僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

アルミの弁当

2008-11-27 22:04:07 | Weblog

今日の山形新聞に掲載された4コマ漫画です。父と娘が互いの弁当を取り違えて持っていってしまいました。父は娘の弁当のおかずの多さに驚き、娘は父の弁当が日の丸弁当であった事に気づき同情の念を覚えるのでした。
不景気の中、一頃ワンコイン亭主なる500円しか持たされないお父さん方が流行りましたが、梅干一個の日の丸弁当はないですよね。

弁当で思い出したのですが、私の子供の頃、冬は学校でだるまストーブを使っていました。そんな寒い時期の兄の学校での出来事です。
冬寒いので昼食までに弁当は冷え冷えとしてしまうのでした。そこでアルミの弁当をだるまストーブの上にのせ温めるのが習慣化しておりました。
ある日プ~ンと異様なくっさい臭いが漂ってきたのです。兄はだるまストーブにのった自分の弁当を恐る恐る開けてみました。そして驚きました。
なんとご飯の上にびっしりと納豆味噌(納豆を味噌で溶いて、時に鰹節をまぜたもの)が敷き詰められていたのです。
「何も弁当に入れなくても・・・」
と思いましたが、心優しき兄は、一言も文句を言わず、
「みんなに笑わっちゃけは(笑われてしまった)」と
笑い話のようにカモフラージュしていました。
おかずのバリエーションが少ない古き良き時代のお話でした。

鴎外の娘・杏奴と中勘助

2008-11-27 21:34:20 | Weblog
平成18年4月18日の新聞に森鴎外の二女・小堀杏奴(こぼりあんぬ)宛てに、中勘助が書き送った未公開書簡159通が見つかった記事が掲載されていました。

彼らは創作上の敬意で結びついていました。杏奴は勘助の「銀の匙」に強く惹かれ、勘助も杏奴が書いた「晩年の父」を高く評価していました。二人の作品には、何気ない日常の出来事に対する哀惜の念、過去の喪失感が漂います。心の空洞を互いに理解し合ったのではないでしょうか。



私も父である森鴎外と尊敬する中勘助を心底慕った小堀杏奴がいとおしく、直筆葉書を購入してしまいました。


11月27日

2008-11-27 20:53:49 | Weblog
今日は旧暦の十月三十日で「小春」にあたります。
「小春」とは陰暦10月の異名。秋から冬に移る暖かい日に用いる言葉です。
そんな小春日和の似合う、暖かく穏やかな気候でした。

月山が雪を頂き女性的な優しい表情をしていました。


カツ丼

2008-11-26 21:25:06 | Weblog
本日の夕食は私の大好物「カツ丼」です。今回は見習いとして、カツを揚げたり、切ったり、熱々のご飯をよそってカツを乗せたりと裏方に徹しました。

フライパンで玉ねぎと舞茸をいためて、出し汁と醤油とみりん、酒、を加え切ったカツを入れて、卵を流し込むまでの過程を妻が行いました。

セリと紅しょうがをのせて完了です。玉ねぎの甘みと、高貴な出汁の味と、そしてなにより香ばしくジューシーな豚の脂に満足できました。


いぎたない

2008-11-26 20:44:15 | Weblog
 紛らわしいことばに「いぎたない」というのがあります。昏々と眠り続けるさまや、寝相が悪いさまを形容する言葉です。「意地汚い」と混同してはいけません。
 もともと古語で「いぎたなし」と表記し、漢字では「寝汚し」と書きます。
名詞「寝(い)」+形容詞「汚し」からなり、目覚めず見苦しい感じを表し、「寝坊である」、「なかなか目が覚めない」、「ぐっすり眠り込んでいる」などの意味があります。
起こしに寄りきて、いぎたなしと思ひ顔にひきゆるがしたるいとにくし  (枕草子)

