妻のいとこが「ねんりん家」のバームクーヘンを買ってきてくれました。
大丸東京店で30分並んでもとめてくれたとのこと、感謝!です。
写真は、「マウントバームしっかり芽」です。
表面に砂糖がコーティングしてありサクッとして香ばしく、中は熟成された高貴な味わいでした。
次はバームクーヘンのカステラ、「ストレートバームやわらか芽」です。
ふっくらでジューシ、本来のバームクーヘンよりソフトな食感でした。
「バームクーヘン」という名は、ドイツ語で木を意味するBaum(バウム)とケーキを意味するKuchen(クーヘン)に由来しています。
バームクーヘンは製法が特殊なため普通のオーブンでは作れず、バームクーヘン専用のオーブンが存在します。専用オーブンは、生地を巻きつけるための芯と、芯を自動的に回転させる装置が上部にあり、下部に生地を焼き上げるバーナーが据え付けられています。庫内が密閉され壁面からの輻射熱を利用する一般のオーブンと異なり、開放型で直火で生地を焼き上げるのです。
芯になる棒の表面に生地を少量かけてバーナーで焼くと、表面が焦げた厚さ1~2mmの薄い層ができます。焼けた層の上に生地をかけながら焼く事を繰り返し、薄い層を10~20層程度つくります。焼きあがった後に芯を抜いて輪切りにすると、バーナーで炙った際に出来たこげと内側の白い部分が層状に表れ木の年輪のように見えます。
大塚のボンカレーは1968年3分お湯であっためるだけで食べられるというキャッチフレーズで誕生したレトルト食品です。
2007年にABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』において、「37年間一度も開封されなかったボンカレー」という代物が登場しました。徳島県にある大塚食品の研究所に持ち込まれ、サンプル採取も行っています。大塚食品曰く、恐らく、世界に現存する最古にして唯一のボンカレーであったといいます。この依頼の探偵であったカンニング竹山は「漢方薬のような臭いだ」と言っていた為に安全性を考慮し、試食は行われなかったのです。なお、後に行った検査では一切の雑菌類が発見されなかったことから、ボンカレーのレトルトパッケージは40年近くも条件次第では無菌状態を保てることが証明されました。恐るべしその保存性。
ボンカレーの名前の由来はbonはフランス語で「良い、おいしい」という意味で、英語のcurryをくわえてボンカレーとなりました。
現在発売されている「ボンカレークラッシク」は30種類の野菜と果物の旨みが溶け込んでいる母親の愛情たっぷりのカレーです。
沖縄県だけに松山容子さんのパッケージが使われている商品が販売されています。
昔方々で松山さんのホーロー看板が見られました。
2007年にABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』において、「37年間一度も開封されなかったボンカレー」という代物が登場しました。徳島県にある大塚食品の研究所に持ち込まれ、サンプル採取も行っています。大塚食品曰く、恐らく、世界に現存する最古にして唯一のボンカレーであったといいます。この依頼の探偵であったカンニング竹山は「漢方薬のような臭いだ」と言っていた為に安全性を考慮し、試食は行われなかったのです。なお、後に行った検査では一切の雑菌類が発見されなかったことから、ボンカレーのレトルトパッケージは40年近くも条件次第では無菌状態を保てることが証明されました。恐るべしその保存性。
ボンカレーの名前の由来はbonはフランス語で「良い、おいしい」という意味で、英語のcurryをくわえてボンカレーとなりました。
現在発売されている「ボンカレークラッシク」は30種類の野菜と果物の旨みが溶け込んでいる母親の愛情たっぷりのカレーです。
沖縄県だけに松山容子さんのパッケージが使われている商品が販売されています。
