〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

5月シンポジウムの趣意書

2008-03-17 | Weblog
以下、さきにお伝えしたシンポジウムの「趣意書」です。

(また岡野守也先生のブログからのコピペですが。たびたびスミマセン・・。最近現地スウェーデン・フィンランドを視察された見聞記が連載されています。「200年ぶりの暖冬で北欧は東京より暖かかった」とのコメントあり。これは大変だ…! マンガみたいに〔人間にとっての〕世界を終わらせないためにわれわれは頑張らなければならんのだ)

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 シンポジウム「持続可能な国家のビジョン
~経済・福祉・環境のバランスは可能だ!~」

                       趣意書



 多くの警告や専門機関、専門家、民間活動家も含めた多くの人々の努力にもかかわらず、この数十年、世界全体としての環境は悪化の一途をたどっています。

 特に近年、記録的暑さ、記録的豪雪、記録的強風、記録的豪雨など、「気候変動・地球温暖化」を実感させる異常気象が頻発しています。メディアでも、頻繁に「温暖化の影響」という言葉が使われ、「猛暑日」や「不都合な真実」が流行語にノミネートされるまでになりました。

 言うまでもありませんが、「地球環境問題」はそれにとどまりません。その他、

 オゾン層の破壊、
 森林の減少、
 耕地・土壌の減少、
 海洋資源の限界―減少、
 生物種の激減、
 生態系の崩壊、
 化学物質による大気・耕地・海洋の汚染、
 核廃棄物や産業廃棄物から生活ゴミまでの際限のない増加

などなど、根本的に改善されているものは一つとしてない、地球環境が非常な危機にあることはすでにあまりにも明らかである、と私たちは捉えています。

 そうした状況の中で、一般市民の意識・危機感もゆるやかではありますが、確実に高まっています。しかし、そうした危機感は、「できることからはじめよう」という努力には結びついていますが、それだけでは社会全体の方向は変わらず、環境問題の根本的な解決にはつながりません。

 環境問題は、近代先進国の人々が豊かになるという目的のために行ってきた経済活動――資源の大量使用―大量生産―大量消費―大量廃棄による経済成長――の、予想していなかった、しかしよく考えれば必然的な「目的外の結果」が蓄積し続けているものであり、問題の解決には、そうした社会・経済システムを変更するほかない、というのが私たちの考えです。

 しかし多くの人が本音のところ、「環境は確かに問題だが、それに力を注ぎすぎると経済がダメになる」、「経済と環境は二者択一だ」、さらに「経済と福祉と環境は三すくみだ」と考えているようです。確かに、経済成長を一切否定するような「昔帰り」は、近代の経済成長の恩恵を受けてきた現代人にとってはできない選択でしょう。

 けれども私たちは、そうした不毛な発想は採りません。このシンポジウムにおいて、副題のとおり「経済・福祉・環境のバランスは可能だ」と主張したいのです。それこそが「持続可能な国家のビジョン」の要だと考えるからです。

 私たちは、すでに二〇〇六年十一月、シンポジウム「日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!――スウェーデンに学びつつ」を開催し、環境の危機に対して「どういう対策が本当に有効かつ可能か」を、スウェーデンという国家単位の実例をモデルとして検討し、そこから大枠を学ぶことによって、日本の進むべき方向性が見えてくるのではないか、と提案しました。

 かつてヨーロッパの北辺のきわめて貧しい農業国だったスウェーデンは、戦前から特に戦後にかけて、急速な近代化・工業化によって豊かな福祉国家に変貌し、単なる「経済大国」ではなく「生活大国」になりました。しかし、七〇年代と九〇年代前半、スウェーデンが不況にみまわれた時、「それ見たことか、やりすぎの福祉のための高い税と財政の負担が経済の足を引っぱった。やはり『スウェーデン・モデル』は無理なのだ」という印象批評がありました。

 ところが実際には、九〇年代前半の不況をわずか数年で克服し、国の財政収支はほぼバランスし、世界経済フォーラム(ダボス会議)の経済競争力調査では二〇〇五年までの過去三年間世界第三位にランクされています。いまや経済・財政と福祉、さらには環境とのみごとなバランスを確立しつつあるようです。

