〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

慰霊の日に

2008-08-16 | Weblog
8月15日は終戦(敗戦)の日ですが、思えばお盆(盂蘭盆会)という日本の精神的伝統にとって大切な日だったという方をすっかり忘れていました。

火をたいてまたぐというのを祖母や母にやらされたことを思い出しますが、そこから切れてしまっていることの証拠。
しかし一人ではやる気がしませんので、ご先祖様に祈ろうと思います…が仏壇もない。私(ほぼ「私たち」といってもいいのでは)はいったい何に向かって祈ればいいのか。
私たちは人生の足元を見失っています。

考えてみれば日本が決定的な敗戦を迎えたあの日が、ちょうどお盆の日に当たっているというのは奇しき因縁といえるのではないでしょうか。
ご先祖様をお迎えし祀るその日がまさに、戦争で亡くなった犠牲者を想起すべき日ともなっているのです。

さて、これで日本が敗けて64年経つわけです。
白黒の焼け野原の映像や天皇陛下の弱弱しい「玉音」の声がイメージされる敗戦の日。

長いようで、しかし昨年同じようなことを書いてもう一年ですから、時間というのは短いようでもあります。宇宙の歴史からいえばほんの一瞬にも満たない時間です。
(宇宙の始まりからの134億年を12か月にした「宇宙カレンダー」でいえば、約400年が1秒に当たるそうですから、64年とは文字通り瞬く間の光芒であることがイメージできますね)

NHKテレビでレイテ島の決戦の特集がやっていて、インタビューに登場する当時の若き将兵は今や80代半ばから90代、テレビに出られるだけにまだかくしゃくとした方もおられましたが、しかし日本の戦争とその後の奇跡的な復興を担った世代の方々が人生を終末期を迎えているのは確かです。

戦場での何十倍にもあたる長い時間を経ているにもかかわらず、見る限りその記憶が強烈に焼き付いているという印象でした。
地獄を見た、と言っておられたとおりの体験だったのでしょう。

すでに多くが亡くなってしまった、彼ら戦中世代の驚異的な頑張り(そうとしかいいようがありません)によって、このように飢えを知らないモノに溢れた「豊かな」生活をしているあとの世代の私たちは、どのようにすればその労苦に報いることができるか。

思えば「お国のため」と戦争を戦った彼ら戦中世代こそ、まさに戦後の復興を成し遂げた世代でもあるのですが、そのことを孫世代以降の私たちは忘れてしまってはいないでしょうか。

単純に考えても、敗戦時1945年の25歳前後を戦中世代の重心とすれば、戦後復興を経て高度経済成長の真っただ中にあった1960年(焼け野原からわずか15年!)に彼らは働き盛りの40歳前後、1975年に高度経済成長が終了したと考えると、ちょうどそのころから戦中世代が定年退職をはじめるという計算になります。

おおまかではありますが、まさに戦中世代が戦後復興と高度経済成長を担った中核世代だといって過言ではないと思われます。
その余禄をはんでの、いまのわれわれの生活とも言えるでしょう。

私たちはあたかも昭和20年8月15日を境に日本は生まれかわり、敗戦の日に古い日本は事実死に、その間に連続はない、と感じています。(そう感じてはいないでしょうか?)
書いてきたように、たしかにその間に世代的な大きな意識の違い、価値観の断絶、いわば記憶にかかわる深い傷があるのは確実だと見えます。

8・15以前が私たちにとって遠くよそよそしく感じられるのも無理はないといえるかもしれません。

しかし何と表現すべきか、彼ら戦中世代がまさに身をもって体現していたように、戦前と戦後は「国民的エネルギー」という意味ではあきらかに一貫していたように見えます。
つまりいわばスローガンが「八紘一宇」から「経済成長」に変わっただけで、その根底にある動因というか心的エネルギー自体は同じものだったのではないか、ということです。

戦後民主主義教育を受けてきた私たちに、そういう国民的「エネルギー」にたいする国民的「アレルギー」があるのは、私自身まさにそういう教育を受けてきたのでよくわかります。
またそういうエネルギーが危険な側面を持っていることもわかっているつもりです(しかしそれはエネルギーの方向づけの問題ともいえるでしょう)。

