山梨県立高等学校は今日3月1日が卒業式になる。
思い思いの素敵なセレモニーになったことだろう。
卒業をむかえたみなさん、おめでとうございます。
私は毎年音楽科目のない峡南高校に式典のための歌唱指導に招かれる。
機械工学科、情報ビジネス科、土木建築科、建築インテリア科・・・間違ってないかな・・・生徒たちは普通高校ではないシステムの中で資格を取りながら学ぶ。
新聞にも特徴ある教育をいかした活動や社会貢献活動、応援団の勇ましさなど記事になる。
合わせてやんちゃぶりも有名である。
毎年の事ながら、年に3日間関わるだけで、すべてを語れるわけないけれど、今日の卒業式はたぶん、あまり実例がないかもしれないと思う感動があった。
慎重に言葉を選ばないと誤解を招くかなと思いながらもまずブログに書いてみようと思う。
予行練習とは明らかに格の違う厳粛な空気。
出来るんだ・・・と思う(笑)
すでに嬉しくもあり、愛おしくもあり。
開式のあいさつがあり国家斉唱。
厳かである。
卒業生の呼称にたいし、はっきり大きな声の返事。
清々しい。
胸が熱くなります。
この当たり前が大事なのです。
校長先生、来賓の挨拶が終わり、一通りにセレモニーが進み、送辞。
そして答辞。
生徒会長が読み上げる。
凛々しくにごりのないきれいな声だ・・・と思い耳を傾けていた。
入学当時の思い起こしから感謝の言葉に続き・・・突然マイクがはずされた。
素の声・・・。
「来賓の皆様・・・皆様のおかげで今日ここに私たちがいます。
今日まで励まし導き下さいましてありがとうございました。」
来賓席に向かい卒業生一同が起立し頭を下げた。
シナリオにもない、先生方も知らない出来事。
来賓席には、中学時代の恩師や前任の校長、評議委員など。
続いて、保護者席にむかい
「今日まで育てていただきありがとうございました。毎日を支えて下さったおかげで今日があります。
本当にありがとうございました。」
保護者席に全員が深く頭を下げる。
・・・・・あっけにとられる。
さらに教職員席にむきを変える。
「お世話になりました。まだまだ甘えていたい気持ちはありますが、これ以上迷惑をかけるわけにはいきません(あまりにリアルでクスリ・・笑)今日まで本当にありがとうございました。」
私は涙があふれてきた。
最後に・・・
在校生と向き合う。
「今日まで先輩と慕い続けてくれてありがとうございました。
これからは皆さんが学校のよき伝統を引きついで下さい。」
再びマイクが持たれ、原稿通りのさいごの結びの言葉がながれた。
見事でした。
これぞ卒業式。
彼らとは3年間、歌唱指導で顔を合わせている。
先生方からはまず姿勢を正すことをしつこく指導されていた。
歌は、声を出すことからスタートだから、発声とか歌唱力とかのレベルまでいかない。
「式典にふさわしい校歌」を導くことを目標にしていた。
だから、全員が練習なくしてこの台本なしの挨拶が出来ることを「奇跡」にしか思えなかった。
生徒会長である彼の人格だろうか。
式典の終盤に蛍の光が斉唱され、いよいよ校歌。
私は生徒たちに「卒業式がよき伝統となるように」と言い続けてきた。
とりわけ式典での「校歌」は誇りとけじめを持って高らかにうたってほしいと願っていた。
前奏を祈るような気持ちで弾いた。
突然、隣同士肩を組む生徒達。
ピアノの鍵盤と生徒の動きを交互に見るという本番になった。
在校生の予行通りの歌声に卒業生の力一杯の校歌が響き渡る。
勢いでどんどん早くなる歌声。
伴奏で興奮を納めないとならない。
なんとか、なんとか無事に校歌が終わった。
一瞬で元の厳粛な空気に戻る。
しばらくドキドキが止まらなかった。
閉式のあいさつがあり、無事に卒業生が体育館から退場した。
話題になるだろう
台本のない感謝の言葉には誰もが胸を打たれたと思う。
本当に感激した。
しかし、校歌には賛否両論が生まれるだろうなぁ・・・。
あの場の校歌斉唱にあのスクラムはギリギリであった。
応援練習時の校歌に近い歌声だった。
でも私は、今回はありだと思ったよ。
なぜならば、予行練習で卒業生は在校生よりもしっかりと校歌に取り組んでいたからだ。
予行はいいかげんで式典だけのパフォーマンスならばこのような気持ちにはならない。
ここだけは在校生に伝えたい所。
今日までの感謝の気持ちはじゅうぶんに伝わった。
これからも峡南高校の厳粛でありながらも、あたたかな感謝の心が見える卒業式を伝統としてほしい。
彼らの心を感じる素晴らしい卒業式でした。
卒業生のみなさん、卒業おめでとう。
幸多い人生でありますように。
先生方、おつかれさまでした。
思い思いの素敵なセレモニーになったことだろう。
