僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

淡い民さんでランチ

2012-10-30 14:14:12 | 食べ物
山形大学の北にある【淡い民】のランチです!

妻は特大エビフライ定食980円


父は気まぐれ定食700円、本日は焼肉カルビ丼


私はエビとんスペシャル850円


ボリューム満点でとっても美味しく満足でした



月曜日⇒コーヒー無料!おかわり自由です
火曜日⇒カルボナーラ 700円が650円!
水曜日⇒ソフトドリンク150円が100円
木曜日⇒3名様~女性グループのお客様 マンゴーオレンジorマンゴーオーレをお一人様1ドリンクサービス
金曜日⇒ウーロン茶無料!おかわり自由です
土曜日⇒4人以上でご来店のお客様はお一人様50円引き!



実力が優劣つけがたいときに使う言葉

2012-10-29 16:04:15 | ことば
歴史上のライバルで有名なのは、川中島で戦を繰り広げた武田信玄と上杉謙信であろう。

互いの実力が拮抗しており勝敗がつかなかった。このように二人の実力に差がなく、優劣をつけられないときに使う言葉に互角がある。「互角に張りあう」とか「互角に渡りあう」などと使う。

互角の語源は牛の左右の角は長短・大小の差がないことから、二つのものが同等であることを言うようになった。互角互格と誤用しないようにしたい。 室町時代以前は互角牛角といったらしい。

互角と同じような言葉に伯仲がある。「実力伯仲」などと使う。
伯仲の「伯」は兄弟の序列で最年長の人を表す。「仲」は序列で中にあたる人、次兄をさし、兄弟の年齢を上から順に「伯」、「仲」、「叔」、「李」という。
伯仲は本来、長男、次男を表した言葉だが、このふたりに大きな差がないことから、力が接近し優劣のつけがたい状態を伯仲と表するようになった。


もうひとつ似た言葉に匹敵がある。比肩などよりも一般的に良く使う言葉だ。
「匹」は象形文字で、並んでいる二頭の馬の胸元を線で書いたものとされている。夫婦のことを匹偶(ひつぐう)などということからもわかる。
つまり匹敵とは、敵と並ぶ(ほどの力を有する者)と言う意味である。


出羽屋でのきのこ料理

2012-10-29 11:13:15 | 食べ物
 昨日の日曜は生憎の小雨、大井沢への紅葉狩りは100パーセント満喫とはなりませんでしたが、深山を分け入る気分は、平家落人のそれとは相反するものでした。

雨に煙る錦繍の山々です。










旧大井沢小学校で開催されている「きのこ祭り」の会場ににも赴きましたが
昼近くになったのできのこはすべて売り切れで買うことができませんでした。豚団子を食べて「かほり米」を購入して大井沢を後にしました。


 昼食は旅館も営んでいる山菜料理の店「出羽屋」へ。きのこ料理三昧という馳走の酒肴に与かりました。妻の祖父のお気に入りだったお店です。




ブナカノカ(シメジ)、アケビ、干し蕨の三点盛り


モダシ


菊と木耳のくるみ和え


コゴミの胡麻和えと食用紅花のお浸し


蕨の一本漬け


六条豆腐となめこのお吸い物


きのこたっぷりの芋煮

こんな鍋に出てきます。


最後に温かい蕎麦


妻は冷たい蕎麦


息子は「スス茸」入りご飯


器もGoodです。










部屋から眺めるお庭もなかなか趣がありました。





出羽屋をでたあと、水沢温泉に浸かり、月山名水館でお土産の木耳やらナメコやら求めて
帰途につきました。

スバル

2012-10-26 22:16:14 | 薀蓄
 明治時代に発刊された雑誌に「スバル」という文芸誌がある。森鴎外、与謝野鉄幹、与謝野晶子らが中心になって、石川啄木、吉井勇、木下杢太郎、北原白秋らが盛んに投稿した。この「スバル」は仮名書きなので英語かと思いがちだが、実際は純粋な日本語である。
 枕草子の236段に
「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」とある。

意味は「星はすばる、ひこぼし(アルタイル)、宵の明星(金星)が良い。流れ星も少し趣がある。尾を引かなければもっとよいのだけれど。」となる。

この「すばる」は「昴」でプレアデス星団のことであり、六連星(むつらぼし)ともいわれる。




 すばる(統ばる)やすまる(統まる)は、元来他動詞「すべる(統べる)」に対する自動詞形であり、「統一されている」、「一つに集まっている」という意味を持つ。
富士重工業の自動車ブランド名「スバル」は、やはりプレアデス星団のことで、もともと富士重工業が中島飛行機系の「富士工業」・「富士自動車工業」・「大宮富士工業」・「宇都宮車輌」・「東京富士工業」を吸収合併して六連星になったのである。


 核融合の速度が速いため寿命が比較的短いとされる昴。谷村新司は次のように歌っている。

「さんざめく名もない星たちよ~♪」

「砕け散る運命の星たちよ~♪」


秋を彩る花々

2012-10-26 16:09:55 | 
 秋の花は、春のそれより華やかさはないが趣があると思う。
家に咲く「ミゾソバ」と「クサギ」。




クサギは葉に独特な臭気があるのでその名があるが、茶にもなるし茹でれば食することもできるらしい。羽子板の羽根のような形の実が付く。
中央が青い実で外側のピンクは萼である。藍と同じように媒染剤なしで布を青く染めることができる。


 次はNさんの庭の鉢植え。イワシャジンと大文字草とサルビア




イワシャジンはキキョウ科ツリガネニンジン属、薄紫の釣鐘形の花が愛らしい。





 
 最後にAさんの花

クマツヅラ科ムラサキシキブ属のコムラサキ(コシキブ)


春に咲く白い花が満天星のようなのでその名がついたドウダンツツジ(満天星躑躅)。
秋の葉の紅葉も鮮やかで見事!



黄色の花弁と赤色の萼が美しいアブチロン(ウキツリボク)




 以上、何となく秋を感じていただけたかな?




本シメジ

2012-10-24 16:44:02 | 食べ物
昨日の夕餉は「ホンシメジ」を使って妻が腕を振るってくれました。

ホンシメジと牛肉、山形産里芋が入った芋煮。


ホンシメジのシャキシャキ感がたまらないです!


鮭とホンシメジのアルミホイール焼き

バター風味で、ホンシメジのしっかりした味も嬉しいです。

山形の誇る「つや姫」のご飯

白さと艶が際立ち、冷めても粘りがあり美味しいです。
今年度の「つや姫」は猛暑にもかかわらず、一等米が97パーセント以上という優れもの。

それと小松菜のお浸し


秋はやっぱり、物思いに耽る秋というより食欲をそそられる秋と形容したいところでしょう。


松茸ご飯

2012-10-23 10:53:44 | 食べ物
 昨日の夕飯は旬の松茸がいくばくか入っているものを頂くことができました。

香りはやはり幸せなドーパミンを引き出してくれて、味も旨みが凝縮されている気がしました。

日本人に生まれて良かったと思える瞬間です。 ポークソテーと切干大根の煮つけとともに食しました。





 そして今日実家に届ける岩手産の松茸が宅急便で届きました~

我々家族は匂いのみで、現物はすぐにクロネコの当日便で実家に送りました。

けれど私たち家族も味シメジと言われる「本シメジ」を頂くのです。

どんな料理に化けるのかな~ 楽しみだな~


蔵王ライザワールドレストラン

2012-10-22 12:05:00 | 紅葉
昨日の日曜日は紅葉を楽しみに行ってきました。天気は快晴とはいかず、晴れ時々曇りです。

道のりの途中にコスモスが咲き誇っていました。




蔵王坊平の紅葉は丁度見ごろでした。








風景を愛でながら、ピザを楽しみました。

妻はマルゲリータ


私はナスボローネ


耳がパリパリで美味しかったです!

エドガー・アラン・ポー

2012-10-17 16:35:19 | 
エドガー・ポーの詩「大鴉」The Raven(壺齋散人訳)

  あるわびしい夜更け時 わたしはひそかに瞑想していた
  忘却の彼方へと去っていった くさぐさのことどもを
  かくてうつらうつらと眠りかけるや 突然音が聞こえてきた
  なにかを叩いているような音 我が部屋のドアを叩く音
  いったい何者なのだろう 我が部屋のドアを叩くのは
  それだけで 後はなにも起こらなかった

  はっきりとわたしは思い出す 12月の肌寒い夜のことを
  消えかかった残り火が 床にあやしい影を描いた
  夜が明けるのを願いつつ 書物のページをくくっては
  わたしは悲しみを忘れようと努めた レノアを失った悲しみを
  類まれな美しさの少女 天使がレノアと名づけた少女
  彼女は永遠に失われたのだ

