愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

亥の子のご祝儀の配分

2012年09月06日 | 年中行事
旧宇和町の広報誌『うわ』第6号、昭和29年10月31日にこんな記事があった。

「イノコにあった悪習慣を改める 多田地区のよい子」

秋の年中行事である「亥の子」のご祝儀について、「美談」として取り上げられているのだ。

記事を以下、引用しておこう。【 】内は大本補注。


毎年十月【現在では新暦10月の亥の日に行う。
十二支の亥の日なので、2回ある年、3回ある年がある。】
には子供達にとつて、たのしい亥の子祭がやつてくる。
「亥の子」には御祝儀をもらつて、子供達の手によつて配分し、
その配分の方法なども、小さい子供には少しの金を配当し
大きい子供は多くの金を取るという習慣が残っていたが、
【この慣習は今でも旧宇和町内各地に残る。】
今年多田地区の町組では頭取【子供大将もしくは亥の子大将とも
呼ぶ地区もあるがここでは頭取。年長者のことである。】
中学二年生牧野、岡田、二宮、福島の
四君が中心となり第一回は全員平等に配分し、
四君は組員より二十円少なくとり
残金は世話宿に世話料として差上げ、
第二回は全員平等に配分した。
このことは当然といえば当然ではあるがけれども
今までの悪い習慣を破つて新しい道を開いたことに対して
小さい子供をもつ父兄の人々は感心している。


以上が引用である。

亥の子が生活改善の一環で、廃れたという話をよく聞くが、
それに関連する話かもしれない。

ちょうどこの昭和29年には、文化庁により愛媛の年齢階梯制が
国選択無形民俗文化財となっている。
この年齢階梯制の中の大きな要素が子供組の活動、
そしてそこから成長しての青年集団(若衆組)の民俗であり、
「亥の子」も一種の文化財として意識された年であった。

地域の中で、年齢の階段を駆け上がるための地域教育の場であった亥の子。
亥の子組に入って、年少の頃は御祝儀の配分が少なくても、
年齢が上にいけば徐々に増えていく。
それを大将(頭取)といった亥の子組の年長者が配分していく。

子供組の中での金銭獲得、配分の経験の場であったのである。

これが「平等」に配分することになると、
亥の子組の中での年齢の階段、そして年長者の差配権限が希薄になってしまう。

亥の子のご祝儀の配分が、「悪習慣」という見方であるが、
必ずしもそうではないのではないか。

地域の教育力の場としての亥の子慣習を変容させ、崩すことにつながる可能性だってある。

そのように自分は思っている。



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