卒業をむかえたみなさん、おめでとうございます。
私は毎年音楽科目のない峡南高校に式典のための歌唱指導に招かれる。
機械工学科、情報ビジネス科、土木建築科、建築インテリア科・・・間違ってないかな・・・生徒たちは普通高校ではないシステムの中で資格を取りながら学ぶ。
新聞にも特徴ある教育をいかした活動や社会貢献活動、応援団の勇ましさなど記事になる。
合わせてやんちゃぶりも有名である。
毎年の事ながら、年に3日間関わるだけで、すべてを語れるわけないけれど、今日の卒業式はたぶん、あまり実例がないかもしれないと思う感動があった。
慎重に言葉を選ばないと誤解を招くかなと思いながらもまずブログに書いてみようと思う。
予行練習とは明らかに格の違う厳粛な空気。
出来るんだ・・・と思う(笑)
すでに嬉しくもあり、愛おしくもあり。
開式のあいさつがあり国家斉唱。
厳かである。
卒業生の呼称にたいし、はっきり大きな声の返事。
清々しい。
胸が熱くなります。
この当たり前が大事なのです。
校長先生、来賓の挨拶が終わり、一通りにセレモニーが進み、送辞。
そして答辞。
生徒会長が読み上げる。
凛々しくにごりのないきれいな声だ・・・と思い耳を傾けていた。
入学当時の思い起こしから感謝の言葉に続き・・・突然マイクがはずされた。
素の声・・・。
「来賓の皆様・・・皆様のおかげで今日ここに私たちがいます。
今日まで励まし導き下さいましてありがとうございました。」
来賓席に向かい卒業生一同が起立し頭を下げた。
シナリオにもない、先生方も知らない出来事。
来賓席には、中学時代の恩師や前任の校長、評議委員など。
続いて、保護者席にむかい
「今日まで育てていただきありがとうございました。毎日を支えて下さったおかげで今日があります。
本当にありがとうございました。」
保護者席に全員が深く頭を下げる。
・・・・・あっけにとられる。
さらに教職員席にむきを変える。
「お世話になりました。まだまだ甘えていたい気持ちはありますが、これ以上迷惑をかけるわけにはいきません(あまりにリアルでクスリ・・笑)今日まで本当にありがとうございました。」
私は涙があふれてきた。
最後に・・・
在校生と向き合う。
「今日まで先輩と慕い続けてくれてありがとうございました。
これからは皆さんが学校のよき伝統を引きついで下さい。」
再びマイクが持たれ、原稿通りのさいごの結びの言葉がながれた。
見事でした。
これぞ卒業式。
彼らとは3年間、歌唱指導で顔を合わせている。
先生方からはまず姿勢を正すことをしつこく指導されていた。
歌は、声を出すことからスタートだから、発声とか歌唱力とかのレベルまでいかない。
「式典にふさわしい校歌」を導くことを目標にしていた。
だから、全員が練習なくしてこの台本なしの挨拶が出来ることを「奇跡」にしか思えなかった。
生徒会長である彼の人格だろうか。
式典の終盤に蛍の光が斉唱され、いよいよ校歌。
私は生徒たちに「卒業式がよき伝統となるように」と言い続けてきた。
とりわけ式典での「校歌」は誇りとけじめを持って高らかにうたってほしいと願っていた。
前奏を祈るような気持ちで弾いた。
突然、隣同士肩を組む生徒達。
ピアノの鍵盤と生徒の動きを交互に見るという本番になった。
在校生の予行通りの歌声に卒業生の力一杯の校歌が響き渡る。
勢いでどんどん早くなる歌声。
伴奏で興奮を納めないとならない。
なんとか、なんとか無事に校歌が終わった。
一瞬で元の厳粛な空気に戻る。
しばらくドキドキが止まらなかった。
閉式のあいさつがあり、無事に卒業生が体育館から退場した。
話題になるだろう
台本のない感謝の言葉には誰もが胸を打たれたと思う。
本当に感激した。
しかし、校歌には賛否両論が生まれるだろうなぁ・・・。
あの場の校歌斉唱にあのスクラムはギリギリであった。
応援練習時の校歌に近い歌声だった。
でも私は、今回はありだと思ったよ。
なぜならば、予行練習で卒業生は在校生よりもしっかりと校歌に取り組んでいたからだ。
予行はいいかげんで式典だけのパフォーマンスならばこのような気持ちにはならない。
ここだけは在校生に伝えたい所。
今日までの感謝の気持ちはじゅうぶんに伝わった。
これからも峡南高校の厳粛でありながらも、あたたかな感謝の心が見える卒業式を伝統としてほしい。
彼らの心を感じる素晴らしい卒業式でした。
卒業生のみなさん、卒業おめでとう。
幸多い人生でありますように。
先生方、おつかれさまでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます