僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

千客万来

2018-03-29 23:02:47 | たわごと
ある方から
あなたが来店すると、その後
お客様がたくさん来て忙しくなる
と言われた。

偶々巡り合わせが良かっただけだと
思うが
満更悪い気がしない。

仙台四郎や福助人形のように
多くの幸運を与えられるならば
多少の自惚れは許されるだろうか。

否、彼らはそんな自意識など
微塵たりとも無かった筈だし。

自分はどちらかと言えば
郭公の啼くような 奥行きのある
静寂さに寛ぎを感じる。

笛吹図

2018-03-24 17:53:37 | 歴史
私の義兄の家は、大江氏の支流、白岩氏17代目の子孫である。

彼の家には、廃仏棄釈の際に、平塩熊野神社から授かった「絵馬」を所有しており
それが市の指定文化財になっている。

タイトルは「笛吹図」で、千葉良胤が天正5年(1577年)、阿弥陀三尊の御寶前に奉納したものである。


跋文に於いて、大江氏が千葉氏を丁重に迎え、現世では比類のない法楽を与え、後世では清浄の台(うてな)に至るという旨の
感謝の念を述べている。うてなとは、極楽に往生した人が座る蓮の形をした台のこと。

去りし君に

2018-03-22 22:08:56 | 
渺茫とした荒野を歩くのに疲弊したんだね
君は

思うがままの意志を辛うじて捕まえて
俯きから解き放たれて

雲英を敷き詰めたような海に
身を投じる

耀きと神の配剤があるんだーー時には
笑うことで 強くなる

不意の風に
過る淋しささえも
もう埋没することもないのだ

生きるんだ!

陳腐だけれど
君には救いがある

見捨てない人がいる


お天気は雨

2018-03-22 09:29:31 | ことば
今朝の山形市は雨、雨を表現するオノマトペはたくさんあるけれど
潸潸(サンサン)とする雨が似つかわしい。

美空ひばりの歌の歌詞に
「雨潸潸とこの身におちて・・・」とある。
潸潸は、落涙する様子にも擬えられる。

ちょっと風雨が強く物寂しさを感じる時は
蕭蕭(ショウショウ)とした雨音、などと表現すればよい。

T君来る

2018-03-20 20:30:04 | 食べ物
明日大学の卒業式だということで
T君がやって来ました。


これはキョロちゃんでT君はこんなに愛らしくはありません。

折角なので「たいかよしんど」で食事。


唐揚げの中にニンニクが入っています。


飲み物は私がバイスサワー
T君がピーチサワー


どちらがどちらかわかりますか?

栄耀栄華

2018-03-18 10:02:02 | たわごと
邯鄲の夢という故事成語は、「枕中記」という書物に出てくる。

「一炊の夢」とか「盧生の夢」、「黄粱の夢」とも言い換えられる。

盧生が呂翁という道士に会って、自分の境遇を嘆き改善したいと訴える。
そうしたところ、枕を貸してくれ、寝てみると、みるみるうちに盧生は財力と権力を授かる。

時には冤罪で投獄されたり、紆余曲折を経たが、見事出世し、多くの人に惜しまれながら死んでいった。

けれど目を覚ました盧生の目には、まだ炊き上がっていない粟がゆが見えるだけで
まだ数分しかたっていなかったのだ。

また、芥川龍之介作の童話に「杜子春」がある。零落した主人公を仙人が助け一時的な大金持ちになる。
けれど、放蕩癖のある杜子春は金を使い果たしまた貧乏に逆戻り。
そこで、仙人に依頼し戦術を身に着けるため峨眉山に向かう。

様々な仙人が妖術によって見せる艱難辛苦に耐え続けた杜子春だったが、結局失敗してしまう。



世間の多くの人たちは、お金や出世欲に魅せられる。
なかには栄耀栄華を極め、権力を恣にするものも出てくる。

反して「たそがれ清兵衛」を書いた藤沢周平というひとは、決して驕らなかった。

娘の展子に「絶対に自慢するな、おごりたかぶるな! 謙虚でいろ」
と言い聞かせてきて
本人も清貧を貫いた。

ま、どちらがどちらだという事ではなく
人生は「邯鄲の夢」がごとくうつろいやすく、生々流転とするということだ。
古典落語の「芝浜」のように堅実にいきるのも佳きことかな かもしれない。

張本智和くん

2018-03-13 18:25:35 | スポーツ
今日も卓球をしてきたが、ニューラケット・ニューラバーでとても調子よかった。
凄く飛ぶし、打球時の金属音が心地よい。

ところで

卓球界の新星、張本君は全日本で水谷隼を破って優勝したことは記憶に新しい。
けれど、卓球協会の宮崎氏から彼は注意を受けた。

「チョレイ!」と連呼しないこと。
試合が終了したら相手選手と審判と相手のベンチコーチと握手してからベンチに戻ること。

彼は全日本卓球大会の決勝で水谷選手に勝利した後、彼と握手せず
自分のベンチコーチである父のもとに駆け寄った。

或る意味仕方ないが、卓球の技術向上とともに、もっと大人にならなくてはだめだ。

剣道には「残身」という定義がある。
いくら技が決まって旗が上がったとしても
ぐらついて倒れこんだり、ころびそうになったりしてはだめなのだ。
ましてガッツポーズなどは言語道断だ。
かならず、相手が再び攻撃してきたとしても
すぐに打突する態勢に建て直さなければいけない。

そして礼にはじまり礼でおわる潔い武道である。

卓球もまさに紳士的なスポーツであるべきだと思う。
極端に相手を威嚇したり大声で喚いたりしてはならないし
あいてと正々堂々と勝負する気概が必要である。

勝負に勝つこと以上に心の鍛錬が大事なことはいうまでもない。

名残の雪

2018-03-13 18:02:49 | 思い出
18歳の自分は上京が決まっていた。

仄かで消えうるような女の人を愛してはいたが
すでに彼女には親の決めた許嫁の存在があった。

諦めきれず「結婚なんか止せ」と
喉もとまで出かかったけれど
その言葉はかすれてついえてしまった。

「檸檬」という喫茶店を出て
駅に向かったふたりに ハラハラと
名残の雪が舞う。

地に落ちて
すぐ消えてしまう微かな雪

僕には名残惜しい雪に違いなかった。

慊らない

2018-03-07 18:58:27 | ことば
芥川賞作家、西村賢太氏の作品を読んでいると『慊らない』という漢字の
使用頻度が高いです。

さて何と読むでしょうか?



































答えは「あきたらない」
十分に満足できないという意味で、「飽き足らない」とも表記します。
「はがゆい」は同義語になります。