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世界価値観調査(WVS)について⑦~神を信じるか(その2)

2020-05-09 | 世界価値観調査(WVS)等について
(承前)
 これによれば日本は下位から3番目、「はい」と答えた人は4割(40.8%)となっている。「神を信じている」人が、世界の中でも非常に少ないことが確認できる。



 それでも日本人の4割程度の人が「神を信じているか」と問われて「はい」と答えているのは意外な思いがする。しかし推測するに、「はい」と答えたうちの多くの人が「強いて言うなら信じてる…か?」「とりあえず『はい』かな」という程度のあいまいな心情ではないか。
 そのことを別のISSP(International Social Survey Program)という同時期の別の国際調査が裏付けているので、別の機会に紹介したい。

 全体を見ると、「はい」と答えた人の割合が9割を超える対象国・地域は世界の半数以上に上る。回答総数で見ても世界では「はい」が8割以上(83.3%)に上っている。

 ここでもいわゆる「発展途上国」が上位から中位までを占めており、社会の近代化とともに伝統的コスモロジーが崩壊していく様子をはっきりと示している。

 本題の日本に入る前に、まずこの中で注目されるのは、米国人の回答である。「はい」が約9割(87.7%)と、いわゆる「先進国」中で異例の高さである。
 私たちの多くは米国について、「世界で最も近代化され個人主義が発達している。したがって神話的信仰から最も遠い」と単純にイメージしている。
 しかし決してそうではない、むしろその反対であることを、調査結果の数値が歴然と示している。
 彼らの個人主義のベースには「神」があり、「民意」の重心は依然神話的なところにある可能性が高い。ブッシュ(子)やトランプのような指導者が生まれる素地は、こうしたところにあるのだろう。
 (もっとも、極めて地域差が大きいという米国の事情は考慮する必要がある。それでも、民主主義を多数決原理だと捉えるなら、全体の傾向は決定的に重要である)

 「はい」の回答の下のほうを見ると、最下位から4位がスウェーデンで約4割(40.9%)と、同3位の日本とほぼ同じで、同2位がタイの約3割(31.5%)、最下位が中国で2割弱(16.8%)となっている。

 タイを除き、以降宗教観についての調査項目では、日本、スウェーデン、そして中国が最下位近くの常連となるのだが、この項目では特に中国の回答が突出している。
 WVSの複数の調査結果による限り、非宗教化・世俗化の点で、特にこの3国が世界のトップレベルにあると見られる。

 しかしここで、他の項目ではあまり見られないタイという国が最下位集団に出てくるのは、一体なぜなのだろう。この国は敬虔な仏教国とのイメージがあるにもかかわらず、である。
 思うに、回答者の心の中で「神」と「仏」のイメージが被らなかったのではないか。そのことは、次に取り上げる「地獄」についての調査項目が裏付けているように見える(しかし、だとすれば後述の台湾の調査結果と矛盾することとなるが、その理由はよくわからない)。

 さて、同じ最下位グループにある中国と日本の回答結果は、しかしある意味で対照的である。
 「いいえ」について注目すれば、中国は7割超(71.7%)と圧倒的な世界トップにある(2位がタイの64.6%)。むしろ確信的な無神論といってよいほどだ。
 一方で日本人のうち「いいえ」と否定した人は28.0%、これは世界的に見てさほど多い割合ではない(「いいえ」に関しては日本が世界11位)。

 中国についていえば、いわゆる文革からおよそ半世紀を経てのこの結果なのであろうと推測される。
 無神論=唯物主義的な世界観が最も徹底した国は中国であることは、以降の調査項目でさらによりはっきりしてくる。
 この国の価値観は、WVSを見る限り世界的にきわめて特殊である――というよりも、近代化によって無神論化がもたらされるのだとすれば、それが世界で最も徹底的に進行した国なのかもしれない。

 つまり中国の人々は、伝統的なコスモロジーに代わる新たな無神論的コスモロジーを、世界で最も確信している可能性が高い(スウェーデンも同様の傾向にある)。
 そんな彼らにとって、コスモロジーの中核にある「神的なるもの」は、国家・(漢)民族が代替しているのだと思われる。
 それを証拠に、彼らは「国のために戦う」気は満々である(60か国・地域中、「戦う」と答えた人が74.2%で世界14位、それより上位は台湾を除きいわゆる「発展途上国」ばかりである。日本は最下位で、わずか15.2%にすぎない)。

