小学生の娘が面白いことを教えてくれた。「学校で先生は定規のことをサシって言うんで~」と。
そうである。小学生は既に使わないかもしれないが、「さし」は方言である。共通語ではない。先生が気づいていないだけだ。その指摘は正しい。
君が大きくなって東京に行ったときに定規を「さし」といっても通じるとは限らない。これは父の私がハタチの頃に東京で身をもって体験したことである。
愛媛の中高年以上は、定規のことをわざわざ「定規」とはいわない。「ものさし」も4文字で長過ぎる。「さし」で充分通用する。
ただ、これは愛媛独特の方言ではない。『日本国語大辞典』によると、ものさしの方言で「さし」を使うのは次のとおりである。
青森県上北郡、秋田県鹿角郡、滋賀県蒲生郡、京都、大阪、兵庫県明石郡、和歌山、島根県那賀郡、徳島県、愛媛県、高知県
主に近畿から中四国の西日本であるが、一部東北地方にも見られる。関東、中部、九州には見られないという傾向が『日本国語大辞典』から読み取れる。
実際には、ここで挙げた地域以外にも「さし」方言は分布している可能性が高いが、これが大まかな使用分布域である。
では、なぜ「さし」なのか?
江戸時代中期の国語辞書である『和訓栞』には「さし 度をいふは指渡る義。物さしともいへり」とあり、これが非常に興味深い。つまり、定規で度(寸法、長さ)を指し渡して測ることに由来すると解釈できる。「定規をあてる」という行為が「さす(指す)」であり、これが名詞化して「さし」になったのだ。
となれば、「ものさし」が先か、「さし」が先かという問題が出てくる。現在、一般的には、共通語が「ものさし」であり、その方言として「さし」が出てくると考える向きもあるが、逆ではないのだろうか。
「物にあてて(さす)度を測る」から「ものさし」というのだろうが、わざわざ「もの」を接頭しなくても通じる意味であるのだから、「さし」ありきでいいのではないか。これが江戸時代に江戸を中心に「さし」が通じにくく「もの」を頭につけるようになったと考えた方が自然だと思う。それが明治時代以降に東京方言として「ものさし」が学校教育等を通じて全国に広まって共通語のようになったのではないか。
ただし、江戸時代以前に関東方面で「ものさし」以前の「さし」に対応する古い呼び方はあるのか、そこは疑問として残る。
以上は、推論の類であって、きちんと文献収集しての結論ではない。ただ、手元の辞書やら文献を眺めてみて、「ものさし」の語は『節用集』には「裁尺 モノサシ」とあるものの、江戸時代以前の文献には「さし」に比べて多く出てくることはない。「ものさし」は比較的新しい言葉のような印象があるのだ。
そうである。小学生は既に使わないかもしれないが、「さし」は方言である。共通語ではない。先生が気づいていないだけだ。その指摘は正しい。
君が大きくなって東京に行ったときに定規を「さし」といっても通じるとは限らない。これは父の私がハタチの頃に東京で身をもって体験したことである。
愛媛の中高年以上は、定規のことをわざわざ「定規」とはいわない。「ものさし」も4文字で長過ぎる。「さし」で充分通用する。
ただ、これは愛媛独特の方言ではない。『日本国語大辞典』によると、ものさしの方言で「さし」を使うのは次のとおりである。
青森県上北郡、秋田県鹿角郡、滋賀県蒲生郡、京都、大阪、兵庫県明石郡、和歌山、島根県那賀郡、徳島県、愛媛県、高知県
主に近畿から中四国の西日本であるが、一部東北地方にも見られる。関東、中部、九州には見られないという傾向が『日本国語大辞典』から読み取れる。
実際には、ここで挙げた地域以外にも「さし」方言は分布している可能性が高いが、これが大まかな使用分布域である。
では、なぜ「さし」なのか?
江戸時代中期の国語辞書である『和訓栞』には「さし 度をいふは指渡る義。物さしともいへり」とあり、これが非常に興味深い。つまり、定規で度(寸法、長さ)を指し渡して測ることに由来すると解釈できる。「定規をあてる」という行為が「さす(指す)」であり、これが名詞化して「さし」になったのだ。
となれば、「ものさし」が先か、「さし」が先かという問題が出てくる。現在、一般的には、共通語が「ものさし」であり、その方言として「さし」が出てくると考える向きもあるが、逆ではないのだろうか。
「物にあてて(さす)度を測る」から「ものさし」というのだろうが、わざわざ「もの」を接頭しなくても通じる意味であるのだから、「さし」ありきでいいのではないか。これが江戸時代に江戸を中心に「さし」が通じにくく「もの」を頭につけるようになったと考えた方が自然だと思う。それが明治時代以降に東京方言として「ものさし」が学校教育等を通じて全国に広まって共通語のようになったのではないか。
ただし、江戸時代以前に関東方面で「ものさし」以前の「さし」に対応する古い呼び方はあるのか、そこは疑問として残る。
以上は、推論の類であって、きちんと文献収集しての結論ではない。ただ、手元の辞書やら文献を眺めてみて、「ものさし」の語は『節用集』には「裁尺 モノサシ」とあるものの、江戸時代以前の文献には「さし」に比べて多く出てくることはない。「ものさし」は比較的新しい言葉のような印象があるのだ。