雑司ヶ谷旧宣教師館にいってきました
区の施設を利用しようと豊島区の雑司ヶ谷に20分自転車を飛ばして行ってきました。
しかし、なんと、時間を間違えて・3時間待ちとなってしまったの、
帰って戻ってくる体力の自信がなかったし
雑司ヶ谷といえば、鬼子母神さまの有名なんですよ。手創市が境内で開かれてますし。
「江戸名所絵図」にも、のっていて、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」の舞台にも。・・・・長谷川平蔵の自宅は「目白台」という設定で、そこから近い!
で、近間の名所を見学と思い、まだ、行ったことのない「雑司ヶ谷旧宣教師館」に、行くことにしました。
区の施設の方に、道順をおききしました・・パンフレットを見ながらの説明だったのですが、
このあたりは、戦争中、戦災にあっていないので江戸時代の道や農道がそのままのところが多いのでものすごく複雑!!
パンフレットの簡略化された地図では、無理とのことで、頭が「?」のまま、出発!
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目印の清立寺、保育園が見つからず、地元の方におききしながら、たどり着きました。
館に続く道には、タイルが貼られていている入り口は
赤煉瓦の門構えです。中に入ると見えてくる館は
19世紀末の郊外住宅の特色の住宅だそうです。白い壁に緑の窓枠がなにか、赤毛のアンの家を思い出しました。
明治40年アメリカ人宣教師のマートレブさんの居宅として建てられたそうですが、当時、目立ったでしょうね
ガラス窓が多用されていて室内が明るくて解放的で、部屋ごとに形の違う暖炉があるのです。
脇にまわると
そして南側に回ると
手前には、きれいに整備された花畑がひろがっています。管理館がついていて、私が中に入ると、管理の方が来てくれました。
そのときに写真の許可をもらえばよかった!・・反省
室内を見学中、外では隣の保育園の園児たちがお散歩に・・・・・・こんな文化財が近くにあるとは幸せ
道をお聞きした施設の方の言葉とおり 「行ったら気分がよくなって帰りたくなくなりますよ」・・まさにその通りでした
帰りは、管理の方に弦巻通りに出ようとお聞きしたら、親切にも門の外の分かれ道まで送ったくださりました。
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言われたままに、脇目を振らずにまっすぐに南下していくと、
なんと、お目当ての赤丸ベーカリーにつきました。
わが愛車「うさちゃん号」と言う名の旧型のママチャリと
赤丸ベーカリーです
店舗の中に入ると、隣室の製造室が見えるの
店主さんは、パンを制作中
昔、高校生の時の写真を見たことがあったのですが、ハンサムだった面影が残っていました。
年寄りもずっと若く見えました。
お邪魔にならないように、お買い物をしてすぐにお店を出ました。
目の前の弦巻通りを西に向かって、大鳥神社のそばの踏切から都電の線路わたり、施設に戻りました。
施設の方に、「建物がすばらしかった。!」と報告をしました。
建物と庭はキチンと整備をされていれて、美しかったし、別棟のトイレもきれいでした。
道がわかりにくいのが難点なんですが、
是非、一度いって見ていただけるとうれしいです。
全然知らなかったです。まして入って見学してもいいなんて当時の様子もうかがい知ることができるでしょう
外観だけ見ても文化財と呼ぶのにふさわしいですね
こんなところにたたずんでみるだけでも落ち着けそう
本当に赤毛のアンが今にも飛び出してきそうな館ですね!
あちこち出かけたり、いろいろ作ったりとばたばたしていて、ブログを書く暇がなくて・・・・汗
豊島区の観光の地図などをみると、最近、整備されたので公開に力を入れているようでよく見かけます。
こんなきれいな建物だとおもいませんでした。
なかなか機会がなくて、やっと、いけました。
雑司ヶ谷は、通りから入っていくと短い坂道ばかりでびっくりしました。
雑司ヶ谷の鬼子母神の参道の途中に、「雑司ヶ谷案内処」という小さな施設があり、予約をするとボランティアのかたが、付近を案内をしてくれるそうです。
利用したいなと思いました。