昔方々で松山さんのホーロー看板が見られました。
英語のアルファベットWは、double y (ダブリュ)なのです。
要するにuが2つくっついた形ですね。
しかし、フランス語では、double ve(ドゥブル ヴェ)、つまりvが2つくっついた形という意味になります。
イタリア語でもdoppio vu(ドッピョ ヴ)でvが2つ、ポルトガル語もve dobrado でvが2つから成り立っています。vが主流でその謂れはよくわかりません。
要するにuが2つくっついた形ですね。
しかし、フランス語では、double ve(ドゥブル ヴェ)、つまりvが2つくっついた形という意味になります。
イタリア語でもdoppio vu(ドッピョ ヴ)でvが2つ、ポルトガル語もve dobrado でvが2つから成り立っています。vが主流でその謂れはよくわかりません。
テレビ朝日Qさま!!を見ました。
「女性の品格」の著書で有名な坂東眞理子さんも出演され、とても品格が漂い、知性溢れる女性でした。ローマ字の大家「ヘボン」の名を当てられ、静寂の漢字も的確に「しじま」と正解なされていました。
それとやはり国語の神様、金田一秀穂は完璧に正解を積み上げていました。
彼は、有名な金田一京助の孫で、国語辞典編纂、監修で名のある金田一春彦を父にもっています。所謂サラブレッドですね。国語だけでなく、歴史、英語にも精通されているようです。
金田一という苗字はそのルーツが南部氏族四戸氏の分流に属し、天正19年の九戸合戦の後、武田彦三郎が金田一村に領地を賜って金田一を名乗るようになったそうです。
金田一秀穂さんが正解された問題です。
次の漢字の読みを答えよ。
① 云云 (「し」からはじまる言葉)
② 生長 (「お」からはじまる言葉)
答え ① しかじか
② おいさき
長野県の長和町には「接待」という地名があり、その名がついたいきさつには心温まるいい話があります。江戸時代、中山道には69の宿場がありました。このうち信濃には碓氷峠を越えて軽井沢宿から入国し、木曽の馬籠宿から美濃に出ます。このあいだには26宿あり、幕府は平均2里に一宿おきました。ところが、和田宿と下諏訪宿のあいだには5里以上の長い距離があり加えて両宿のあいだには、和田峠という、非常に険しく、降雪量もも多い街道一の難所でした。
1828年、和田宿の問屋、源右衛門ら8人が、江戸の道中奉行所に嘆願書を出しました。そこには訳すと「和田峠が難所であることを聞いた江戸の呉服屋・加瀬屋與兵衛が、施行所をもうけたいと申し出ていたが、適当な場所を見つけたので設置許可を願いた」とありました。翌月には與兵衛本人からも嘆願書が出されています。それを訳すと「與兵衛は江戸で商売に成功し大金を持つようになったので、幕府に1000両貸すから、その毎年の利子100両で施行所を運営してほしい」というものでした。
当時、街道の宿は、幕府の直轄下だった為、正規の宿場以外は禁じられていたが、宿と宿の距離が長い難所などでは、このような施設がおかれていました。この事からこの辺りは「接待」と呼ばれるようになったのです。1851年には山崩れで流失したが翌年には再建され1870年まで存続したということです。
1828年、和田宿の問屋、源右衛門ら8人が、江戸の道中奉行所に嘆願書を出しました。そこには訳すと「和田峠が難所であることを聞いた江戸の呉服屋・加瀬屋與兵衛が、施行所をもうけたいと申し出ていたが、適当な場所を見つけたので設置許可を願いた」とありました。翌月には與兵衛本人からも嘆願書が出されています。それを訳すと「與兵衛は江戸で商売に成功し大金を持つようになったので、幕府に1000両貸すから、その毎年の利子100両で施行所を運営してほしい」というものでした。