  紫色のカーテンの かすかな絹のさやめきが
  それがわたしを脅かし 感じたことのない恐れで包んだ
  震える心を静めるため わたしは立ったままつぶやき続けた
  誰かが部屋の扉をたたき 中へ入ろうとしている
  深夜に部屋の扉をたたき 中へ入ろうとしている
  そうだ それ以上ではない

  やがて気持を持ち直し ためらうことなくわたしはいった
  紳士にせよ淑女にせよ 是非あなたのお許しを請いたいと
  だが実は夢見心地で あなたの近づくのを感じていた
  あなたは軽い足音をたて わたしの部屋の扉を叩く
  あまりにかすかで聞き取れぬ音に わたしは扉を開け放った
  扉の外は闇で 他にはなにも見えなかった 

  深い闇の中を覗き込みながら わたしはいぶかり立ち尽くした
  誰もあえて見ることを 望まない夢のような気がして
  沈黙は破られず 闇には何の兆候も見えない
  ただひとつ言葉が発せられた レノアとささやく言葉が
  わたしが発したその言葉は 闇の中をこだまする
  これだけで 後は何も起こらなかった

  心を熱くたぎらせながら 部屋の中に戻っていくと
  再びこつこつという音が聞こえた 今までよりも大きな音が
  たしかにこれは だれかが窓格子を叩く音だ
  いったい何事が起きているのか その様子を確かめてみよう
  心をしばし落ち着かせて その様子を確かめてみよう
  だがそれは風の音 それ以上ではなかった

  わたしが格子を押し開けるや バタバタと羽をひらめかせて
  大きな烏が飛び込んできた 往昔の聖なる大鴉
  傲岸不遜に身を構え ひとときもおとなしくせず
  紳士淑女然として 扉の上にとまったのだ
  わたしの部屋の扉の上の パラスの胸像の上に
  とまって座って それだけだった

  この漆黒の鳥を見て わたしの悲しみは和らいだ
  気品に溢れた表情が おごそかでいかめしくもあったゆえに
  お前の頭は禿げてはいるが 見苦しくはないとわたしはいった
  夜の浜辺からさまよい出た いかめしい古の大鴉
  冥界の浜辺に書かれているという お前の名はなんと言うのか
  大鴉は応えた ネバーモア

  この無様な鳥が明確にものをいうのに わたしは大変驚いた
  たとえその言葉には意味がなく 何を言っているかわからぬとしても
  だがこんな鳥が自分の部屋の 扉の上にいるのは素敵だ
  扉の上の胸像の上に 不思議な名前の鳥がいるのは
  ネバーモアという名の鳥が

  大鴉がいったのはただそのひとこと 塑像の上に孤立しながら
  その言葉にまるで 己の魂をこめたように
  それ以上大鴉はものいわず 羽を動かすこともなかった
  そこでわたしはつぶやいたのだ 以前にも同じようなことがあった
  それは夜明けとともに去ってしまった 希望が去っていったように
  すると大鴉はいったのだ ネバーモア

  かくも時を得た答えに 沈黙が破られたのに驚き
  わたしはいった 疑いもなく これがこの鳥のただひとつの言葉
  それは不運な飼い主から教わった言葉 そうだその男は
  過酷な運命によって これでもかこれでもかと打ちのめされ 
  もはや口に上る言葉といえば ただひとこと
  ネバー ネバーモアのみ

  それでも大鴉がこの哀れな心を 慰めてくれようとするのを見て
  わたしは大鴉の目の前に 安楽椅子を引いていっては
  深々とクッションにうずまりながら あれこれと想像を回らした
  この大昔の不吉な鳥は 陰鬱で 無様で いやらしい 
  この不吉な鳥はわめきながら いったい何を言いたいのかと
  ネバーモアということばで

  あれこれと思い測りつつ 一言も発することのないうちに
  大鴉の目の炎が わたしの心の中にまで燃え広がる
  それでもわたしは考え続ける 頭を椅子の背に凭せかけながら
  その椅子の背にはランプの光が ビロードの生地を照らし
  そのランプの光に照らされた 椅子の背には彼女が
  もう身をゆだねることはないのだ

  すると空気が密度を濃くし どこからともなく匂いがただよい
  香炉を振り回す天使たちの 足音が床に響く
  やれやれこの天使たちは 神がわたしに差し向けたのか
  この匂いはレノアへの思いを 和らげるための妙薬の匂いか
  この妙薬を飲み干せば 辛い思いが忘れられるのか
  大鴉が答えた ネバーモア

