小学生低学年の頃、夏休みになると昆虫採集や魚とりに明け暮れた。
ちょっと残酷だが、昆虫標本を作ったりもした。
こんなキットを使った覚えがある。
その標本はすでにないが、メルカリで買った蝶の標本がある。
童心に帰るのさ。
小学生低学年の頃、夏休みになると昆虫採集や魚とりに明け暮れた。
ちょっと残酷だが、昆虫標本を作ったりもした。
こんなキットを使った覚えがある。
その標本はすでにないが、メルカリで買った蝶の標本がある。
童心に帰るのさ。
小学生の頃、親戚のおじさん、おばさんに貰うお年玉が500円札だった。
伊藤博文の千円札は子供ながらに大金だと思ったものだ。
今、手元にある昭和のお札、思い出と共に大切にしまってある。
昭和40年代のメンコ、ローメンコです。
普通のメンコのように相手のメンコの隣に叩きつけて
ひっくり返す遊びですが、直径が2.1cmと小さいので、
親指と人差し指にはさんで指を瞬時にせばめて
滑り飛ばす遊びにも使われました。
そのためメンコの縁に蝋(ロウ)が塗られているのです。
一番遠くに飛ばした人がほかの人のロウメンを貰うことが出来ました。
私の故郷ではパッタと呼んで
よくひっくり返す遊びに夢中になりました。
メンコに隙間ができないよう裏側に蝋を塗って
重みを出す人や
オモリを仕込む人もいました🤭
「カチカチ山」という誰しもが知っている御伽噺がある。
おじいさんが畑にまいた作物をタヌキが食い荒らし、それに怒ったおじいさんが
タヌキを捕まえ、おばあさんに料理するように命じたが逆に騙されて
おばあさんはタヌキに殺されてしまう。それに嘆いたおじいさんが兎に仇討ちを依頼する。
薪拾いにいって、薪を背負ったタヌキに兎は火打石で火をつける。
「カチカチと音がするが何の音?」
とタヌキがいぶかしがるが、兎は
「ここはカチカチ山なので、カチカチ鳥が鳴いているのさ」
と嘘をつく。
そして背中に大やけどを負ったタヌキに兎は薬だと言って
唐辛子入りの味噌を塗りたくる。 タヌキ悶絶・・・
火傷が治ったタヌキに兎は今度は魚捕りに行こうと誘う。
木の舟と泥でできた一回り大きな舟も用意する。
案の定、欲張りのタヌキは魚をたくさんのせられる大きな泥舟をチョイスする。
結果泥舟によってタヌキは溺死することになる。これにて仇討ちの完了、めでたしめでたしなのだが、子供向けの絵本などにはタヌキは死なず、兎やおじいさんと仲直りするバージョンもある。
もちろんおばあさんも生きているし。
この御伽噺は、盟神探湯(くがたち)という呪術的な方法で
無実ならば火傷もしないし、溺れもしないという裁判法を暗に提示している。
けれど実際熱湯に手を入れたら、手がただれるだろうし、火傷もするに違いない。
水戸黄門のような勧善懲悪を民衆は喜んだので話が流布していったというのが現実だろう。
前置きが長くなったが、(今までが前置きなのかと苦言を呈されるだろうが・・・)
昔、Mさんが子供の頃、川の近くにタヌキの巣があって、その穴に
燃やした杉の生葉を入れて燻(いぶ)して
こりゃ煙くてたまらんと出てきた狸を、網のようなもので捕獲したんだそうな。
捕まえたタヌキをタヌキ汁などで食べたが余りおいしくなかったらしい。
いぶされたたぬきの話に触発されて「かちかち山」をあえて披露することになった
わたくしめをお許しいただければと思う。
最後にMさんが育てた大根を頂戴したので掲載して擱筆したいと思う。
今から40年も前の事、私は大学生だった。
麻雀が好きで、休講といえば喜び勇んで雀荘に繰り出した。
一応授業も休まず出て、野球応援やラグビー応援で欠席した時は
教授によっては出席扱いにしてくれた。
中村光夫先生や小島信夫先生には優を頂いたかな・・・確か?
雀荘をあとにすると、決まってお腹がすく
そうするとすずらん通りにある相州屋でスタミナ定食を食べたっけ。
安くて美味しかったなー 今も営業しているのは凄いことだと思う。
アルバイトは中村屋の笹塚工場で従業員の人たちに朝ごはんを提供する仕事。
朝4時起床だったので、笹塚の寮に泊まって、翌日すぐ仕事、
味噌汁作ってご飯を炊いておかずを一品作った。
カウンターには生卵と味付けのりとふりかけが載っていたなー。
一食200円だったので、ボンビーな私にはとても助かった。
アパートは幡ヶ谷から徒歩5分の場所。
火葬場が目の前で、4畳半で月2万円だった。
大家さんがよくコーヒーを御馳走してくれた。
映画のただ券もくれた。
リンゴを持っていくと「ありがとう」と笑顔が可愛かった。
卒業する前に大家さんから5千円借りた。
そうして借りたまま引っ越した。
そして1年後 お土産を差し出し、5千円を返却し、不義理を詫びた。
ただ大家さんはすでに亡くなっており、娘さんにだけども・・・