当時、街道の宿は、幕府の直轄下だった為、正規の宿場以外は禁じられていたが、宿と宿の距離が長い難所などでは、このような施設がおかれていました。この事からこの辺りは「接待」と呼ばれるようになったのです。1851年には山崩れで流失したが翌年には再建され1870年まで存続したということです。
今日、スカパーで「22才の別れ 葉見ず花見ず物語」を見ました。
『なごり雪』に続く大林宣彦・大分三部作の第二弾。
伊勢正三の「22才の別れ」をモチーフに描く、母娘二代にわたるあまりに切ない日本の恋の物語 です。
本作は、尾道三部作に続き大分を舞台とした三部作の第二弾。
福岡と大分県の大分、津久見、臼杵といった街々を背景に描く、30年あまりの激動の時代の中で日本人が失ってきた人の心の思いへの哀切な叙事詩。
時代を隔てた親と子を期待の新人・鈴木聖奈と中村美玲が瑞々しく演じ、スクリーンデビューを飾っています。
主人公を演じるのは映画、テレビ、舞台など、幅広いフィールドで圧倒的な存在感を見せている筧利夫。
競演に『うなぎ』『赤い橋の下のぬるい水』で各賞を受賞している演技派・清水美砂、そして脇を長門裕之、南田洋子、三浦友利、峰岸徹、村田雄浩など、大林映画ゆかりのヴェテラン陣がきっちりと固めています。
監督・脚本・編集を手がけたのは、日本を代表する映画作家・大林宣彦。
幻想的な映画美で二つの時代を流麗に描き分け、主人公たちの心の悲哀を見事なまでに表現。
円熟の境地を見せています。
≪あらすじ≫
人生の岐路に立った主人公が偶然出会った少女は、昔別れた恋人を思い出させるなにかを持っていた…。
福岡市の商社に勤める川野俊郎(筧利夫)は1960年代生まれの44歳。
社内には煮え切らない関係を続ける37歳の有美(清水美砂)がいるが、お互いに一歩を踏み出す勇気はないのです。
ある日、ずぶ濡れで駆け込んだコンビニのレジで「22才の別れ」を口ずさむ少女、花鈴(鈴木聖奈)に出逢います。
ふとしたことから親しくなった俊郎は、コンビニを辞めた花鈴にいきなり「援交して」と言われ戸惑うが、なにか不思議な縁を感じ、放っておくことができず家に招き入れます。
しかし花鈴の身上を聞いた俊郎は信じられない事実に衝撃を受けます。
それは、かつて22才の誕生日に別れた恋人、葉子(中村美玲)にまつわることだったのです…。
俊郎の過去の思い出を引きずる姿が自分に重なって、妙に親近感を覚えました。
「あの頃葉子は重かった。葉子にまとわりつく何かが重かった」
「ずっと自分は幻を追いかけてきた。追わなかったから幻になったのか。」
俊郎の意味深長なな言葉が印象に残りました。
バックに「22才の別れ」がところどころに流れ、その懐かしくも哀しい旋律に涙が出そうになりました。
彼岸花の赤の演出も見事で、花が咲くときには葉が出ておらず、葉が出たときには花は散っているという説明もまるで俊郎の人生のようで暗示的でした。
毒にも薬にもなる曼珠沙華(彼岸花)、その凛とした姿はミステリアスで、葉子にも、そしてその娘花鈴にも似ていました。
『なごり雪』に続く大林宣彦・大分三部作の第二弾。
伊勢正三の「22才の別れ」をモチーフに描く、母娘二代にわたるあまりに切ない日本の恋の物語 です。
本作は、尾道三部作に続き大分を舞台とした三部作の第二弾。
福岡と大分県の大分、津久見、臼杵といった街々を背景に描く、30年あまりの激動の時代の中で日本人が失ってきた人の心の思いへの哀切な叙事詩。
時代を隔てた親と子を期待の新人・鈴木聖奈と中村美玲が瑞々しく演じ、スクリーンデビューを飾っています。
主人公を演じるのは映画、テレビ、舞台など、幅広いフィールドで圧倒的な存在感を見せている筧利夫。
競演に『うなぎ』『赤い橋の下のぬるい水』で各賞を受賞している演技派・清水美砂、そして脇を長門裕之、南田洋子、三浦友利、峰岸徹、村田雄浩など、大林映画ゆかりのヴェテラン陣がきっちりと固めています。
監督・脚本・編集を手がけたのは、日本を代表する映画作家・大林宣彦。
