僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

【第98回天皇杯 準々決勝】川崎フロンターレ vs モンテディオ山形 ダイジェスト

2018-10-25 18:11:40 | 驚いたこと
【第98回天皇杯 準々決勝】川崎フロンターレ vs モンテディオ山形 ダイジェスト


モンテディオ山形が一部一位の川崎川崎区フロンターレを撃破した!
これは凄い!

おめでとう!

まぐれじゃないぞー ジャイアント・キリングとかアップセットとか言わせない。

次の仙台戦も頑張れ~

わたくしというもの

2018-10-24 19:11:47 | たわごと
私の趣味は、古書蒐集、切手蒐集、古銭蒐集、映画半券・チラシ蒐集、鉱物蒐集などと
前世の遺物のようなものを集めるのが好きだ。

加えて寺、神社、仏像鑑賞なども趣味の一環だと思う。

映画は寅さん、聴く曲はビートルズとどこまでも古臭い。

できることなら方丈記を記した鴨長明や若山牧水のように
鄙びた土地にさびれた一軒家を借りるか
放浪の旅に出たいなんて考えたりする。

便利さや都会が嫌いで
人のいない田舎が大好き。
祠やお地蔵さん、道祖神などに惹かれる。

誰も通らないような古道、細い山道が好き。

スマホやパソコンもいらない!

そうなると、やや時代遅れの感があるこのブログも
いらないのだろうか。

裏磐梯

2018-10-20 19:28:59 | ドライブ
10月14日日曜日に裏磐梯にドライブに行った。

紅葉も綺麗だったが。錦秋というよりも黄葉映える山裾という感じで
ナナカマドやモミジ、ハゼの類が少ない印象。

小野川不動滝

磐梯山





毘沙門沼でハートの模様の鯉に出会う


白布温泉から会津に向かう途中にある道の駅裏磐梯で山塩ラーメンを美味しくいただく。


諸橋近代美術館では、サルバトール・ダリ展を楽しむ

シュールレアリスムを大いに勉強する。


耶麻郡磐梯町の慧日寺を詣でる。

三一権実諍論を最澄と戦わせた徳一が開祖の寺だ。
金堂が2005年に復元されている。


徳一の石塔もお参りした。平安時代に建てられたものだ。


願成寺も訪れ有難い仏様を拝観した。

大地震の際、田んぼに落ちたものを保科正之が再び安置したそうだ。
光背がたくさんの小さな仏像でできており、中世の武士は戦に赴く際に携帯していったらしい。

猪苗代の世界のガラス館に立ち寄り
米沢駅近くで米沢牛づくし弁当や鯉弁当など買い帰途についた。


きのこの話

2018-10-20 18:11:00 | 食べ物
今週の初め、通販で天然のきのこを取り寄せた。


ムキタケ
淡黄褐色色で水分を多く含む大きいキノコ



表面がなめこのようにヌメヌメしたヌメリスギタケ


茶褐色で調理すると柄がシャキシャキして美味しいクリタケ

毒キノコのニガクリタケと間違えないようにしたい。

お馴染みのマイタケ


付着した葉や土を除いているとポロポロ崩れやすい銀茸シモフリシメジともいう。


身が硬くちょっとやそっとでは崩れないホンシメジ

柄を縦に割いても大丈夫、カサも壊れない。

3000万種ある菌類の中でキノコは世界に一万から二万、日本には4000~5000種ぐらいある。
そのうち生きた樹木の根と菌との共生体を作る菌根菌というキノコはホンシメジと松茸ぐらいだ。

その他が朽ちた倒木や切り株に生える腐生菌というキノコだ。
生物遺骸の分解や腐生によって栄養を摂取する菌類だ。
樹木や落ち葉を分解し土に還す役目を担う。

シイタケ、ナメコ、ヒラタケ、マイタケ、などなじみのきのこが多い。
腐生菌の中でも上に並べた種類は特に木材腐朽菌と呼んだりする。
対してマッシュルームなどの落ち葉分解菌と呼ばれるものもある。

キノコの話を書いていると思い出すのが松本零士の「男おいどん」、主人公は押入れの湿ったパンツに生える「サルマタケ」を常食していた。
このきのこは「ヒトヨタケ」という実在するキノコで
松本氏はラーメンに入れたそれをちばてつや氏に提供し
彼はうまいうまいと言って全部平らげたそうである。

また脱線したが取り寄せたキノコのほとんどを味噌仕立ての鍋にした。



いろんなダシが出ていて美味しい!
ちょっと猿股ケの味を想像したでしょ?

