2 民俗文化圏で見た松山市
愛媛県内各地の「民俗」を見渡してみると、地域によりその様相が著しく異なるという特徴があります。一般に愛媛県は、平成の大合併以前の市町村区分でいえば、越智郡、今治市、周桑郡以東の「東予」と、松山市周辺と上浮穴郡の「中予」、喜多郡以南の「南予」の三地域に区分されますが、「民俗」のうち、例えば「祭礼」についておおまかに見ると、「東予」は、西条ダンジリや新居浜太鼓台に代表される大型の山車が祭礼の主役であり、「中予」では山車が登場することは稀で、神輿の鉢合わせや獅子舞が祭礼の主役となっています。そして「南予」では、牛鬼、四ツ太鼓、鹿踊をはじめとする様々な練物が登場するという相違があります。
ただし、この東予、中予、南予の三地域区分は、一般的な地域区分です。「民俗」から見た地域区分となると、若干の差異はあるものの、この三地域を基本として、さらに細かく区分することができ、『愛媛県史民俗編』において、愛媛県の総合民俗地域区分として提示されています。(地図掲載:愛媛県史民俗編参照)行政上、松山市は「中予」に位置づけられますが、「民俗」から見た中予文化圏というものは、一般的に使用される「中予地方」の範囲よりは狭く、道後平野部分に限定される区域となっています。そして旧北条市は、東予文化圏に入り、いわゆるもと北温と呼ばれていた松山市北部付近では、東予的な民俗と中予的な民俗が交錯しています。
旧中島町(忽那諸島)も「民俗」の上では東予文化圏に入ります。例えば宇和間地区には秋祭りの中に奴行列が伝承されていますが、これは越智郡島嶼部から今治市、旧周桑郡付近の各地に分布していて、また、祭りを取り仕切る制度である頭屋祭祀が越智郡島嶼部に見られますが、それが中島二神にまで及んでいます。
このように、松山市は、北条市・中島町合併後の平成17年現在、市域がすべて同一の民俗文化圏に属しているのではなく、「中予文化圏」を基礎として「東予文化圏」も入り込んでいるのです。