幻想的な映画美で二つの時代を流麗に描き分け、主人公たちの心の悲哀を見事なまでに表現。
円熟の境地を見せています。
≪あらすじ≫
人生の岐路に立った主人公が偶然出会った少女は、昔別れた恋人を思い出させるなにかを持っていた…。
福岡市の商社に勤める川野俊郎(筧利夫)は1960年代生まれの44歳。
社内には煮え切らない関係を続ける37歳の有美(清水美砂)がいるが、お互いに一歩を踏み出す勇気はないのです。
ある日、ずぶ濡れで駆け込んだコンビニのレジで「22才の別れ」を口ずさむ少女、花鈴(鈴木聖奈)に出逢います。
ふとしたことから親しくなった俊郎は、コンビニを辞めた花鈴にいきなり「援交して」と言われ戸惑うが、なにか不思議な縁を感じ、放っておくことができず家に招き入れます。
しかし花鈴の身上を聞いた俊郎は信じられない事実に衝撃を受けます。
それは、かつて22才の誕生日に別れた恋人、葉子(中村美玲)にまつわることだったのです…。
俊郎の過去の思い出を引きずる姿が自分に重なって、妙に親近感を覚えました。
「あの頃葉子は重かった。葉子にまとわりつく何かが重かった」
「ずっと自分は幻を追いかけてきた。追わなかったから幻になったのか。」
俊郎の意味深長なな言葉が印象に残りました。
バックに「22才の別れ」がところどころに流れ、その懐かしくも哀しい旋律に涙が出そうになりました。
彼岸花の赤の演出も見事で、花が咲くときには葉が出ておらず、葉が出たときには花は散っているという説明もまるで俊郎の人生のようで暗示的でした。
毒にも薬にもなる曼珠沙華(彼岸花)、その凛とした姿はミステリアスで、葉子にも、そしてその娘花鈴にも似ていました。
昔ごはんつぶを残すと「目がつぶれる」と戒められ、食べ物を無造作に捨てたり残したりすると、バチがあたると注意されたりしたものです。
今、食料の大半を輸入に頼らざるを得ない情勢のこの国で、いったい食材がどれくらい廃棄されているのでしょうか。
なんと食品産業と一般家庭をあわせた年間の廃棄量は、2千200万トンにものぼるといいます。国民一人あたり年間150キロの食品を捨てていることになるのです。
これは由々しい事態ですよね!
平成12年に「食品リサイクル法」が制定されて、13年から施行されました。“循環型社会”に向けてリサイクルに本腰を入れ始めました。
たとえば大手スーパーのイオンは、自分たちの店舗から出る廃棄物を安全に加工して家畜のえさにしています。それを食べた家畜が食肉としてまた店舗に並ぶのです。
また福岡や茨城のある地区では、店舗の集まったビル単位で廃棄物を堆肥にして再利用しています。その堆肥を地元の農家が使ってできた穀物や野菜を、また店舗で売るという循環ができています。
さらに消費期限が迫った食材をリサイクル業者と提携して飼料や肥料などに再利用する取り組みをしている大手コンビニやレストランもあるといいます。
一般家庭の生ごみの排出量は平成17年の調査で1千54万トンです。スーパーやコンビニにならんでいる牛乳などの食品を買う場合、棚の奥にある消費期限の長いものをとるでしょう。しかしスーパーやコンビニ側からの観点からすると、選ばれなかったものは廃棄物になっていくのです。
要するに、順番にとっていくことを遵守し冷蔵庫のなかの食品も奥の食品から使ったり、奥のものと新しく購入したものを入れ替える習慣をつけたいものです。
これからは私たちもどうしたら無駄な廃棄物を出さないかとか料理を作り過ぎない、毎日の買い物を必要な分だけ購入するなど、気をつけていきたいものです。
今、食料の大半を輸入に頼らざるを得ない情勢のこの国で、いったい食材がどれくらい廃棄されているのでしょうか。
なんと食品産業と一般家庭をあわせた年間の廃棄量は、2千200万トンにものぼるといいます。国民一人あたり年間150キロの食品を捨てていることになるのです。
これは由々しい事態ですよね!
