愛媛県八幡浜市出身の自分。
お正月の注連飾りに付ける柑橘のことを「かぶす」と呼んでいた(いや呼んでいる)。
この「かぶす」。日本国語大辞典によると、「だいだい」の異名、と紹介されているものだから、
「かぶす」は橙のことだと無意識のうちにそう思っていた。
でも、よく考えると(考えなくてもそうだが)、色も形も大きさも橙とかぶすは違う。
それでも、かぶすは橙の一種もしくは類似種なのだろうと、
何も考えずに、そう理解していた。
でもやはり、橙とかぶすは違う。
ちなみに「かぼす」と「かぶす」が違うものであることも充分理解はしている(つもり)。
今一度、日本国語大辞典を見てみた。
かぶすは、次のように紹介されている。
「かぶち(臭橙)」の音変化した語か。
植物「だいだい(橙)」の異名。
文明本節用集「鬼柑子 カブス」
日葡辞書「Cabusu(かぶす)<訳>蜜柑、レモンの一種。その果実のなる木」
大和本草「橙<略>又一種かぶすあり。」
これでは、やはりかぶすは橙の一種であり、しかも文明本節用集や日葡辞書に出てくるのだから
かなり古い、室町時代には既に使われていた言葉だとわかる。
それでも、、、である。何か腑に落ちない。
正月の注連飾りのかぶすは橙とは、色も形も大きさも違う。
謎である。(いや謎でも何でもない。明らかに違うだけだ!)
先日、西予市明浜町高山にうかがった際にも、
昭和初期生まれの方々にお話をうかがったが、
かぶすはかぶすであって、決して橙ではない。
これは自分の実家、八幡浜でも同じ答えであった。
もしかして、正月に用いる柑橘は、家が代々栄えるようにと
どんな柑橘を使っていても「だいだい」と混同されるようになったのではないか。
よく年中行事の辞典は説明する。「だいだい」は代々に通じて縁起が良いと。
先に挙げたように、かぶすは室町時代には既に使用されていた言葉であり、
橙の異名がかぶすなのではなく、かぶすが正月に用いられているので、
「だいだい(代々)」と混同されるようになったのではないだろうか。
このような年中行事や人生儀礼において語呂合わせ的な説明がなされるようになるのは
概して江戸時代からである。
江戸時代の家庭年中行事としての正月行事、注連飾りが一般化して、
その在地で使われる、つまりその地域で採れる柑橘を
正月に「だいだい」と称してしまった場合があったのではないか。
かぶすはかぶすであり、例えば、愛媛でも越智郡島嶼部にては、注連飾りの柑橘はコミカンだと聞いた。
橙が入手できる場合にはそれで構わないのかもしれないが、
橙がなくても、知識として正月の柑橘が「代々家が栄える」という縁起知識が普及することで、
その他の柑橘が使われる場合に「だいだい」の呼称の混同、混乱が生じたのかもしれない。
結局、何も解決しないので、愛媛県のみかん研究所に問い合わせしてみた。
すると、的確な文献を教えていただいた。
(素早いご返答ありがとうございました!)
木村勝太郎・谷中登希男著『日本の酢みかん』 原田印刷出版、 1995年10月発行 である。
ここに紹介されていることを簡単にまとめると
カブス(臭橙)Kabusu
別名び代々(ダイダイ)臭橙(シュウトウ)があり、学名にもきちんとKabusuとある。
インド、ヒマラヤ地方の原産で、中国揚子江沿岸地帯並びに我国の各地に分布する。
我国には非常に古く渡来したもののようで、
醍醐帝の御代(つまり平安時代)に著された本草和名(日本最古の本草書とされる。深江輔仁著)には
橙と記されている。
日本全国に分布し、汁は酸味強く、生食には適せず、酢の代用として料理に使用される。
古来、正月の飾りに使われている。
以上のようになる。
ということは、かぶすは、学名のある確固たる品種であり、しかも平安時代に既にあったというのである。
ところが、謎は深まった。
この書の説明で、本草和名では「橙」と記されていると・・・。
自分の頭の推察で、江戸時代に混同したのかと思っていたのに、
既に平安時代に混同していた?