(来客があったので)清少納言が寝たふりをしたとき、他の人が「ああ寝坊だなあ」といった様子で起こしてくるのが嫌だ
という口語訳になります。

鶏の水炊き風寄せ鍋ラーメン入り

2008-11-25 23:15:31 | Weblog
今日の晩餐は、私の手作りです。
キャベツ、白菜、にら、ねぎ、しめじ、エノキダケ、生しいたけ、ごぼうなどをあらかじめ刻んでおきます。
鶏がらスープの素、ホタテの出汁の素、干ししいたけ、昆布などでだしをとります。次に、鶏のももにくと豚肉と平コンをたっぷり入れしばらく煮込みます。醤油で味を調えます。
刻んでおいた野菜をいれじっくり煮込みます。
最後に塩ラーメンを3個いれスープも加えます。

いろんな食材の味が渾然一体となり、絶妙なおいしいスープとなりました。
みんなの評判もよく、作った鍋がほとんどなくなりました。

東坡肉

2008-11-25 22:36:08 | Weblog


蘇軾
1036ー1101年。北宋の文人政治家。号・東坡。その文名は高く、詩人・書家としても当代一流であり、文章家としても後世に多大な影響を与えた存在でありました。日本の五山文学にも影響を与えた人です。
とはいえ、我々にとっては「東坡肉」に名を残した人といった方が通りがよいのではないでしょうか。

彼が杭州の地方長官だったときのこと。ある日、東坡は客人を招待するため、豚のモモ肉(スネ肉)を料理しようと大鍋に入れておきました。
ところが、東坡が「書」に夢中になって筆を重ねているうち、いつしか3夜4日に及びました。フト気がついて大鍋を見ると豚肉がすっかり水を吸って、膨らんでしまいました。捨てようかと思いましたが、これに味付けして食べてみると余分な脂肪が抜けて正に珍味となりました。これを客人にもてなし「東坡肉」が生まれたのであります。
角煮との違いは、東坡肉では肉を煮る他に揚げる・蒸すなどの作業を加えることが多いそうです。

妻(さい)という地名

2008-11-24 09:23:12 | Weblog
丹羽基二さんの「苗字の謎が面白いほどわかる本」から妻(さい)という地名についての文を紹介します。

時々「妻」という地名にぶつかる。山形県西置賜郡小国町白子沢妻ノ神     愛知県豊田市稲武町御所貝津妻ノ神  など以上のように「~ノ神」と結びついているところもあるが、サイだけでも存在する。多くは才の字を用いる。しかしこのほかに、塞、西、斎、祭、賽、斉、幸、佐井、最実にさまざまな文字を当てる。妻はつまではない。遮る意、阻む意を表す。このサエギル場所がサエド、サイド、サヤドで斎土、西土、祖土、塞土、祖道土、道祖土などにも当てる。サヤンドなどともいう。「来るな」との意味から「クナド」ともいう。古くは岐神(くなど)などとも書いた。 これは、古代において他国から入る疫病神を村や道の岐路で、追い払う意味がある。そこに祭る神が「賽の神」である。それゆえ、日本全国にどこにでもある。伝染病は恐ろしいから、どこでも賽ノ神を村の入り口に祀った。後には旅の神となって旅人の平安を祈る道祖神になった。それはやってくる旅人に対してであって、村人から見れば、他国者は警戒を要するわけである。 賽ノ神は今は地蔵様、金精さまなどにも転化した。

渡部昇一 運が味方につく人、つかない人

2008-11-22 20:48:37 | Weblog
表題の本を読んでいます。渡部氏は幸田露伴の「努力論」を愛読しており、現代の読者に読みやすい形にしたのが本書らしいです。
その中から気に入った文章を書きとめておきます。

琴や三味線は弦を張ってはじめて音を出します。これが弛めば音は低くなります。どんどん弛めていけば、最後に音は出なくなります。弓は弦の弾力で矢を飛ばします。弛めば遠くへ飛ばないし、さらに弛めばもはや弓として役に立ちません。人間も同じで、この張る気こそが事をなす原動力であって、張る気が失せてしまったら、もはや役に立たなくなります。