  邪悪な預言者よ 鳥であれ悪魔であれ
  誘惑者であれ 難破した漂流者であれ
  孤高で不屈なものよ どうか言ってくれ
  この呪われた砂漠のような地に 幽霊たちの住処のような家に 
  果たしてギレアドの香木が 存在するかどうか言ってくれ
  大鴉は答えた ネバーモア

  邪悪な預言者よ 鳥であれ悪魔であれ
  あの聖なる天蓋にかけて 父なる神の名にかけて
  この悲しみに打ち沈んだ魂にいってくれ はるかなエデンの園のうちで
  天使がレノアと呼んだ娘を 果たして見ることがあろうかと
  かの類いまれな美しき少女 天使がレノアと呼んだ娘を
  大鴉は答えた ネバーモア

  もうたくさんだ わが仇敵よ わたしは飛び上がって叫んだ
  去れ 嵐の中へ または暗黒の冥界の海辺へ
  形を残さずに消えろ お前の言葉の余韻も残さず
  わたしを孤独の中に放っておけ その場から消えていなくなれ
  わたしのこころを静かなままにして その場から消えていなくなれ
  大鴉は答えた ネバーモア

  すると大鴉は飛び回ることなく じっと動かずにうずくまったまま
  扉の上の塑像の上に 乗ったままの姿勢を保ち
  目はうっとりと閉じられて 夢を見る悪魔のよう
  ランプの光に照らされて 身は床の上に影を落とし
  わたしはその影の中から 抜け出そうとするが
  もはや抜け出すこともままならないのだ


日本ではカラスといえば、日本武尊を熊野から大和まで道案内した三本足の八咫烏(やたがらす)が有名であり、この場合の烏は太陽の化身にたとえられる。
しかし、ポーの「大烏」は邪悪な預言者であり、冥界の府・ハデスの使いでもありその象徴は極めて不吉であり鬱々としている。

私の住んでいる地域にも生ごみの出る木曜日には、ハシボソガラスが不気味な声をはりあげながら漆黒の羽で獲物を狙って来る。ビニール製の烏の死体を吊り下げても烏はやがて慣れてきてまた群れて襲来してくるのだ。昔は髪の毛や魚の頭を焼き、串にさして田畑にさしてその悪臭で鳥や害獣を追い払った。このことを「嗅がし(かがし)」と呼びやがて「かかし」と清音化されたようである。

また昔の神話に出てくるが、ノアの方舟のノアは白い烏に洪水の様子を見てくるように指図した。しかしその烏がすぐに帰らなかったため、体を黒く変えられ、永遠に腐肉を食べるようにさせられたのである。



とっても前置きが長くなったが、昨日、フォーラムで「推理作家ポー 最後の5日間」を観た。


ボルティモアを震撼させた猟奇的殺人事件を題材にしている。犯人はポーの作品をなぞった模倣犯である。
愛し合うポーと恋人のエミリー。エミリーの父が仮面舞踏会を開いたことがきっかけでエミリーが犯人に誘拐されてしまう。


果たして彼女は無事救出されるのか?犯人は誰なのか? 謎解きへの興味が作品にどんどん引き込んでいく。

死と恐怖と鴉の映像が観る者に戦慄をもたらすこと請け合いである。ポーの人生の現実と幻想の狭間で私たちは混乱へと導かれるのか。

江戸川乱歩やシャーロックホームズを生み出したコナン・ドイルに多大なる影響を与えたエドガー・アラン・ポーの人生を垣間見て欲しい。


白鷹ヤナ公園 あゆ茶屋→鷹野湯温泉「パレス松風」

2012-10-15 19:37:36 | ドライブ
 10月14日、日曜日は息子と実家に遊びに行きました。栗おこわやお刺身、そしてラザニアのようなドリアのようなナスの料理を堪能しました。

 13時ごろ兄夫婦と姪3人とで白鷹ヤナ公園のあゆ茶屋にて鮎と戯れました。姪たちの写真を撮る瞬間、若鮎がピチピチ跳ね上がりました。ラッキーです!




簗場を上方から眺めた光景です。


鮎の塩焼きと豆腐の田楽を食べました。

 その後、鷹野湯温泉、パレス松風で温泉に入りました。赤松林を見下ろしながら、ややぬるめの大浴場の湯ににゆっくりとつかったらぽかぽかあったまってきました。岩造りの露天の湯も快適でした。