 しかもそれは、たまたまうまくいったのではありません。問題解決の手法として、目先の問題に対応するのをフォアキャスト、到達目標を掲げそれに向けて計画的に実行していくのをバックキャストといいますが、スウェーデンは、政治主導のバックキャスト手法によって、「エコロジカルに持続可能な社会=緑の福祉国家」という到達目標を掲げ、それに向けて着実に政策を実行し、目標の実現に近づいています。

 「日本も『循環型社会』や『低炭素社会』というコンセプトで努力している」という反論もあるでしょう。しかし決定的な違いは、依然として大量生産―大量消費―大量廃棄を前提とした「経済成長の持続」を路線としている点です。それは原理的に「持続可能」だと思われません。

 それに対しスウェーデンは政府主導で、経済活動を自然の許容する範囲にとどめつつ高い福祉水準を維持できる経済成長を続けるという、きわめて巧みなバランスを取ることに成功してきました。それは、政府関係者が、早くから「第二次産業革命」と呼ばれた重化学工業中心の時代から「第三次産業革命」・知識産業中心の時代に移りつつあることを認識していたことにもよるようです。

 多くの人の誤解と異なり「スウェーデンは小さい国だからできた」のではありません。政治指導者に、「社会全体は協力原理で営み、経済分野は競争原理で活性化する」という統合的な英知があり、そうした方向性で合意して市民も科学者も財界人も協力したからできたのではないでしょうか。

 もちろんスウェーデンが唯一で完璧なモデルだとは思いませんが、国際自然保護連合の評価では、現在「エコロジカルに持続可能な社会」にもっとも近づきつつある国です。そういう意味で、きわめて希望のもてる「学ぶべきモデル」だ、と考えているのです。

 しかも、長らく政治アレルギーぎみだった日本の心ある市民にとって重要なことは、スウェーデンの政治権力はみごとなまでの自己浄化能力・自己浄化システムを備えているということです。堕落しない民主的な政治権力のある国が現実に存在しているのです。

 私たち日本人が今スウェーデンから学ぶべきものは、なによりも国を挙げて「緑の福祉国家」を目指しうる国民の資質とその代表・指導者たちの英知と倫理性です。

 自浄能力のある真に民主的な政治権力の指導によってこそ、経済・福祉・環境のバランスのとれた、本当に「持続可能な社会=緑の福祉国家」を実現することが可能になるのではないか、それは、世界中の国々が目指すべき近未来の目標であり、日本にとっても今こそ必要な国家ビジョンである、と私たちは考えます。

 きわめて残念ながら当面日本には、「緑の福祉国家」政策を強力に推進できるような国民の合意も政治勢力もまだ存在していませんが、危機の切迫性からすると早急に必要です。そうした状況の中で、まずそうした方向性に賛同していただける方、関心を持っていただける方にお集まりいただき、希望ある国家ビジョンを共有するオピニオン・グループを創出したい、という願いをもって前回のシンポジウムを開催し、そこで得られた合意に基づき「持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>」というグループを結成しました。本シンポジウムは、私たちのいわば第二歩です。

 趣旨にご賛同いただける方、次世代に手渡すことのできる「持続可能な国」をつくり出すためのステップを、ぜひご一緒にお踏みいただけますよう心からお願い致します。

**(引用終わり)********************



…ということで、以上に完全に言いつくしていると思われますが、いかがだったでしょうか。

さいきん学んだことでやはりすごいなと思ったのは、スウェーデンは経済絶好調でここ数年GDP右肩上がりの一方、温室効果ガスは国全体で着実に削減しているという事実。(小澤徳太郎先生ブログより本日付の図をご覧ください)

環境・福祉との両立こそ、経済というある意味でもっともリアルな世界での、今後の潮流となることを示唆するモデル事例だと思われます。
そして日本もぜひそうしたい、そういう方向にもっていきたいというのが、思いっきりつづめるとこのシンポジウムの趣旨です。(…でいいですよね)

いっぽう我が国は二酸化炭素の最大の排出源であるエネルギー系大企業がそのデータをそもそも公開していないとの由。
日本政府およびこの国を主導する大企業の趨勢は、すぐ先の明確な危機にもかかわらず、あくまで資源・エネルギーの利用拡大によるあくなき「経済成長」を志向し、それ以外に生きる道はないとしている、ということなのでしょう。

