僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

サバイバルファミリー

2018-01-16 21:50:17 | 映画
DVDでサバイバルファミリーを観た。



ある日突然、全ての電気が消滅した。
スマホ、パソコン以外にも、電車や
自動車、ガス、水道、乾電池、ありとあらゆる
ライフラインがストップしたのだ。

小日向文世が世帯主で、奥さんは深津絵里、
長男にひょっ子に出た泉澤祐希、長女は、わろてんかの
葵わかな、彼ら家族は、生き残るために
鹿児島に向かう。

この映画を観て、普段の我々の当たり前の日常が、
とてもかけがえのない有難いものに思えた。

私ならまず食料探し。

川に魚キラーを仕掛け、魚を捕らえる。
野草は豆科の物や菊科の植物を探す。また
蕗(フキノトウ)、タンポポ、車前草、クローバー
ヒョウ、ヨモギ、セリなど道端にある雑草は
結構食べられる。

鳥猟や小動物なら罠で捕まえる。
もっと身近なところでは、ジョロウ蜘蛛などや
昆虫の幼虫、ザリガニや蜂の子やイナゴ。

ビバークや住まいを作るのは苦手なので
極力自宅を拠点にしてあまり移動はしない。

この作品では、頼りない主人が極限の状態で
模索しながらも力を付けていく。
家族の団結力も生まれるし、それぞれが逞しくなっていく。

こうでなくては駄目なんだ。

パソコンオタクの長男は・・・

化粧に振り回されていた長女は・・・

皆さんも観てほしい!

太宰治 「きりぎりす」

2018-01-15 18:31:32 | 文学
現代では、離婚する夫婦の離婚理由は、第一位は、、お金だそうだ。おおよそ43%。

そんな中で、太宰治の「きりぎりす」の主人公は夫との別れを決断するが、
その理由がお金持ちになったから・・・とちょっと解せない。

つまり。芸術一筋で、孤高な信念を持ち、憂愁な影を備え、清い志の持ち主が旦那だった。
それら清貧さ、愚鈍なまでの芸術追求性、ひたすら邁進する孤高な姿にぞっこん惚れたのであった。

周囲の反対をもものともせず、画を観て撃たれたインスピレーションにすべてを賭けた。

けれど予期せず画は売れて成功をおさめ、旦那はお金に執着する俗物野郎に堕落したのだ。
周りの知人への罵詈雑言を平気で口にし、他人の評論をわが説かの如く吹聴する姿にも失望した。

あまりの豹変ぶりに主人公はその俗物画家との別れを決心した。

決意した夜に縁側にいるであろう「キリギリス」が自分の背中にいて、
そしてずっと「キリギリス」が背骨の中で幽かに鳴いていると思った。
また、この鳴き声を永遠に背骨の中にしまい込んでしまうことにするのだった。

この場合のきりぎりすは何なのだろう。
遊び人で享楽主義のきりぎりすだろうか。

いやそうではあるまい。
たぶん、植物の花粉を舐めているきりぎりすと見せかけて、実は花に集まってくる虫をたいらげるキリギリスであり、
美味しいものには目がない狡猾な肉食性の生き物の象徴であろうと思う。

変幻自在な天気

2018-01-12 23:32:29 | Weblog
今日も冷えましたね😱 凍えてしまいそうです。

天気も午前中は快晴でしたが


午後3時頃、粉雪が落ちて参りました。


車も氷ってドアが開け難く


シクラメンが凛として綺麗でした。


明日はセンター試験、雪も自重して
交通機関を麻痺させないで下さいね😉

犬も歩けばきぼうにあたる

ラグビー大学選手権 決勝

2018-01-07 20:19:41 | スポーツ


残念ながら母校明治が僅差で敗れてしまい、
帝京の九連覇を許してしまいました。

しかしながら、帝京は反則でイエローカードを出されるほど
明治の突進や防御に苦しみました。

明治は、対抗戦で帝京に大差で負けてから、
明早戦、京産大戦、大東文化戦と勝利し、
確実に進化していきました。

今回の決勝戦もひょっとして、という期待感を
持たせてくれました。

ヘッドコーチ田中澄憲氏のサントリー式パス回しも
かなり活かされていたと思います。

来期はきっと明治の選手の晴れ晴れとした姿を見ることができるでしょう。

芥川龍之介 奉教人の死

2018-01-04 18:36:41 | 文学
新年おめでとうございます!

今年の冬は雪が多いですね。雪かきに少し疲れます。

話は唐突ですが
何年か前にユダはイエスを裏切っていなかったという福音書が発見されましたよね。

銀貨30枚でイエスの居場所をピラトに密告した裏切り者のはずが、
実はイエスみずからユダに自分を官憲のところに連れていけと指示したというのです。この福音書の写本では、
ユダが唯一イエスの真意を理解していた弟子だとも
書かれています。

私は真実はわかりません。けれど実にイエスらしい行為のような気がします。

芥川龍之介に「奉教人の死」という小説があります。舞台は安土桃山時代の長崎の教会「さんたるちあ」。

主人公の「ろおれんぞ」は、信心深く、見目形もそれはそれは美しい人物でした。
特に宣教師しめおんは、本当の弟のように彼を可愛がりました。

けれど、ろおれんぞを慕っていた傘屋の娘が子供を身籠って、ろおれんぞの子だと嘘をつきます。

このことから、信頼していたしめおんや、その他の宣教師たちにも破門され見捨てられました。

ろおれんぞは乞食にまで身を堕としてしまいます。

ある日、大火があって風下の傘屋の娘の家が燃え盛ります。
逃げ出す娘と翁は、赤ん坊を残してきてしまったことに気づきます。

そこへ、ろおれんぞがやってきて火の中に飛び込んでいくのです。

あらすじはここまでにしましょう。

なぜ「ろおれんぞ」は破門されたとき、娘の発言は嘘だと言い訳しなかったのでしょう。

なぜ自分をおとしめた張本人の娘のこどもを助けようとしたのでしょう。

ここではこの提案だけにして終わりにします。

今年も何卒宜しくお願いいたします。