しかしどうあれ、これまで書いてきたように、それが私たちの人生がいまこうあることの非常に重要なベースになっているのであり、それをほとんど喪いつつあることが私たちの深刻な問題でもあるのが明らかなわけです。

私たち団塊ジュニアの「ロストジェネレーション」はいったい何を「ロスト」しているというのか、「まったりと脱力」していると見られている私たちの世代の、その脱落し失ってしまった「力」とはいったい何だったのか。

いうまでもなく、それこそが日本人としての国民的エネルギーだったと思われる、ということです。

そしていまも実は多くの私たちがそれを求めてやまないという、そのきわめてわかりやすい例が、目下のオリンピック競技の過熱報道でしょう。
「勝つ」のは選手個人である以上に「日本」、メダルを~個獲得するのも「日本」なのですから。

(ついでに日本が出場していなかったとしたら、北京オリンピックに魅力を感じることのできる日本人は、スポーツマニア以外にはきっとごく少ないことでしょう。)

そして、そのエネルギーとは、奇跡的な明治維新とその後の近代日本の自主独立を可能にした原動力と同じものでもあったと思います。

それはたぶん(おおむね)長い平和と調和の時代だった江戸時代が用意したものであり、さらにさかのぼれば飛鳥・奈良時代の律令国家の創立、さらに日本人の魂の原点であったと思われる聖徳太子にまで源流をたどることのできる、一貫した精神史的流れだったのではないでしょうか。

(これもまた、本家・岡野守也先生の公開授業ブログで提示されている、(古くて新しい)日本精神史のビジョンより学んだことです。上記は大雑把な理解にすぎず、もっと深く重要なことがいろいろありますので、ぜひ本家を当たっていただければと思います)

ところでNHKで特集されていた「比島決戦」の天王山・レイテの戦いは、この番組を見るまでほとんど知りませんでした。
大岡昇平氏の著作で名前は知っていて、また戦艦大和が突入できなかった「レイテ沖海戦」のほうは知ってはいたのですが。

番組を見た限りでは、ともかく圧倒的な米軍を相手にほとんど勝負にならなかった、戦いとも言えない戦いであった、ということになるかと思います。
番組から読み取れるのはともかく大本営・お上・国というものの非情さと愚劣さです。
それはまさに飢え、米軍に圧倒され、ゲリラに追われた現地の将兵の感じたとおりであったことでしょう。

とりとめもなくなってきましたが、続きは(たぶん)後日書くとして、ともかくいいたいことは、このような戦争の記憶が、私たち「喪失の世代」が国民的エネルギーを回復・再獲得するうえでの困難となる大きな傷、いわば(ずいぶん内実が変質してきた言葉ですがあえて言えば)トラウマになっていると見える、ということです。

個人がそうであるように、暗部はあえて当面おいておき、十分にエネルギーを回復するのがまずは先決だと思われます。
そしていずれにせよ記憶は受容する必要があるわけですが、どうすればこの目をそむけたくなるような歴史の暗部を超えて、私たち日本人は「健康」になることができるようになるのか? 

それを考え実行することが、私たち現役世代のなすべき「慰霊」であり「祈り」なのだと思います。


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2 コメント

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猛暑日 (元・つけ屋)
2008-08-17 01:04:46
三谷 様f(^_^)ご無沙汰しております。

通勤途中にお会いしましても、ご挨拶程度( ^_^)/しか出来ない状況な訳でありまして・・・(当然と言えば当然ですが)猛暑日、熱帯夜が続いておりますので、健康管理に十分お気を付け下さい。

私は早出、残業、公出の連続でかなりバテバテ(/_-)であります。

昭和20年8月15日、この日暑かったと聞いております。
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Unknown (三谷)
2008-08-18 00:39:17
S様、コメントまことにありがとうございます!

通勤ではたびたびお世話になります…たしかにごあいさつ程度しかできません(安全運行の妨げ!)が、知っている方の運転ですとほっとします。

「早出、残業、公出」…おつかれさまです! きっと勤怠のSさんやKさんはご協力に助かっていることと思います。ああ、ちょっとなつかしい。

8月15日は抜けるような青空の真夏日だったそうですね。お父上が海軍航空の方だったとお聞きしましたが、まさに戦前・戦中・戦後の苦労を担ったご年配だと思います。

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