実家の盆の年中行事である「五反田柱祭り」が先ほど終わった。今年は7月末からこの祭りの準備等について記録用の写真撮影を集中的に行った。それが天候にも恵まれて無事終わってホッとしている。この柱祭りは四国では唯一の盆の柱松・投げ松明行事であり県指定無形民俗文化財であるため、詳細を文章にまとめる準備に入っており、そのために以前から全国各地で行われる類似する火投げ行事を比較のため調査している。
そこにさきほど気になる情報が入ってきた。明日、8月15日に行われる三重県鳥羽市松尾町の盆祭行事が中止となったというのだ。ここの火投げ行事はかなり注目していた。というのもここの行事は国重要無形民俗文化財であり、2010年3月に鳥羽市教育委員会から調査報告書が刊行されたばかりなのだ。今年、できれば見に行ってみたいとも思っていたが、別の地域の行事(和歌山県)に行く事になったので、今年はあきらめていた。(明日の早朝に出発して、和歌山県内の盆行事を現地調査に行ってきます。)
中止につては、毎日新聞8月10日朝刊に記事が掲載されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110810-00000147-mailo-l24
文章もここに引用しておきたい。
火祭り:鳥羽の国指定重要無形文化財、人手足りず休止 /三重
毎日新聞 8月10日(水)12時3分配信
◇志摩加茂五郷、最後に残った400年前から続く松尾町の盆行事
◇市教委「復活へバックアップ」
鳥羽市松尾町に伝わる盆祭行事「火祭り(松明(たいまつ))」(国指定重要無形文化財)が今年、人手不足を理由に休止されることになった。400年前から続く志摩加茂五郷の盆祭行事の中で唯一、地元民によって開催されてきた松尾町の火祭り。市教委は「来年は何とか復活させたい」と話している。
火祭りは先祖の霊を供養し霊を送るため、8月15日夕方から行われていた。大きな鉦(かね)や楽共(がく)と呼ばれる太鼓などを打ち鳴らしながら町内を巡る。火が燃やされるのは深夜で、共同墓地に立てられた杉柱にわらなどで作った直径2メートル、深さ2・5メートルの逆円すい形の壺桶(つぼき)を取り付け、たいまつを投げ入れて燃やし、杉柱の倒れた方向で吉凶を占う勇壮な行事だ。
行事は厳しい年齢階層制の中で行われ、全員が何らかの役割を持って参加する。河中宇一町内会長によると、行事を行うには90~100人の人手が必要とされ、「過疎と少子化が進み、人数確保が難しく、今年は休止せざるを得なかった」と話す。6月19日に町内会の臨時総会を開き、休止を決めた。
加茂五郷(松尾、河内、船津、岩倉、白木町)の盆祭行事は、戦国時代末期の水軍の将である九鬼嘉隆の時代に始まったとされる。嘉隆に従い朝鮮出兵した戦死者の霊を弔ったなど由来は諸説ある。当初は五郷が集まって開かれていたが明治になり各町に分散。1987年に国の文化財に指定された当時は5町とも開かれていたが、火祭りは松尾、河内両町のみとなり、河内町は07年を最後に行事を休止した。
市教委は「やむなく今年休止になったが、伝統の火祭りを来年は復活できるよう町をバックアップしたい」としている。【林一茂】
〔三重版〕8月10日朝刊
国指定であり、調査報告書も出たばかり。このような事例でも継承は難しい状況。これには少し衝撃を受けた。私の地元の五反田柱祭りは継承者不足には陥っていないが、いつ伝承の危機が訪れるかわからない。これらの盆行事の継承の現況についても各地の事例を確認しておく必要を感じさせられた。実家の盆行事の終えた安堵感が一瞬にして吹っ飛びました。
そこにさきほど気になる情報が入ってきた。明日、8月15日に行われる三重県鳥羽市松尾町の盆祭行事が中止となったというのだ。ここの火投げ行事はかなり注目していた。というのもここの行事は国重要無形民俗文化財であり、2010年3月に鳥羽市教育委員会から調査報告書が刊行されたばかりなのだ。今年、できれば見に行ってみたいとも思っていたが、別の地域の行事(和歌山県)に行く事になったので、今年はあきらめていた。(明日の早朝に出発して、和歌山県内の盆行事を現地調査に行ってきます。)
中止につては、毎日新聞8月10日朝刊に記事が掲載されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110810-00000147-mailo-l24
文章もここに引用しておきたい。
火祭り:鳥羽の国指定重要無形文化財、人手足りず休止 /三重
毎日新聞 8月10日(水)12時3分配信
◇志摩加茂五郷、最後に残った400年前から続く松尾町の盆行事
◇市教委「復活へバックアップ」
鳥羽市松尾町に伝わる盆祭行事「火祭り(松明(たいまつ))」(国指定重要無形文化財)が今年、人手不足を理由に休止されることになった。400年前から続く志摩加茂五郷の盆祭行事の中で唯一、地元民によって開催されてきた松尾町の火祭り。市教委は「来年は何とか復活させたい」と話している。
火祭りは先祖の霊を供養し霊を送るため、8月15日夕方から行われていた。大きな鉦(かね)や楽共(がく)と呼ばれる太鼓などを打ち鳴らしながら町内を巡る。火が燃やされるのは深夜で、共同墓地に立てられた杉柱にわらなどで作った直径2メートル、深さ2・5メートルの逆円すい形の壺桶(つぼき)を取り付け、たいまつを投げ入れて燃やし、杉柱の倒れた方向で吉凶を占う勇壮な行事だ。
行事は厳しい年齢階層制の中で行われ、全員が何らかの役割を持って参加する。河中宇一町内会長によると、行事を行うには90~100人の人手が必要とされ、「過疎と少子化が進み、人数確保が難しく、今年は休止せざるを得なかった」と話す。6月19日に町内会の臨時総会を開き、休止を決めた。
加茂五郷(松尾、河内、船津、岩倉、白木町)の盆祭行事は、戦国時代末期の水軍の将である九鬼嘉隆の時代に始まったとされる。嘉隆に従い朝鮮出兵した戦死者の霊を弔ったなど由来は諸説ある。当初は五郷が集まって開かれていたが明治になり各町に分散。1987年に国の文化財に指定された当時は5町とも開かれていたが、火祭りは松尾、河内両町のみとなり、河内町は07年を最後に行事を休止した。
市教委は「やむなく今年休止になったが、伝統の火祭りを来年は復活できるよう町をバックアップしたい」としている。【林一茂】
〔三重版〕8月10日朝刊
国指定であり、調査報告書も出たばかり。このような事例でも継承は難しい状況。これには少し衝撃を受けた。私の地元の五反田柱祭りは継承者不足には陥っていないが、いつ伝承の危機が訪れるかわからない。これらの盆行事の継承の現況についても各地の事例を確認しておく必要を感じさせられた。実家の盆行事の終えた安堵感が一瞬にして吹っ飛びました。