12日。
この日はもう二十数年前になりますが日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落した日です。
おそらく今日の新聞、テレビ等ではまたこのことについての報道があると思います。
私は小学生のときこのニュースに接して、子供のころ一番の大ニュースだったという感じで強烈な印象で覚えています。

ところで不思議なことにというか、この事故は一般にあまり認識されていないようですが大きな謎があります。
それは当時の運輸省・航空事故調査委員会(事故調)が原因と断定し、以降の報道もほとんどそれを追認している国の公式見解が、じつはかなり決定的に疑わしいという事実です。

その公式見解とは大雑把に、
 ①しりもち事故後のボーイング社の後部圧力隔壁修理ミス
 ②修理ミスから金属疲労が蓄積・拡大
 ③123便のフライトで隔壁が客室の与圧に耐えきれず破断
 ④客室の急減圧により爆発的に突出した空気が垂直尾翼と全油圧系統を破壊
といった流れですが、この説はきわめて問題があるといわれています。

それがために自衛隊機が撃墜したとかの妄想がかった陰謀説に至るまでいろいろな憶測をよんでいるのですが、そのことはおいておいて、それ以前にもっとはっきりとした、素人目にもわかる基本的な問題があるのは明白です。

それは、④の客室に急減圧はあきらかに発生していない、という一点に尽きます。

したがって隔壁破壊→急減圧→垂直尾翼と油圧系統の破壊、という事故調-国の見解は根底から覆ってしまうことになります。

事故機にトラブルが発生した高度7000m以上では、機体に穴があいて急減圧が発生すると、風速200mにも及ぶ大音響を伴うすさまじい突風が発生し、客室内の拘束されていないあらゆるものが飛んで穴から機外に吸い出され、機内の温度は数秒でマイナス40度C以下になり、人はわずかの時間に意識を失ってしまうのだそうです。
ともかくすさまじい状況であることがわかります。

このことは同種の幾多の航空事故の事例で証明されていますし、それ以前に航空科学の基本中の基本といった事実であるとのことです。
そのようなきわめて危険な事態であるため、急減圧が発生するとパイロットはなにをおいても真っ先に安全な高度に緊急降下するよう徹底的に訓練されているとのこと。

しかし123便に急減圧が発生した兆候を見出すことはできません。
これは専門家の指摘以前の問題だと思います。

第一に、生存者の方々が誰も上記のような状況を証言していないことから明らかです。
また高度7000m以上の危険な高度を事故機は18分間以上飛行したのですから、生存者の方全員が意識を失っていたほうが自然です。

第二に、亡くなった方の遺書にそういう記述が全く見られないことも、急減圧が発生していないことを裏付けています。
そもそも急減圧の過酷な状況下では遺書など書くことができなかったでしょう。

第三に、決定的なのは、ボイスレコーダーに残された事故機パイロットの苦闘の記録に、急減圧の兆候がまったく見られないことです。
いかに異常発生直後に操縦不能に陥った機体の操作に追われていたとはいえ、すさまじい急減圧の状況に、ましてプロのパイロットが気付かないことはあり得ないと思います。
というより、気づく気づかない以前の問題としてまったく認識されていません。

そのことは事故直後から公開されていた文字化された記録でも明白だったのですが、事故後15年経って一般にリークされたボイスレコーダーの衝撃的な音声では一層はっきりします。
相模湾上空で発生した、隔壁-尾翼破壊の音とされる異常音の直後には、急減圧発生を思わせるものは一切なく、異常発生個所の確認や地上との交信、油圧の抜けた気体のコントロールに追われています。

以上の素人目にも明らかな事実から、事故調‐国が公式見解としている隔壁破壊説は根底から破たんしているといっていいと思います。
ともかく、事故原因がほかにあったことは間違いないと思われます。

さらに、事故後わずかの時間で米軍が事故現場を特定し救出活動を開始しようとしたにもかかわらずなぜかストップがかかり、さらに当初からかなりはっきりしていた墜落地点がなぜか二転三転し、救出隊が現場に到着したのは翌朝もかなりたってからになってしまったという不可解な事実があります。

また今年もこの事故については慰霊の話というかたちで報道されることと思います。
報道という点では、この事故はほとんど核心に触れられないまま放置されてきたと言って過言ではないでしょう。

またこれまでこの事故をあつかった映画やテレビドラマや書籍、そればかりかノンフィクションもまた、感動の美談や、センセーショナルな墜落遺体の話に終始してきた観があります。
とくに地元の新聞記者を題材にした人気映画や、事故を起こした日航の会社体質をえぐったノンフィクションなどが話題になった記憶がありますが、このあまりに明白な事故原因にかかわる根本的な事実にはほとんど触れられていません。
この航空史上空前の大事故で、この点に触れないでものを書くとは、いったい何をどうしようというのでしょうか?

ともかく思うのは、政府の公式見解と、それに乗っかったマスコミ報道というのは、ときとしてほとんど当てにならない、どころか否定しようのない事実すら隠ぺいしている場合がある、という気持ちの悪い事実がある、それはいまも続いている、ということです。

コメントを投稿