そうなると、そもそも橙(だいだい)って何?という話にもなる。
かぶすはかぶすで良い。
方言でもなく、学名のある柑橘として理解しておけばよい。
しかし、橙、だいだい、代々との混同の謎は、いまだ解けない。
結局、すっきりしない。
このブログ。橙(だいだい)についても歴史をきちんと調べて、提示すべきなのだろうが、
まあ、こんなすっきりしない、自分の頭の中の混乱を披露するのも、いいだろう。
だいだい、一番身近な、正月の柑橘の種類をきちんと説明できていないことに
歯がゆさを感じる。嗚呼、恥ずかしや。
まあ、早いうちに本草和名などの原典にあたってみよう。
お正月の注連飾りに付ける柑橘のことを「かぶす」と呼んでいた(いや呼んでいる)。
この「かぶす」。日本国語大辞典によると、「だいだい」の異名、と紹介されているものだから、
「かぶす」は橙のことだと無意識のうちにそう思っていた。
でも、よく考えると(考えなくてもそうだが)、色も形も大きさも橙とかぶすは違う。
それでも、かぶすは橙の一種もしくは類似種なのだろうと、
何も考えずに、そう理解していた。
でもやはり、橙とかぶすは違う。
ちなみに「かぼす」と「かぶす」が違うものであることも充分理解はしている(つもり)。
今一度、日本国語大辞典を見てみた。
かぶすは、次のように紹介されている。
「かぶち(臭橙)」の音変化した語か。
植物「だいだい(橙)」の異名。
文明本節用集「鬼柑子 カブス」
日葡辞書「Cabusu(かぶす)<訳>蜜柑、レモンの一種。その果実のなる木」
大和本草「橙<略>又一種かぶすあり。」
これでは、やはりかぶすは橙の一種であり、しかも文明本節用集や日葡辞書に出てくるのだから
かなり古い、室町時代には既に使われていた言葉だとわかる。
それでも、、、である。何か腑に落ちない。
正月の注連飾りのかぶすは橙とは、色も形も大きさも違う。
謎である。(いや謎でも何でもない。明らかに違うだけだ!)
先日、西予市明浜町高山にうかがった際にも、
昭和初期生まれの方々にお話をうかがったが、
かぶすはかぶすであって、決して橙ではない。
これは自分の実家、八幡浜でも同じ答えであった。
もしかして、正月に用いる柑橘は、家が代々栄えるようにと
どんな柑橘を使っていても「だいだい」と混同されるようになったのではないか。
よく年中行事の辞典は説明する。「だいだい」は代々に通じて縁起が良いと。
先に挙げたように、かぶすは室町時代には既に使用されていた言葉であり、
橙の異名がかぶすなのではなく、かぶすが正月に用いられているので、
「だいだい(代々)」と混同されるようになったのではないだろうか。
このような年中行事や人生儀礼において語呂合わせ的な説明がなされるようになるのは
概して江戸時代からである。
江戸時代の家庭年中行事としての正月行事、注連飾りが一般化して、
その在地で使われる、つまりその地域で採れる柑橘を
正月に「だいだい」と称してしまった場合があったのではないか。
かぶすはかぶすであり、例えば、愛媛でも越智郡島嶼部にては、注連飾りの柑橘はコミカンだと聞いた。
橙が入手できる場合にはそれで構わないのかもしれないが、
橙がなくても、知識として正月の柑橘が「代々家が栄える」という縁起知識が普及することで、
その他の柑橘が使われる場合に「だいだい」の呼称の混同、混乱が生じたのかもしれない。
結局、何も解決しないので、愛媛県のみかん研究所に問い合わせしてみた。
すると、的確な文献を教えていただいた。
(素早いご返答ありがとうございました!)
木村勝太郎・谷中登希男著『日本の酢みかん』 原田印刷出版、 1995年10月発行 である。
ここに紹介されていることを簡単にまとめると
カブス(臭橙)Kabusu
別名び代々(ダイダイ)臭橙(シュウトウ)があり、学名にもきちんとKabusuとある。
インド、ヒマラヤ地方の原産で、中国揚子江沿岸地帯並びに我国の各地に分布する。
我国には非常に古く渡来したもののようで、
醍醐帝の御代(つまり平安時代)に著された本草和名(日本最古の本草書とされる。深江輔仁著)には
橙と記されている。
日本全国に分布し、汁は酸味強く、生食には適せず、酢の代用として料理に使用される。
古来、正月の飾りに使われている。
以上のようになる。
ということは、かぶすは、学名のある確固たる品種であり、しかも平安時代に既にあったというのである。
ところが、謎は深まった。
この書の説明で、本草和名では「橙」と記されていると・・・。
自分の頭の推察で、江戸時代に混同したのかと思っていたのに、
既に平安時代に混同していた?
そうなると、そもそも橙(だいだい)って何?という話にもなる。
かぶすはかぶすで良い。
方言でもなく、学名のある柑橘として理解しておけばよい。
しかし、橙、だいだい、代々との混同の謎は、いまだ解けない。
結局、すっきりしない。
このブログ。橙(だいだい)についても歴史をきちんと調べて、提示すべきなのだろうが、
まあ、こんなすっきりしない、自分の頭の中の混乱を披露するのも、いいだろう。
だいだい、一番身近な、正月の柑橘の種類をきちんと説明できていないことに
歯がゆさを感じる。嗚呼、恥ずかしや。
まあ、早いうちに本草和名などの原典にあたってみよう。