僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

河豚の卵巣の糠漬け

2007-11-28 21:36:27 | 食べ物
 河豚はお好きですか?
石川県金沢市周辺の美川、大野、金石地区で古くから河豚の卵巣の糠漬けを製造、販売しています。ちょっと信じられないのですが、「いしかわや」さんというお店でも簡単に購入できます。猛毒のテトロドトキシンがなぜ消滅するのでしょうか。
 マフグ、トラフグ、ゴマフグなどの卵巣を使用します。卵巣を30%以上の塩で撒塩漬けし、半年間から1年間保存します。塩漬けを終えたら今度は、その卵巣を糠に漬けて2年間、重石をして発酵熟成し、製品として出荷します。
 塩漬け7ヶ月後には毒性が5分の1に減少し、糠漬けに移ると1年目で当初の毒量は16分の1まで減少し、2年目には人間の体に毒性を及ぼす毒量以下になってしまうのです。
 糠漬けの段階で、数10種類の微生物が河豚の毒であるテトロドトキシンを分解していることがわかったそうです。
 ふぐの子茶漬けなど、聞いただけでもおいしそうですね。

鴻池屋

2007-11-26 23:25:55 | Weblog
 日本にまだ濁酒しかなかった頃、のちの豪商・鴻池(こうのいけ)は、しがない酒の行商をして細々と暮らしていました。
 あるとき、鴻池に恨みを持つ人間が、商売用の酒樽に灰汁水(あくみず)を混入しました。「ざまあみろ」と男はほくそえんだことでしょう。
 ところが、翌朝たるをのぞいてみると、あろうことか酒がきれいに澄んでいます。男が投げ込んだ灰のお陰で、濁酒は清酒へと華麗なる変身を遂げたのでした。
 「こんなはずでは・・・・・」とボーゼンとしても時すでに遅し。鴻池はこの清酒で稼ぎまくり、一躍、日本を代表する両替商へとのしあがっていきました。
 1656年創業の両替商鴻池屋が、鴻池銀行となり、1933年3行の合併により、三和銀行になり、後にUFJ銀行となり、ごく最近、三菱東京UFJ銀行へと変貌を遂げました。

西蔵王観光協会発足50周年記念 歓迎アトラクション

2007-11-24 00:03:31 | Weblog
 今日の夕方から、西蔵王観光協会発足50周年記念の歓迎アトラクションを見て来ました。
 父が「紅花通り恋の道」という曲で歌手デビューしたんですよ。ちょっと緊張していましたが、なかなかのできでした。
 また山形の米消費拡大のために気立ての良い西尾夕紀さんが、「山形米音頭」を歌ってくださり、腰の低い素敵なお嬢さんに感動いたしました。
 最後にケーシー高峰が独演会を開き、駄洒落としもねたに、おなかが捩れるほど大笑いしました。娘のことを「きれいなねえちゃんだねや」と言ってくれ一緒に写真をとってくださいました。色紙には、「いつもゆめをもってすすもう」と書いてくださり、夏みかんのような顔にかなり親しみを感じました。

N,R君 おめでとう!

2007-11-23 22:53:39 | 卓球
今日、娘の高校が河北オープンにでました。みんな頑張ってくれましたが、惜しくもベスト8が最高でした。めげずに精進してくれ!

そんな中で男子のN,Rくんが優勝を決めてくれました。おめでと~
決勝は、フルセットの16対14ときわどかったらしいけれど、
見事頂点を極めてくれました。まだ1年なので先が楽しみだなー

作家と一日の原稿量

2007-11-22 00:23:15 | 文学
谷崎潤一郎は、一日平均4~5枚で、寝そべって布団の上に腹ばいになって書きました。宇野浩二は80枚以上、久米正雄は一晩で4,50枚書くことができたそうです。菊池寛は毎日きっちり7~8枚職業的に書く癖がありました。佐藤春夫は一日4~5枚で、8枚以上は無理でした。夏目漱石は「吾輩は猫である」の頃は、50枚以上書いていたが、晩年になってからは、ずっと遅筆になり、新聞1回分がやっとだったそうです。
芥川龍之介は命をすりきる程の惨憺たる努力を尽くして書きました。7~8枚の短編を書くときでさえ、何十枚書きつぶすかわからないそうで、彼ぐらい原稿用紙を反故にした作家は他にはいないと思われます。

谷村新司

2007-11-21 23:17:43 | Weblog
私が好きなアリス時代の歌「秋止符」です。特に最初の 4行の歌詞が優れていると思います。


秋止符


作詞 谷村新司
作曲 堀内孝雄


左ききのあなたの手紙
右手でなぞって真似てみる
いくら書いても埋めつくせない
白紙の行がそこにある

友情なんて呼べるほど
きれいごとで済むような
男と女じゃないことなど
うすうす感じていたけれど

あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして

夢を両手に都会に出て
何もつかめず帰るけど
やさしさの扉を開ける鍵は
眠れない夜がそっと教えた

心も体も開きあい
そこからはじまるものがある
それを愛とは言わないけれど
それを愛とは言えないけれど

あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして

春の嵐が来る前に
暖かい風が吹く前に
重いコートは脱ぎすてなければ
歩けないような そんな気がして


1979年(昭和54年 )

ラジオで「純喫茶、谷村新司」という番組があって、数日前、山形についての話題に耳を止めました。谷村新司はよく山形は訪れるそうで、そのわけが傑作でした。18歳のとき、寒河江の女の子と文通を始めたそうなんです。長く続いて、いよいよ写真交換を依頼されて、彼は先に送ったんだそうです。それからすぐ音沙汰がなくなってしまいました・・・
そんな悲恋体験が彼をビッグにならしめたのか、すばらしいアーティストになりました。私はアリス時代の堀内孝雄が好きでしたが、谷村新司もなかなか捨てがたいなと思っています。

斉藤茂吉の手紙

2007-11-18 17:04:18 | Weblog
 斉藤茂吉自筆の手紙です。長野県の知人から蜆が送られ、その謝礼状のようです。日付が昭和3年1月17日で、住所が東京都の青山になっており、彼が青山脳病院の院長をしていた時代だと思います。
 優しくて流れるような筆跡に、彼の人柄が偲ばれます。

金鵄(きんし)

2007-11-18 16:37:21 | Weblog
 太平洋戦争時のたばこ「金鵄」です。明治39年(1906年)に発売になり現在も売られている、息の長い「ゴールデンバット」のことです。戦時中は、敵国アメリカの言葉を使う事はまかりならん、ということで、改称されたようです。
ゴールデンバットの蝙蝠は、中国では幸運の象徴で、最初中国向けの輸出用ブランドとして発売されました。戦時中変えられた金鵄という名称は、古事記の逸話から採用されました。
 神武天皇の東征の際に、紀伊半島で、長髄彦と苦しい戦いを強いられました。その時一羽の金色の鵄(とび)が天皇の弓の上にとまり輝かしい光を発し、長髄彦の軍勢は眼がくらんでしまい、天皇が勝利しました。つまり勝利の象徴で、縁起がいい名前です。
 芥川龍之介、太宰治、中原中也なども愛煙し、長年「バット」の愛称で親しまれています。

ぶっかけ

2007-11-16 13:34:00 | Weblog
 菅野美穂お奨めの「松玄」恵比寿のぶっかけです。オクラやみょうがなど13種類の薬味がのった冷蕎麦で、とても美味しいそうです。桑田圭祐、梨花、さんまなど芸能人が常連のお店らしいですよ。恵比寿駅から徒歩3分、夜11時半オープンから深夜3時まで営業しています。