濫觴は以前記事にも書いたが、「物事のはじまり」という意味を持つ言葉で「ランショウ」と読む。
字面だけ眺めると、なんだかよい意味ではなく、とても不吉なことばに思えるのは私だけだろうか。
「濫」が「氾濫」の「ラン」をイメージしたり「糜爛(ビラン)」ということばを連想するからかもしれない。
また、「觴」も「傷」という字に似ているので、頭の中で爛れた傷、「爛傷」という新語を作ってしまうからなのだ。
けれど実際の意味は「觴(さかずき)」を「濫(うか)べる」ということ。
出典は「荀子」の子道で、「揚子江の大河も源は杯を浮かべるほどの細流にすぎない」という孔子の言葉から誕生した。
「嚆矢(コウシ)濫觴」という四字熟語もあるが、「嚆矢」は「鏑矢(かぶらや)」のことで、昔戦(いくさ)の折り、敵陣に
かぶら矢を射かけたのを合図として戦が始まったことから、「物事の始まり」という意味になった。
「濫觴」の類義語は、「淵源」、「開闢(かいびゃく)」、「水端」、「黎明」、「湧泉」、「揺籃」などがある。
字面だけ眺めると、なんだかよい意味ではなく、とても不吉なことばに思えるのは私だけだろうか。
「濫」が「氾濫」の「ラン」をイメージしたり「糜爛(ビラン)」ということばを連想するからかもしれない。
また、「觴」も「傷」という字に似ているので、頭の中で爛れた傷、「爛傷」という新語を作ってしまうからなのだ。
けれど実際の意味は「觴(さかずき)」を「濫(うか)べる」ということ。
出典は「荀子」の子道で、「揚子江の大河も源は杯を浮かべるほどの細流にすぎない」という孔子の言葉から誕生した。
「嚆矢(コウシ)濫觴」という四字熟語もあるが、「嚆矢」は「鏑矢(かぶらや)」のことで、昔戦(いくさ)の折り、敵陣に
かぶら矢を射かけたのを合図として戦が始まったことから、「物事の始まり」という意味になった。
「濫觴」の類義語は、「淵源」、「開闢(かいびゃく)」、「水端」、「黎明」、「湧泉」、「揺籃」などがある。