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侵略の世界史

2008-09-03 | Weblog
最近本を最後まで読み通すことがあまりなかったのですが、そんな中『侵略の世界史――この500年間、白人は世界で何をしてきたか』(祥伝社)という本を読みました。

著者の清水馨八郎氏は歴史の専門の方ではなく、また率直にいっていわゆる右寄りの方と見受けました。
たとえば終章の「日本には侵略戦争は一つもない」「日本は世界一残虐性の乏しい民族」という見出しを見ても、自己の側・日本近代史を見る視点はバランスを欠いていると思われます。
しかしたしかに「白人社会と比較していえば」「相対的にそういう面があった」とは言えるかもしれません。

一方、西欧と米国の白人社会がこの500年間どのようなひどい行為を世界中で繰り広げてきたかという暗黒の歴史とそのデータは、大まかにみる限りそのとおりと言うしかないものだと思います。
そしてそれがいたりついた果てに、強要された「開国」に始まる日本近代史があったとする歴史解釈の大枠には、強い説得力があります。

私たちはいまだに一般に欧米の歴史の輝かしい部分ばかりを教わり学んできて、日本人であることそのものに劣等感を抱くような価値観の中に現にありますが(これこそまさに著者清水氏が本書を書いた動機として一貫して憂いておられることです)、その強い光がつくりだした色濃い影である歴史の暗黒面については、はたしてどの程度知っているでしょうか?
私も漠然とだけ「言われてみれば(=だけどそれが何?)」という感じで、はっきりと認識していなかったことを思い知らされました。

いろいろありますが、ともかく事実として例示されているところでは、

●15・6世紀「新大陸」でスペイン・ポルトガルの占領者によって殺戮されたネイティブの数はおよそ1億~数千万人に達する。(推計)

●16世紀から始まる西欧諸国および米国による大西洋の奴隷貿易によって、アフリカ大陸から家畜並みかそれ以下の状態で拉致された黒人奴隷の数、約1500万人。
さらに絶望の旅の途上で死んだ数はその数倍に上ると推計される。

●また奴隷貿易が「最盛期」を迎え白人諸国家がそこから巨利を貪ったのは、輝かしい啓蒙主義の時代とされる18世紀のことであり、さらに驚くべきことに日本が「開国」を強要された19世紀後半にいたってもなお、欧米「文明」国はきわめてさかんに人家畜行為の奴隷貿易をおこなっていた。

●日本人に人気のオーストラリアとニュージーランドは、19世紀のわずか100年間にその地のネイティブをほぼ全滅させた。さらにその後オーストラリアは「白豪主義」を宣言し最近まで有色人種を公然と排除してきた。

●200~500万人いたと推計される北米のネイティブは、いわゆる「西部劇」(ついこの間まで映画の人気のジャンルであった)に見る殺戮に次ぐ殺戮によって、19世紀末ごろにはわずか35万人しか生き残っていなかった。法律上その人権が認められたのはようやく1924年のこと。日本が米海軍艦隊の大砲で「開国」を余儀なくされたのは、まさにその「インディアン戦争」のまっ最中のことである。

●アメリカ合衆国建国の歴史は黒人奴隷の人身売買の歴史でもあり、近代にいたって最も大掛かりに組織的に奴隷を酷使したのがまさにアメリカである。日本の開国期にあたる1860年代には400万人に上る奴隷がアメリカに存在し、その数は19世紀初頭の4倍強である。

●米国は、日清・日露戦争に先立つ19世紀末までに、フィリピンを植民地支配下に置き、ハワイを侵略し不法に「合衆国」に編入。その上で中国の「門戸開放」を要求したのであった。

●欧米以外のほぼ世界中が欧米の植民地と化し、現在にまでいたる火種を各地に植え付けてきた。
たとえば日本が「侵略」したと非難されている東南アジア諸国とは、当時事実上ほとんどが欧米諸国に侵略されつくし、長きにわたって植民地として搾取されつづけてきた地だった。日本が敗北するや西欧の植民地軍はすぐさま当然とばかりにその地に「帰ってきた」し、そもそも日本占領軍司令官となったマッカーサーが開戦当時フィリピンにいたのは植民地軍司令官としてだった。

ほかにもいろいろあるのですが、ともかくこういう流れで見てくると、日本の「開国」とその後の近代化への狂奔ともいえる努力とは、よくいわれるような「文明開化」とか「西洋文明へのあこがれ」というような生易しいものではなく、白人から人間以下の扱いを受けてきた有色人種の民族にあって、ほとんど唯一達成しえた国の独立を保つための、生き残りを賭けたやむをえない脅威への対応だったと読むことが、著者のいうように十分にできると思いました。

そして大東亜戦争/太平洋戦争を「白人侵略の終着点」で「立ち向かった唯一の有色人種」の闘争とする解釈は、上記の500年というタイムスパンで巨視的に見ると、その点では確かに事実としてそのとおりといわざるをえないのではないかと思われます。
また、なぜ日本の敗戦がほとんど確定した時点でなお米国が原爆を用いたのか、そこにはあきらかに有色人種を人間以下と見る当時の米国の白人の人種差別意識があったのではないかということが、この文脈から見えてくるような気がしてなりません。

日本近代史に罪がなかったとは到底いえないと思いますが、しかしはっきりいって500年にわたる上記の西洋白人諸国の暗黒の歴史、なかでも建国以来ずっと有色人種の殺戮と搾取・支配の上にあった米国の歴史の罪は――かりに罪の軽重が量と時間で比較して測られるのなら――はるかに重いのではないかと思われます。

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