ある日のこと、愛の神エロスに会ったアポロンは自分の弓の腕前を自慢し、エロスの事をを揶揄しました。
そのことに怒ったエロスはアポロンに復讐しようと考えます。
そして、アポロンに恋心を駆り立てる金の鏃の矢を河神の娘のダプネには嫌いになる鉛の鏃の矢をうちはなちました。
金の鏃の矢にうたれたアポロンはたちまちダプネが恋しくて仕方がなくなってしまいます。
アポロンは恋しいダプネを追いかけますが、鉛の鏃の矢でうたれたダプネはアポロンが嫌いで嫌いで仕方ありません。
「まっておくれ」とアポロンが追いかけても、ダプネは捕まってなるものかと必死で逃げます。
いよいよアポロンがダプネに追いつこうとしたとき、ダプネは叫びました。
「お父様、助けてください!」
この娘の叫びを聞いた河神は直ぐに娘を月桂樹の木にかえてしまいます。
アポロンの腕の中で月桂樹に変わってしまったダプネ。
アポロンは嘆き悲しみます。
「お前が私のことをそんなに嫌っていても、私はお前が好きだったよ。私は貴女を妻にすることはできなかったけれど、私の王冠として貴女を被りましょう。私の竪琴と弓で貴女を飾ってあげましょう。」
これ以来、アポロンは月桂樹を自分の聖木としました。そこから月桂樹(ローリエ)の花言葉は「変わらぬ愛」といわれるようになりました。またアポロが恋した少女ダフネ(daphne)はギリシャ語で「月桂樹」という意味になります。
Kさんに頂いた月桂樹です。シチューに使えるように乾燥してあります。
古代ギリシャでは葉の付いた若枝を編んで、月桂冠とし、勝利と栄光のシンボルとして勝者や大詩人の頭に被せました。またローマ時代から空気を浄化し、疫病の予防になると信じられていて、今でもギリシャの教会では床にローリエの葉をまく習慣があります。
中世のヨーロッパでは、聖バレンタインは愛の守護神とみなされるようになり、2月14日の夜、まくらの下に月桂樹(ローリエ)の小枝を敷いて
「バレンタイン様、夢で恋人に会わせて下さい」と願いながら眠り、恋人同士がお互い夢で会えれば、一年以内に結婚できるという愛を占う日だったそうです。
またイギリスでは、少女たちがバレンタインの前夜、枕の四隅と中央に一枚ずつローリエの葉をピンで刺し、眠る前に「親切なバレンタインよ、優しくしておくれ」と呪文を唱えると、将来の恋人の夢を見ることが出来ると信じられていました。
それとハワイでは、挙式するとき必ず花嫁さんがローリエの冠を被るそうです。
このように、月桂樹(ローリエ)には様々な愛にまつわるエピソードが絶えません。勝利者にも大詩人にもなれない自分ですが、せめて変わらぬ愛だけは抱きつづけていきたいと思います。
あさのあつこ氏の「ラブ・レター」を読了しました。
5年生の女の子愛美が、好きな男の子に、密かにラブレターを届けようとする物語です。
コーヒーの味も色も嫌だけれど、香りは大好きだと言う、子供と大人の端境期で青春しているような、どことなく純粋な少女が主人公です。
楽と言う少年の笑った顔がすごくかわいいのと、髪の毛がさらさらしているのと、話し言葉がリズミカルで楽しいという理由が、愛美にラブレターを書かせる動機になりました。
なかなか完成しない愛美のラブレターには、日々新しく起こる人との関係や、それに伴う心の変動や揺れが綴られていきます。
こうして一行、また一行と書き加えられる手紙文は、「これって恋?」と「恋らしいもの」に首をかしげる少女の心の奥底を、そっと覗きこむことが出来るかもしれません。
メールよりも電話よりも気持ちが伝わるもの・・・それが手紙であり、異性にはラブレターを渡すという清らかなときめきを持つ重要性を、彼女あさのあつこ氏は伝えたかったのでしょうか?
平成20年8月2日、赤塚不二夫さんは肺炎にて永眠しました。
彼は「おそ松くん」のヒットで信じられないほどの大金を得て、昭和39年、中野区弥生町に大きな家を一軒建てました。両親と一緒に暮らすためです。
ところが気の強いかあちゃんと女房が、どうしても反りが合わないのです。
嫁姑が同じ屋根の下に住めなくて、結局赤塚氏の母上が家を出ることになりました。そして父上と一緒に6畳一間のアパートを借りたのです。
昼間、一人でさびしい母は仕事場へふらりと現れるのです。
「フジオ、今晩なに食べたい?」
「ギョーザ」
不二夫氏がそう答えると、母上は彼のためにせっせとギョーザを作ったのでした。
母は必ずこう聞くのです。
「かあちゃんのと登茂子が作ったのと、どっちがおいしい?」
不二夫氏が、
「かあちゃんのがおいしい」
というと、よかったという表情をありありと顔に浮かべ目を細めるのでした。
向かって左が新夫人の真知子さん、右が前夫人の登茂子さん。真知子さんは、平成18年に他界、登茂子さんも赤塚氏が亡くなる三日前にこの世を去りました。