ここ2,3年前ごろから気になっているのが、「全然すごい」とか「全然おいしい」とかいう使い方です。不自然ですよね。どっちの料理ショーで三宅が「これ全然美味しい」といって食べている姿を見て、確かホンジャマカのめぐみが「その言い方おかしいんじゃない?」と揶揄したのを記憶しています。
広辞苑を紐解くと、本来「全然」は下に、打消しの言い方や、否定的な意味の語を伴うとでています。例文が「全然わからない」と「全然駄目だ」が出ていました。しかし俗な用法で、肯定的な意味にも使うと出ています。例文が「全然同感です」というものでした。あながち、「全く」とか「とても」という使い方も間違いではないのですね。
芥川龍之介の随筆集に「梅・馬・鶯」という作品があります。その305ページに「とても」のことばについて言及しています。「とても安い」とか「とても寒い」とか云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。民衆の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏まらない」とか云うように必ず否定をともなっている。肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河の国あたりの方言であらう。・・・このように「とても」はなんと「全然」にそっくりではありませんか。やがて「全然」も肯定的意味合いを表現する用法が市民権を得るのではないか、そんな少し無念な気持ちに苛まれます。
広辞苑を紐解くと、本来「全然」は下に、打消しの言い方や、否定的な意味の語を伴うとでています。例文が「全然わからない」と「全然駄目だ」が出ていました。しかし俗な用法で、肯定的な意味にも使うと出ています。例文が「全然同感です」というものでした。あながち、「全く」とか「とても」という使い方も間違いではないのですね。
芥川龍之介の随筆集に「梅・馬・鶯」という作品があります。その305ページに「とても」のことばについて言及しています。「とても安い」とか「とても寒い」とか云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。民衆の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏まらない」とか云うように必ず否定をともなっている。肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河の国あたりの方言であらう。・・・このように「とても」はなんと「全然」にそっくりではありませんか。やがて「全然」も肯定的意味合いを表現する用法が市民権を得るのではないか、そんな少し無念な気持ちに苛まれます。