エドガー・ポーの詩「大鴉」The Raven(壺齋散人訳)
あるわびしい夜更け時 わたしはひそかに瞑想していた
忘却の彼方へと去っていった くさぐさのことどもを
かくてうつらうつらと眠りかけるや 突然音が聞こえてきた
なにかを叩いているような音 我が部屋のドアを叩く音
いったい何者なのだろう 我が部屋のドアを叩くのは
それだけで 後はなにも起こらなかった
はっきりとわたしは思い出す 12月の肌寒い夜のことを
消えかかった残り火が 床にあやしい影を描いた
夜が明けるのを願いつつ 書物のページをくくっては
わたしは悲しみを忘れようと努めた レノアを失った悲しみを
類まれな美しさの少女 天使がレノアと名づけた少女
彼女は永遠に失われたのだ
紫色のカーテンの かすかな絹のさやめきが
それがわたしを脅かし 感じたことのない恐れで包んだ
震える心を静めるため わたしは立ったままつぶやき続けた
誰かが部屋の扉をたたき 中へ入ろうとしている
深夜に部屋の扉をたたき 中へ入ろうとしている
そうだ それ以上ではない
やがて気持を持ち直し ためらうことなくわたしはいった
紳士にせよ淑女にせよ 是非あなたのお許しを請いたいと
だが実は夢見心地で あなたの近づくのを感じていた
あなたは軽い足音をたて わたしの部屋の扉を叩く
あまりにかすかで聞き取れぬ音に わたしは扉を開け放った
扉の外は闇で 他にはなにも見えなかった
深い闇の中を覗き込みながら わたしはいぶかり立ち尽くした
誰もあえて見ることを 望まない夢のような気がして
沈黙は破られず 闇には何の兆候も見えない
ただひとつ言葉が発せられた レノアとささやく言葉が
わたしが発したその言葉は 闇の中をこだまする
これだけで 後は何も起こらなかった
心を熱くたぎらせながら 部屋の中に戻っていくと
再びこつこつという音が聞こえた 今までよりも大きな音が
たしかにこれは だれかが窓格子を叩く音だ
いったい何事が起きているのか その様子を確かめてみよう
心をしばし落ち着かせて その様子を確かめてみよう
だがそれは風の音 それ以上ではなかった
わたしが格子を押し開けるや バタバタと羽をひらめかせて
大きな烏が飛び込んできた 往昔の聖なる大鴉
傲岸不遜に身を構え ひとときもおとなしくせず
紳士淑女然として 扉の上にとまったのだ
わたしの部屋の扉の上の パラスの胸像の上に
とまって座って それだけだった
この漆黒の鳥を見て わたしの悲しみは和らいだ
気品に溢れた表情が おごそかでいかめしくもあったゆえに
お前の頭は禿げてはいるが 見苦しくはないとわたしはいった
夜の浜辺からさまよい出た いかめしい古の大鴉
冥界の浜辺に書かれているという お前の名はなんと言うのか
大鴉は応えた ネバーモア
この無様な鳥が明確にものをいうのに わたしは大変驚いた
たとえその言葉には意味がなく 何を言っているかわからぬとしても
だがこんな鳥が自分の部屋の 扉の上にいるのは素敵だ
扉の上の胸像の上に 不思議な名前の鳥がいるのは
ネバーモアという名の鳥が
大鴉がいったのはただそのひとこと 塑像の上に孤立しながら
その言葉にまるで 己の魂をこめたように
それ以上大鴉はものいわず 羽を動かすこともなかった
そこでわたしはつぶやいたのだ 以前にも同じようなことがあった
それは夜明けとともに去ってしまった 希望が去っていったように
すると大鴉はいったのだ ネバーモア
かくも時を得た答えに 沈黙が破られたのに驚き
わたしはいった 疑いもなく これがこの鳥のただひとつの言葉
それは不運な飼い主から教わった言葉 そうだその男は
過酷な運命によって これでもかこれでもかと打ちのめされ
もはや口に上る言葉といえば ただひとこと
ネバー ネバーモアのみ
それでも大鴉がこの哀れな心を 慰めてくれようとするのを見て
わたしは大鴉の目の前に 安楽椅子を引いていっては