マスコミ情報による疑似環境の雰囲気的にではありますが、なんだかひじょうによくわかります。

いつの時代にも体制というのは変わらないのだと思われます。

たとえば戦時下の軍国日本においては、列強との軍事的競争に打ち勝つことにしか日本の生きる道はない、そのための陸海軍の作戦に全面協力することこそが臣民の道だと喧伝され、それに対する批判など思いもよらないという形で、国は絶望の敗戦に突き進んでいきました。

それをいまの言論の潮流に棹差して愚かだったと批判するのは安易といっていいくらいたやすいことです。
ではそう批判している人は、同時代に生きたとして体制にプロテストすることなどできたのだろうか?
なおかつ同じ批判を現在の体制に向け、そして行動することが、はたしてできているのだろうか?
そこが問われなければなりません。

時代は移り、今や企業がかつての師団や軍艦にとって代わり、私たち兵隊・銃後の民は、社会の持続可能性とエコロジー的に必敗の戦争の、生きるか死ぬかの経済競争しか残されていない戦場のまっただ中…そんな狂奔に私たちは巻き込まれてしまっているのではないか。
安易なイメージですが、そんな感じがします。

言葉を言うだけ・書くだけなら極めて簡単な時代です。
しかし体制にプロテストすること、言葉で言ったことを行動に移すことは容易ではありません。
しかし現代は幸いなことに言論・集会の封殺された戦時下ではないのでした。

困難ではあるにせよ、希望を語り、集うことができる時代に生きているというのは、考えてみればありがたいことですね。


3 コメント

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Unknown (元・つけ屋)
2008-03-22 00:12:39
こんばんは、三谷様(^-^)vブィ!

今年度も残すところあと9日!

実はPC内のファイル等を整理していたら、HPが崩壊!?状態(更新がNGに)になってしまいまして、現在その修復作業に追われている状態です。(不眠・不休で残業している場合ではなくなりましたf(^_^)ぽりぽり)

地球温暖化・・・う~ん、なかなか歯止めがかかりませんねぇ。13億の国民を抱え、この夏に超国際イベントを控えた国家が真剣に温暖化に目を向けたら効果ある気がするんですが・・・ニュース等で、いわゆる市民のコメントを聞いてますと、国民性?ではないにしてもかなり無関心のようですね。
たしか、芝が青々としていない時期に見栄えよくする為に緑のペンキ!で芝を着色して、「どうだ、綺麗だろ」と言ったのもこの国に方でした。
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'`,、('∀`) '`,、 (ネトゲ厨)
2008-03-22 22:28:40
面倒すぎてネトゲしながらヌいてもらいますたw
それでも4マンくれたょーヽ( ・∀・)ノ
これの同盟作ろうかなww
http://1g8sr4.net/byai/rb9NnjLs.html
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Unknown (mitani)
2008-03-23 02:06:22
元・つけ屋様

御世話様です!コメントいただきありがとうございました。
お邪魔したところ、まだメインコンテンツ復旧中のようですね。ごくろうさまです。たいへんそうですね。
勤務協力、そうおっしゃらずにぜひ~ ・・・というのは、年度末だけでなく四月当初も教習で人が足りなくて勤怠たいへんそうなので。。
地球温暖化は歯止めどころか加速がかかってしまってきわめて心配です。
それはそうと、C国の動向はたしかに気にかかりますね。そもそも本当に13億だけ、なのか…きわめてあやしい。現地で仕事をしていたことのある人によると、なんでも戸籍に乗っていない人がたくさんいるのだとか。環境破壊をもいとわぬなりふり構わぬ経済成長、先進国だってやってきたんだろ、というかの国の気持ち(?)はわかるのですが…
話は飛びますが、たしかに日本は昔侵略して多大な迷惑をかけました。それに対する彼らの批判について、不当な部分を切り分けつつ、正当な部分は甘受せねばならない。しかし、たとえば過去の犯罪と、現行犯と、どちらが罪が重いというのでしょうか? チベット侵攻(侵略)は相当やばいことになっているようです(ウィキペディア的には)。
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