〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

合言葉はコスモロジー

2008-08-01 | Weblog
とにかく皆さんに知っていただきたいと思うキーワードが「コスモロジー」という言葉です。これがひじょうに決定的だと思うのです。

ちょっと日本語にしがたい言葉ですが、あえて近いのをさがすと「宇宙観」「世界観」ということになるようで、それに「人生観」「価値観」を含んだようなもっと広い概念だと思います。うまく説明できず、定義を探したのですがちょっと急ぎで見当たりません…くわしくは本家ブログ当該記事のほうをご覧ください。

不肖・拙ブログも、思うところあって先日からメンタルブログ部門のランキングタグをつけ競争に参戦しておりますが、それはもちろん「うまいこと書いたぞ読んで読んで」という子供じみた気持ちもあると同時に、心の健康の非常にベーシックなところでこのコスモロジーということがかかわっている、というか心のベーシックはある意味でコスモロジーそのものなのではないか、このことをぜひお読みの方とともに考えていきたいと思ったからです。

これまでもちょっと書いてきましたが、つまり私たちは心の奥底でどのようなコスモロジーを持っているにせよ(心の奥底がどのようなコスモロジーであるにせよ)、「コスモロジーを持つ」というそのこと自体から、言葉の動物である人間である限り事実上誰一人逃げることができない、そんな自由は私たちには存在しない、ということです。

少々こだわるようですが、さきに書いたように、たとえばオウム事件以降に宮台真司氏が「意味もクソもない」というセリフで言っていたことは、いま思えば要するに「コスモロジーなどすべて幻想にすぎない」ということだったと思います。

そういう世の真実を暴いたような発言が一方でなぜかきわめて浅薄で欺瞞くさく聞こえたのは、その判断もまたまぎれもなく一種のコスモロジーから出ているという、そのことにあまりにも無邪気に無自覚になされていたからなのでしょう。

さて、私たちの心にとってそれほど重要・本質的と思われるコスモロジーなのですが、とはいえメンタルヘルス分野でこのことがほとんど盲点になっているかのように語られていないのが現状のようです。
それは当然のようでも意外なようでもあり、なんとも奇妙な状況に見えます。

ともかく、以下書いていくように心は根本的なところから元気になれると思います。
…怪しいと聞こえますか?
しかしメンタルに悩む私たちがなにより望んでいるのはそのことなのではないでしょうか。
しかも以下述べていくように、「怪しい」どころではない科学的にリアルな話です。

私もまだまだ途上なのですが、しかしこのことにひじょうに希望を感じています。
いまや根拠をもって希望を語ることができるということです。

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