平成12年に「食品リサイクル法」が制定されて、13年から施行されました。“循環型社会”に向けてリサイクルに本腰を入れ始めました。
たとえば大手スーパーのイオンは、自分たちの店舗から出る廃棄物を安全に加工して家畜のえさにしています。それを食べた家畜が食肉としてまた店舗に並ぶのです。
また福岡や茨城のある地区では、店舗の集まったビル単位で廃棄物を堆肥にして再利用しています。その堆肥を地元の農家が使ってできた穀物や野菜を、また店舗で売るという循環ができています。
さらに消費期限が迫った食材をリサイクル業者と提携して飼料や肥料などに再利用する取り組みをしている大手コンビニやレストランもあるといいます。
一般家庭の生ごみの排出量は平成17年の調査で1千54万トンです。スーパーやコンビニにならんでいる牛乳などの食品を買う場合、棚の奥にある消費期限の長いものをとるでしょう。しかしスーパーやコンビニ側からの観点からすると、選ばれなかったものは廃棄物になっていくのです。
要するに、順番にとっていくことを遵守し冷蔵庫のなかの食品も奥の食品から使ったり、奥のものと新しく購入したものを入れ替える習慣をつけたいものです。
これからは私たちもどうしたら無駄な廃棄物を出さないかとか料理を作り過ぎない、毎日の買い物を必要な分だけ購入するなど、気をつけていきたいものです。
探偵ナイトスクープを見ました。
三重県の男性(54)から。私には自慢できることが一つだけある。高校1年のときの球技大会で、陸上部だった私が、卓球部で県大会3位の実力を持つ男に、卓球の真剣勝負で勝ったことだ。しかし、「まぐれでは?」という声もあり、翌年の球技大会でもう一度勝負し、はっきり決着をつけようとしたが、彼は私との勝負を避け、以来一度も対決することがなかった。あれから38年経つが、いまだに彼のことが気になるため、もう一度彼と勝負させて欲しい、というもの。
県大会3位の実力者とは、青森山田高校の松平健太の父、松平清志さんのようです。彼は卓球教室も経営し、実力もかなりありそうでしたが、なんと依頼者の芝田さんに8対11で負けてしまいました。芝田さんは40歳から卓球を始めたそうで14年のキャリアがあるわけです。それに対して松平さんはたぶんボール出しがほとんどで、試合や練習などの実践から遠ざかっていたのではと想像できます。
ただこのテレビを見た松平さんの息子さん方ががっかりしなければいいのですが。
三重県の男性(54)から。私には自慢できることが一つだけある。高校1年のときの球技大会で、陸上部だった私が、卓球部で県大会3位の実力を持つ男に、卓球の真剣勝負で勝ったことだ。しかし、「まぐれでは?」という声もあり、翌年の球技大会でもう一度勝負し、はっきり決着をつけようとしたが、彼は私との勝負を避け、以来一度も対決することがなかった。あれから38年経つが、いまだに彼のことが気になるため、もう一度彼と勝負させて欲しい、というもの。
県大会3位の実力者とは、青森山田高校の松平健太の父、松平清志さんのようです。彼は卓球教室も経営し、実力もかなりありそうでしたが、なんと依頼者の芝田さんに8対11で負けてしまいました。芝田さんは40歳から卓球を始めたそうで14年のキャリアがあるわけです。それに対して松平さんはたぶんボール出しがほとんどで、試合や練習などの実践から遠ざかっていたのではと想像できます。
ただこのテレビを見た松平さんの息子さん方ががっかりしなければいいのですが。