深々とクッションにうずまりながら あれこれと想像を回らした
この大昔の不吉な鳥は 陰鬱で 無様で いやらしい
この不吉な鳥はわめきながら いったい何を言いたいのかと
ネバーモアということばで
あれこれと思い測りつつ 一言も発することのないうちに
大鴉の目の炎が わたしの心の中にまで燃え広がる
それでもわたしは考え続ける 頭を椅子の背に凭せかけながら
その椅子の背にはランプの光が ビロードの生地を照らし
そのランプの光に照らされた 椅子の背には彼女が
もう身をゆだねることはないのだ
すると空気が密度を濃くし どこからともなく匂いがただよい
香炉を振り回す天使たちの 足音が床に響く
やれやれこの天使たちは 神がわたしに差し向けたのか
この匂いはレノアへの思いを 和らげるための妙薬の匂いか
この妙薬を飲み干せば 辛い思いが忘れられるのか
大鴉が答えた ネバーモア
邪悪な預言者よ 鳥であれ悪魔であれ
誘惑者であれ 難破した漂流者であれ
孤高で不屈なものよ どうか言ってくれ
この呪われた砂漠のような地に 幽霊たちの住処のような家に
果たしてギレアドの香木が 存在するかどうか言ってくれ
大鴉は答えた ネバーモア
邪悪な預言者よ 鳥であれ悪魔であれ
あの聖なる天蓋にかけて 父なる神の名にかけて
この悲しみに打ち沈んだ魂にいってくれ はるかなエデンの園のうちで
天使がレノアと呼んだ娘を 果たして見ることがあろうかと
かの類いまれな美しき少女 天使がレノアと呼んだ娘を
大鴉は答えた ネバーモア
もうたくさんだ わが仇敵よ わたしは飛び上がって叫んだ
去れ 嵐の中へ または暗黒の冥界の海辺へ
形を残さずに消えろ お前の言葉の余韻も残さず
わたしを孤独の中に放っておけ その場から消えていなくなれ
わたしのこころを静かなままにして その場から消えていなくなれ
大鴉は答えた ネバーモア
すると大鴉は飛び回ることなく じっと動かずにうずくまったまま
扉の上の塑像の上に 乗ったままの姿勢を保ち
目はうっとりと閉じられて 夢を見る悪魔のよう
ランプの光に照らされて 身は床の上に影を落とし
わたしはその影の中から 抜け出そうとするが
もはや抜け出すこともままならないのだ
日本ではカラスといえば、日本武尊を熊野から大和まで道案内した三本足の八咫烏(やたがらす)が有名であり、この場合の烏は太陽の化身にたとえられる。
しかし、ポーの「大烏」は邪悪な預言者であり、冥界の府・ハデスの使いでもありその象徴は極めて不吉であり鬱々としている。
私の住んでいる地域にも生ごみの出る木曜日には、ハシボソガラスが不気味な声をはりあげながら漆黒の羽で獲物を狙って来る。ビニール製の烏の死体を吊り下げても烏はやがて慣れてきてまた群れて襲来してくるのだ。昔は髪の毛や魚の頭を焼き、串にさして田畑にさしてその悪臭で鳥や害獣を追い払った。このことを「嗅がし(かがし)」と呼びやがて「かかし」と清音化されたようである。
また昔の神話に出てくるが、ノアの方舟のノアは白い烏に洪水の様子を見てくるように指図した。しかしその烏がすぐに帰らなかったため、体を黒く変えられ、永遠に腐肉を食べるようにさせられたのである。
とっても前置きが長くなったが、昨日、フォーラムで「推理作家ポー 最後の5日間」を観た。
ボルティモアを震撼させた猟奇的殺人事件を題材にしている。犯人はポーの作品をなぞった模倣犯である。
愛し合うポーと恋人のエミリー。エミリーの父が仮面舞踏会を開いたことがきっかけでエミリーが犯人に誘拐されてしまう。
果たして彼女は無事救出されるのか?犯人は誰なのか? 謎解きへの興味が作品にどんどん引き込んでいく。
死と恐怖と鴉の映像が観る者に戦慄をもたらすこと請け合いである。ポーの人生の現実と幻想の狭間で私たちは混乱へと導かれるのか。
江戸川乱歩やシャーロックホームズを生み出したコナン・ドイルに多大なる影響を与えたエドガー・アラン・ポーの人生を垣間見て欲しい。