〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

まえおき

2008-07-29 | Weblog
最近本家ブログ(と最近では言っていますが)の更新が大変快調で古株読者としてはたいへんうれしいところです。とてもお忙しいところと思うのですが…電車の中で書いたりしておられるようです。不肖わたくしも更新の気合を見習いたいところですがなかなか…

さて引き続きあらかじめお断りを。というか言い訳を(そういうふうにやっていること自体がすでにアレルギーだな)。
お時間のある方は笑ってお付き合いください。
ついでに批判・反論も大いにOKですので(「プラスもマイナスもストローク」というやつですね)コメントいただけるとありがたいです。

さいきん拙ブログは、上記のように「本家」岡野守也先生のブログのご紹介に特化しつつありますが、今後ともこれまでのように歴史の話とか映画の話とか身辺雑記とかその他軍オタ話を含めつつ(お茶を濁しつつ)、基本的にはその方針で行こうと思います。
その方が自分にとっても正直であると思われるからです。

ブログ・ネットの匿名世界で(一部の人には身元バラしていますが…)、日常会話みたいにタブーに触れちゃならないと言いたいことも言えない(言わない)のははっきり言って馬鹿みたいです。
タブー…つまりまじめな話はしちゃいけない、みたいな「思想に対する思想的アレルギー」というようなことで、それは単に私がそう思っているという側面が色濃いのかもしれませんが、しかしそう感じられます。

何を恐れているのか、結局「人がどう思うか」なのだが、日常会話ならともかくなぜネットで? 
しかも「思想の自由」が野放図なくらいに保障(たぶん)されている現在、自分が何を言おうと、人がどう思おうと自由なはず。

ご紹介しているように「本家」といっているのは半分冗談めかしているつもりですが、しかし事実その通り「本家」だと思われるからでもあります。
なぜなら実際自分が(オタ話以外で)言っていることのベースはほぼすべて本家ブログの内容を学んだことによっているからです。
レベルとか広がりとか詳細という意味では文字通りの不肖、実際まだまだですが、しかしそれでもそうといわざるをえない。

そういうわけでわが隊として本隊の後方支援に努めるべく…いや、現代の戦線には前方も後方もないのでした。
何を書くべきかよくわからなくなってきましたが、しかしとりあえず方向が見えてきました。
ていうか今まで何やってきたのよ――に対する上記は言い訳なのでありました!

もう一つ書きたいと思うのは、読書感想というかレポートというかおぼえがき、です。
すでに忘れられているかもしれませんが、前の記事にも書いたとおり自分の専門だったにもかかわらずほとんど素人同然だったという歴史・日本史のことについて書きたいと思っており、当面の課題はほとんどこだわりとなっている第二次大戦・大東亜戦争/太平洋戦争の、その前段となる「日本がなぜああいう行動をとったのか」を知るという学びです。

いろいろ書いてきたような気がしますが、歴史観としてその部分のことが見事に抜けているわけです。それでは実際根拠を持って語ることはできない。自分の視点から言いたいことを感情論理でいっているだけ、ということになるでしょう。実際かなりそうだったと思います。

まあしかし「日本近代史は罪業にまみれた暗黒の歴史」というふうに教わってきているので、そもそも学ぶ気にならないのはしょうがないというところもあります。
先生方は多くが事実正義感でそのような歴史観を教えてくれたのだと思いますが、しかし問題はまさにその「正義感」に、というかそのベースになっている常識そのものにあったのではないか、と。

ようするに課題ははっきりしていて、上記の「日本近代史は罪業にまみれていた」というのの「罪業」が実際のところどうだったのかを問題にしたいわけです。

しかし「罪業」そのものを取り上げることはあまりしないつもりです。
あとで書きたいと思いますが、たとえば焦点とされているところでいうと、
「南京大虐殺」(という表現自体が争点らしく、数字(犠牲者数…)が論者によって極端に変わったり、年を経るに従って増加したりする)や
「従軍慰安婦」(「事実」はどうあれ、教科書に書くのは「人格形成期にある子供に何を伝えたいか」という点でそれ自体が問題なのではないか)や
「沖縄戦における住民虐殺」(民間人のいる沖縄に「鉄の暴風」を降らせ、現地で最も多くの日本人を殺害したのはいったい誰だったのか、という基本的な視点が見事に欠落している、と見える)
等々の議論が、右と左で完全に平行線をたどっているのを見てもわかるとおり、時代的な限界からそういう事実認定はもう難しくなっていることが予想されるからです。

またそれらはたしかに大事件ではありますが、そうであってもそこにはまり込むことで全体状況が見えなくなる恐れがあります。
実際そうなっているのが現状ではないでしょうか。
それは真黒な十円玉を目の前にぴったりとくっつけて「歴史は真っ暗だ!」と言っているのに似ています。

で、課題図書はまず『侵略の世界史――この500年、白人は世界で何をしてきたか』(清水馨八郎著、祥伝社黄金文庫)。
祥伝社というと、失礼ながら非常に軽い感じの本を予想してしまいますし、またぱっと中を見たところではかなり右翼の論者の方にも思われましたが、しかしちょっと読んでみたところでは、かなり説得力があると思われました。


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