 一方、日本の調査結果の特徴は、ここでも「わからない」という回答が突出していることである。
 その割合は3割以上(31.2%)にも及び、堂々世界一だ。

 上記のように、この「神」について「わからない」と回答する感覚は、我がこととして筆者にも心からよく理解できる。これが日本においてはごく普通の答えのはずだ。おそらく「はい」にも「いいえ」にも「(よくわからないけど)」のニュアンスが色濃いことであろう。
 しかし私たちのこの感覚は、世界的には普通ではないようだ。
 そもそも「わからない」が20%を超える国すら、日本を除き存在しない。せいぜい10%を超えるのがニュージーランド(15.8%)およびエストニア(13.0%)であるくらいだ。
 「わからない」が3割を超える日本人の回答はきわめて異例であり、世界的に突出している。

 参考までに、お隣・韓国では「わからない」という回答はゼロである。
 韓国との歴史的、文化的そして言語的近接性を考えるなら、この日本人の「神」に関する態度のあいまいさは、いわゆる国民性や歴史的・文化的なものでは説明できない。
 (もっとも、このゼロは文字通り0.00%であり、韓国における調査方法の問題の可能性があるが、その点は確認できなかった)。

 また、日本・中国の「神を信じていない」人の割合の低さを、例えば「儒教圏」といった文化圏の問題とすることも、この調査結果による限り否定される。

 儒教的倫理が最も色濃いとされる韓国も「はい」の回答が下位6位と低いが、それでも5割に及んでいる(50.2%)。
さらに台湾の「はい」の回答が9割にも及ぶ顕著な高さ(89.3%)は、台湾の近代化・経済発展の度合いを考えればきわめて特異である。
 重要なことは、同じ中国人=漢民族でありながら、ここまでの違いが生じているという事実である。このことは、「神の死」が単に近代化だけではなく、むしろその後の歴史的経緯によって大きく進行の度合いを変えることを如実に示している。
 (なお、仏教信仰に篤いという台湾のこの回答はまた、「God(神)」を問う調査手法が西洋中心主義的で、仏教文化圏などには馴染まないというような批判を否定するように見受けられる。)

 日本人において、少なくとも「神を信じる」人の割合がきわめて低く、さらに「わからない」と答える人が世界で突出していることは、これによる限り否定のできない事実である。
 この内的状況をコスモロジー心理学の視点から解釈するなら、世界的にも異例な「コスモロジー的な信念の欠如」を示している、ということになると思う。

 私たち日本人は、かつての神・仏・祖霊を捨て去りながら、そのこと自体を別に喪失とも思っていない。そのことは、伝統に対する特異な関心の低さが表わしている。
 かといって私たちは、中国の人々のように無神論的な冷たい唯物論コスモロジーを確信することもできていない。
さらにその上、神的な「大いなるもの」に代わる、国家という世俗的な「大いなるもの」をものにも、きわめて深い不信感を抱いていることは、「権威・権力が増大することを望むか」という調査項目がはっきり示している。

 コスモロジーに関して言えば、私たちは伝統的コスモロジーを失いながらそのことをはっきりと自覚しておらず、かといって近代的コスモロジーを確信することもできていないという、宙ぶらりんの状態に置かれているのだと見られる。
 もちろんあくまで解釈次第だが、しかしほかの解釈は難しいのではないか。

 再び、私たちの「神(的なもの)」に関する無意識的感覚は世界的に見て特殊なものである。それはアタマの上の理性とか合理性とは別のところにあるものだ。
 価値観に関して言えば、明らかに「世界はみな同じ」ではない。宗教観に関して、私たち日本人は孤立的と言っていいほど特殊な位置にある。

 この心的状態について、「昔から変わらずそうだった」「日本人の宗教観は歴史的に特殊なのだ」というありがちな説明は、このWVSの一項目を見ただけでも的外れであることがわかる。
 そうした「日本特殊論」で自己満足していられる時代は、すでに終わっている。

 この特殊性は比較的最近の近現代史で形成されたものであることを、正しく認識する必要があると思う。
 そのことは、ほかの調査項目を見ていく中ではっきりしてくる。さらに続けていきたい。


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