愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

和霊信仰と二十三夜

2000年09月03日 | 年中行事
先日、越智郡岩城村を訪れた際に、亀山八幡神社の祭礼の際にお旅所となる「厳島」という場所(現在厳島神社が祀られているわけではない)に「和霊神社」という文字が刻まれた石碑が立っているのを見つけた。これはそう古いものではなく、大正3年6月23日に稲本幸次郎が立てたものということが銘文からわかった。この稲本氏は村内のいたるところの社寺に寄進しているようで、玉垣等に頻繁に見られる名前であった。村内の人に聞くと、京屋といって、かなりの分限者だったらしい。和霊神社とは、当然、宇和島の和霊さまのことである。西日本各地に和霊信仰圏は広がっているが、岩城も例外ではないようだ。
和霊信仰の盛んなところでは、蚊帳待ちの習俗(和霊神社の祭神山家清兵衛<読みはヤンベセイベエ>が6月23日に蚊帳の中で暗殺されたことから、この日には蚊帳に入ってはいけないというもの)があることが多いのであるが、岩城の80歳以下の年齢の人からはその習俗の存在を確認することができなかった。ところが、80歳以上の方からは、やはりその話を聞くことができた。戦前には、月が出るまでは蚊帳に入らなかったというのだ。蚊帳待ちについては『愛媛県史』民俗編の中で、佐々木正興氏が、祭日に蚊帳を吊らないで寝ると種々の利益があるというのが基本的な型で、瀬戸内一帯では、二十三夜待ちの習俗と習合して、蚊帳を吊らずに夜明かしをしたり、月の出まで起きている型が生じたことを述べているが、岩城の事例はまさに月の出を待つ月待の習俗と混同されている。ところで、地元の古老はこの日のことを「サンヤ」と言った。おそらく二十三夜のことであろう。つまり陰暦23日の夜の月待行事。23日の夜に社寺の籠もり堂や当番の家に集まり、念仏を唱え、歌い騒いだり、餅をついたりして月の出を待つものであるが、古老はこうも言った。サンヤの語源は和霊の祭神は「山家」(サンヤ)と呼べるからだと。私はナルホドとうなずいたものの、見事なこじつけだとも思った。実際、そうなのかもしれない。村の人が実際そのように認識していたのならば、史実は別としてそれを受け入れなければいけない。和霊信仰と二十三夜が、行事内容のみならず、名称でも習合していることに驚かされたのである。

2000年09月3日

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