僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

アケビ

2008-09-30 13:30:25 | Weblog

野草園のミツバアケビです。
子供の頃アケビ採りに夢中になった時期がありました。
 名前は、実が熟して割れたさまが、人の「あくび」 に似ていることから「あけび」に変化していきました。
 また、実は熟してくるとぱっくり口をあけたように
裂けることから、「開け実」→「あけび」になった、
という説もあります。

愛媛県松山生まれの俳人、河東碧梧桐は芭蕉を意識して漂白のたびに出て、山形県上山市で次のような文章を「三千里」の中に残しています。
十月一日 晴れ
最上川を渡った清水という処で通草(あけび)を売ってる。三つ一銭である。通草は去年の秋から食いたいと思うておった。実が赤いという句を作って誰かに笑われたことがあるが、それでもまだ何やら色づいておるように思うて落着かなかった。ことし夏十和田で通草の花を教えられて、小さくはあるが紫色が如何にも濃いのを美しいと見て、通草の実もこのように紫であろうときめておった。そとの皮は想像通り紫色ではあるが、どこやら濁っておって打身の跡らしいイヤな処がある。中からは僧正の衣のような艶々する紫が現われると予期して二つに殻を割って見ると、禰宜の袖のような純白な実が出たので拍子抜けをする。実は軟かくて甘い。ただ黒い小さな種が無暗とあるだけが、バナナと趣きの違う処である。

 十月三日。晴。
通草(あけび)は中の実よりも外の皮の方がうまいとのことで、きょう旧知己の数人寄った席上で、その馳走があった。油でいためて、中へ味つけ味嗜を詰めて焼いたものじゃ。柚味噌(ゆみそ)に似たこしらえかたであるが、別に通草味噌という名もないそうじゃ。已むなくんぽ名古屋の鰡饅頭(いなまんじゆう)にかたどって、通草饅頭とでも言えばよかろうと思う。少し苦味があって柔かい。到底脱俗なものである。

 10月3日アケビを食べたと書いていますが、私のおふくろもアケビ料理が得意です。干したアケビの皮をゆでて、中に人参、ごぼう、油揚げの千切りと豆、きのこをいれて、干瓢で結びます。それをなべに油を引いた上にならべて少しいためてから水、しょうゆ、砂糖を入れて煮詰めます。皮の食感と苦味が大人の味で、さまざまな食材の味がしみて美味しいです。
 アケビを生の状態で食べたいときは、中のゲル状の実を食べた後、皮を油で揚げます。次に油で揚げたアケビの中にいためた味噌、舞茸、ひき肉などを入れてO,Kです。香ばしく、苦味があって美味しいですよ。
 実は種が多く食べずらいので、漬物を漬けるとき、甘みとして加えるのもいいでしょう。しかし夢中になって山で遊んだ少年の頃のようにしみじみと味わうのが最もいい選択です。












ポール・ニューマンさん天国へ旅立つ

2008-09-28 23:58:49 | Weblog
 9月27日、俳優で慈善家のポール・ニューマンさんが逝去されました。
ニューマンさんの財団のロバート・フォレスター(Robert Forrester)氏は、「演技はポール・ニューマンの作品だった。カーレースは彼の情熱だった。家族と友人は彼の愛だった。そして彼の心と魂は、すべての人にとって世界がよりよい場所になるように捧げられていた」と語りました。
 1961年作の「ハスラー」では渋く、タフでかっこいいエディを演じました。
1969年の「明日に向かって撃て」では実在の強盗団をモデルに、行動力があり大胆なリーダー、ブッチ・キャンディを演じきりました。1973年公開のスティングもロバート・レッドフォードと見事に息の合った共演を果たし、最後の大どんでん返しには度肝を抜かれたものです。
 ポール・ニューマンさんのご冥福をお祈りいたします。


クローズド・ノート

2008-09-27 22:20:42 | 映画
日本映画専門チャンネルで「クローズド・ノート」を見ました。

 小学校教員志望の大学生・堀井香恵(沢尻エリカ)は、アルバイト先の「今井文具堂」で万年筆を買いに来たイラストレーター・石飛隆作(伊勢谷友介)と出会います。香恵は絵を描くのに最適な万年筆を探す石飛に、次第に惹かれていきます。

 香恵の家には、その家の前の住人の忘れ物と思われる一冊のノートがありました。初めは読むつもりはありませんでしたが、友人の葉菜が留学したこともあり、ふと寂しさに襲われた香恵はそのノートを読んでしまいます。

 そこには、そのノートを置き忘れた前の住人で小学校教師・真野伊吹(竹内結子)と生徒達との交流の日々、そして最愛の人“隆”への溢れる想いが綴られていました。

 ノートを読み進めていく内に香恵は、伊吹の考え方・生き方に共感するようになっていきます。

 不思議なことにノートの最後の1ページが切り取られていました。
そのページはお別れ会の後、伊吹が紙飛行機にして教室から飛ばしていたのです。

 そのページに綴られていた文章を紹介します。

大げさなことかもしれないけど、出逢いというのは、運命の糸でつながれているからあるんだと思う。限りあるめぐり合いのなかで出逢うのだから、それは奇跡だと言ってもいい・・・あなたと出逢うずっとまえの私は、この教え子たちと同じ夢見る少女でした。でもこんなに幸せな今の自分は想像できなかった。夢なら永遠に覚めないで欲しい。でも是が現実なら一瞬でも構わない。私は生きてきてよかったって言える・・・こうやってあなたのことを考えると何だかあたたかい気持ちなれる。・・・・あなたは私にとって陽だまりです。一見冷たそうで、でも本当は心の芯が太陽のように温かい。そう思うのはきっと私だけじゃなくてあなたにはそんな魅力があります。それはあなたの絵にも感じること。あなたのその才能と魅力をわかってくれる人たちがこれからもきっと沢山現れて、その中であなたが光り輝く。それを隣で見守ることができたら最高に幸せ。ねえ、隆・・・私はあなたに出逢えて本当に良かった。