焼肉と一緒に



ご飯はもち麦入り


米は雪若丸



脱線しまくりの記事でした。

孝庵に遊ぶ

2018-10-05 18:20:52 | 
―― 私は、大井沢にある「加登屋」という老舗旅館で、ものすごく厳しい父と、女将として気配りの上手な母の長女として生まれ育ちました。

 山形で下宿をしながら通っていた高校を卒業した後は短大に進学する心づもりでいたものの、父の「花嫁修業をしろ」との言いつけに素直に従い、実家へと帰ってきた私。
その後は、家業の手伝いの合間を見つけて、和裁や大好きな日本舞踊をしながら日々を過ごしていた私に、出逢いは突然訪れました―――。

 あれは、19歳の冬のこと。大雪だったその日、家に帰ってきた私が玄関先で目にしたのは見慣れない一足の靴でした。時期はずれのお客さんを不思議に思っていた私と、後に夫となるそのお客さんを出逢わせたのは、大雪のせいで起こった停電でした。停電のせいで、囲炉裏の周りにみんなが集まらざるを得なくなったんですよね。

 当時、国家公務員の就職内定を得ていた大学4年生の彼。大井沢を題材にした卒業論文を書くためにここに来ていた彼と出逢った瞬間、その洗練された風貌にときめきを感じた私の中で、すでに彼は“心に決めた人”となっていました。今思えば、まだ若かった私が勝手に作り上げていた夢物語だったのかもしれないけれど。

 電話やメールなんてもちろんなかった40年前。遠く長野で働き始めた彼と連絡をとる術は、届くまでに1週間かかる手紙だけ。そんな時代に、赤い糸が二人を導いてくれたんでしょうか?どちらからともなく文通が始まり、約2、3年の交際期間の間に交わした手紙は、計61通。未だにどちらが先に手紙を出したかはわからないまま。

(笑)その手紙は、今でも大事にとってある私の宝物です。「好きです」「愛しています」との言葉は、ついぞ文面には現れずじまい。そんな台詞の代わりにか、彼は私の字の間違いをいつも指摘してくれていました。(笑)

 だけど、その手紙の中に滲み出ていた彼の誠実な人柄を感じる度に、私の中で「この人ならついて行っても大丈夫だろう」という思いが増してきたんです。

だから、ほとんど会ったことがなかったにも関わらず、結婚まで踏み切れたんでしょうね。

一方で、「朝晩も休みもない実家のような商売は絶対したくない」というのが本音としてあった私は、“普通の主婦”に対する憧れが半端なく強かった。そんな切なる私の願いも、結婚に踏み切った一つの動機となったのかもしれません。――


上の文章は、西川町の大井沢で宿を営んでいる小山裕子さんの公演における話の内容だ。

これは会いに行かねばならないという使命感に駆られ、9月23日、家族で孝庵を訪れた。

コオロギやら鈴虫などの音色が満載の大井沢が大好きだ。
平家落人伝説があり、煙る山紫水明のこの地に想いを馳せる日々を過ごす。





井戸に梅花藻が動き揺れ


カズラやアケビやサルナシが出迎えてくれる。


近くの温泉を満喫し夕飯を楽しむ。




ご主人が近くの川で釣り上げた天然のイワナ


アケビにブナハリタケとマイタケを仕込んでいる。


芋煮には大きな麩が入る。


大量のシシトウやナスの天麩羅


お蕎麦に栗ご飯も旬のご馳走






女将さんからいろいろな旦那様とのエピソードをお伺いした。充足な時間にほのぼの~


朝食もこまごまとした配慮が感じられた。









帰り際にスナップショット 再訪を約した。