秋の月

2008-09-27 20:43:56 | Weblog
秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべき事なり。(徒然草 第212段)

訳  秋の月は、この上もなくすばらしいものである。いつであろうとも月とはこんなものだと思って、ほかの季節と違う思いで月を見分けられないような人は、ひどく情けない心をしているに違いない。

古代の人は、自然に対する感性を「風流のわかる人」とか「情趣を解する心」などと呼んで何よりも美徳としたのです。特に月は秋の月が最高とされ、団子、薄、里芋を供えて月を愛でる十五夜と枝豆、栗などを供えて月をまつる十三夜が重んじられてきました。

逢瀬

2008-09-24 23:48:45 | Weblog
「逢瀬」とは、<恋人同士が密かに会う機会>という意味です。
「瀬」とは「淵」の対義語で、川の浅いところ、流れが急なところになります。
その急流のイメージが<ぎりぎりの状況、機会、立場>を表すようになりました。
「年の瀬」、「立つ瀬がない」、「遣る瀬無い」の「せ」もそんな感じになります。
「デート」よりも「逢瀬」のほうが古めかしい言葉ですが、逼迫感があり緊張感でいっぱいになります。「逢い引き」というと尚、秘め事感が増すような気がします。

ごはんの供

2008-09-24 00:53:01 | Weblog
23日テレビでシェフがお勧めのご飯の供が紹介されていました。


博多、鳴海屋の昆布めんたいです。120g1575円で昆布と明太子のハーモニーが絶妙だそうです。


新潟妙高、赤倉温泉のヴィラ・モンルポの「ふきみそ」と「からみそ」です。
一瓶550円ですが、「ふきみそ」は現在完売と表記されていました。山形では春にふきのとう味噌をよく食べます。似たような味なのかなあ。

他に大阪「花錦戸」の「まつのはこんぶ」も出てきました。80g2100円とちょっとお高いのですが、スッポンの出汁で炊いているので、ごはんにのせるとふわ~っと出汁の香りが漂うそうです。山椒もきいていて、お茶漬けも最高らしいです。
一般の人が好むごく普通のご飯の供は1位明太子、2位納豆、3位うめぼし、4位のり、5位鮭フレークの順番でした。武田裕子アナウンサーは納豆に大根おろしをかけ、ごはんにのせて召し上がるそうです。
私の大学の頃からのご飯の供は「納豆シーチキンたまご」です。
ひきわり納豆にシーチキンを入れよく混ぜ生卵も混ぜて、ごはんに乗っけるのです。するするっと喉ごしよく食べられて、栄養も満点でした。
「美味しんぼ」に出てくる山岡士郎のご飯の供は確か「うそっ!」というぐらいたくさんの鰹節をいれたねぎ味噌を一晩寝かせたものだったなぁ。

卵黄の味噌漬けごはん

2008-09-23 11:23:18 | Weblog
むかし「美味しんぼ」のなかで海原雄山の至高のメニューが考案した卵黄の味噌漬けをアレンジした料理が、グラフィックデザイナー鈴木道子さんのブログで紹介されていました。
作り方
①赤味噌にガーゼを敷き、すりこぎで窪みを作る

②窪みに卵黄を入れガーゼをかぶせて赤味噌をのせる

③4~5日で固まって味噌漬けができる

④あたたかいご飯に刻み海苔と小ネギをのせ、好みの量の味噌と卵黄をごはんにのせる

琥珀色した卵黄がトロリとして見るからに美味しそうです!

夜間学校

2008-09-23 00:07:24 | Weblog
1993年作、山田洋次監督の「学校」を久しぶりにテレビで観ました。
個性的な、余りにも個性的な俳優田中邦衛が人間味あふれるイノさん役で、設定が山形県人らしく、不器用で気前の良い山形人を好演していました。
田中邦衛自身、山形の人情、食べ物、温泉、風景が気に入っており、年に2,3回訪れているそうです。
イノさんの死をきっかけに幸福とは何かについてみなで話し合うシーンがありました。私はお金がなくても愛してくれる誰かがいるという安心感で生きていけると思いました。だからイノさんも大勢の仲間、先生に囲まれて修学旅行や授業を体験できたことが彼にとっての幸せだったのだと思います。
いつも金儲けに汲々として野禽の囀りや野の花の美しさに気づかない人もどこか幸せではないんじゃないかと考えます。そして
日日是好日というがごとく、良い日もそうでない日も楽しんで過ごすことができる、ちょっと尊んだ生き方も有りかなと思うんです。