僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

のび太の恋はハッピーエンド!?

2010-11-16 13:28:44 | 



『ドラえもん』はお好きですか?野比のび太はジャイアンにいつもいじめられ、テストの点数もままならない劣等生。

ある日、小学生ののび太はドラえもんの道具タイムテレビで未来の自分の様子を見ていました。
すると源静香(しずかちゃん)に雪山登山に誘われた青年のび太は坂道に弱いという理由で誘いを断るのです。
なんと登山に出かけたしずかちゃんは、遭難して仲間とはぐれてしまいます。
そこで現代ののび太少年は一念発起してタイムふろしきで大きくなり、しずかちゃんを助けるために単身雪山に乗り込んでいきます。

ところが、洞穴で暖をとるまでなったのですが、缶詰は持っていったけれど缶切りを忘れ食べることが出来ません。挙句、軽装をしずかちゃんに咎められるし、天気が回復したので下山しようとして転んでメガネをなくしたので、しずかちゃんに引率されるし、まったくいいとこなしののび太なのです。


それでも源静香は、野比のび太との結婚を決意しました。
「そばについてあげないと危なくて見てられないから」がプロポーズの文句。
実際は、危険があるのに自分の身を省みず助けに来てくれたのび太に惚れてしまったからが真実でしょう。

また、結婚を目前にして自らの選択に不安を抱くしずかちゃんを、彼女の父が優しく、そして力強く励ます場面があります。
父親がこういいます。
「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとって大事なことなんだからね」。
しずかちゃんものび太の本質的な優しさに惹かれたに違いありません。

私にとってGさん家族は

2010-09-25 12:32:15 | 
昨日Gさん宅にお邪魔したときに

「あなたが息子だったらとお父さんが言っていたよ」
とGさんの奥さんが教えてくれた。

Gさんの家族は3人、Gさん、奥さん、息子さん。
長男は5年前に癌で逝去された。

旦那様のGさんは50代で体をこわし、それ以来奥様が糊口をしのいできた。
お祖父さんも居たが、ほとんど一人で幼い子どもを育ててきた。

そして2年数ヶ月前、Gさんが脳梗塞になり、半身不随になった。一時期寝たきりになり
奥様がGさんのおむつ交換や食事に世話など介護に追われた。

奥様は次第にやつれていった。
私は彼女が可哀想で仕方がなかった。家が山奥にあるものだから、何度も病院と自宅の
長い距離を徒歩で往復したそうだ。

けれど世の中不幸ばかりが続くわけではない。段々とGさんの病気の症状が改善され、一人でトイレに行くことができるようになり、食事もフォークで出来るまでになった。
家の中は車椅子で移動できるまでになった。そして自宅も山奥から町場の住みやすい環境に変わることが出来たのである。

週に何回かリハビリに出かけ、同じ境遇の人たちとのふれあいの機会も持てるようになった。
私が話しかけると、にこやかなもとのGさんがそこにあり、私自身もうれしくて涙がこぼれそうになった。


ある時、奥様がこう零した。

「何で生まれてきたんだろう」と。

私は彼女の辛さや苦しさ、どうしようもない歯がゆさが痛いほど理解できた。そんな彼女をずっと見つめてきた。

「人は意味があって生まれてきたのだから、そんな事言っては駄目だよ!親孝行な次男さんもいるし、旦那様もそばに居るし、あなたの明るさが救いなんですよ。」
こんなおこがましい自分の意見など何の役にもたたないけれど、誠心誠意はなしかけた。

「冬山で車がスリップしてニッチもサッチもいかなくなったとき、旦那様に助けていただいたし、貴方が握ってくれた大きなおにぎりが田舎のお袋を思い出してとっても嬉しかった!」

こう私がいうとGさんの奥様は黙ってうなずき、照れたように微笑むのだった。

雨男もついに

2010-09-14 14:52:25 | 
僕の感性は、自称晴れ男である

先ほども、家に居るとき、物凄い土砂降りの雨が降っていた。

けれど、某地点に出かけたら雨が小降りになってきたのである。
そして某地点から家に戻る途上は私が運転する車の後ろを太陽の光が追いかけてきた
まるで私に後光が射しているかのように
幼稚園から高校の修学旅行まで雨に祟られたことはない。ほとんど快晴である。

義父はバイクで義母の見舞いに行くと、帰り雨に降られてずぶぬれになって帰ることが多い。 所謂雨男の典型である。
妻が車で行ったら~と言っても「大丈夫!」の一点張りで言うことを聞かない。
巻き添えを食って割に合わないのは、犬のメイである。
バイクの前のかごに入れられて一緒に行くのはいいのだが、如何せん雨が降っても
傘がさせないのである。ひたすらぬれねずみになって、まるでみすぼら犬に変貌するのであった

けれど雨ふりもなかなか風情がある。しっとりとして、乾いた心を元気な潤いのある本来の自分に戻らせてくれる。

昔読んだ西岸良平の三丁目の夕日に雨男の話があった。


ちょっと太目の雨男君は
いつも大事なデートに雨に降られ、洋服が濡れて汚れるので、次々に彼女が出来ても振られてしまう。心優しい彼はそんな自分を嘆きはすれどうらみつらみは一言もこぼさなかった。

そんな彼にも再び素敵な彼女が現れたのだ。
デート先のハイキングでもやっぱり雨、雨男君は「また雨か」とどうしようもなくうなだれていた。
けれど晴れやかな笑顔で彼女は
「もうすぐ雨が止むわよ」と楽観的だった。


そして彼女の予言どおり雨が上がり虹がかかりだした
彼女はなんと晴れ女だったのだ。
運命的な出会いを実感した雨男君だった。

その後の二人のデートでは曇りの日が多かったようである。

向田邦子の恋文

2010-07-28 01:01:02 | 


『向田邦子の恋文』という妹の和子著の作品を読みすすめています。

彼女が33意,4歳の頃、13歳年上の妻子ある男性N氏との手紙のやりとりや、N氏の日記が綴られています。
N氏は、記録映画のカメラマンで、邦子と付き合っていた頃、体をこわしており、母親宅の離れに一人で暮していました。

邦子が死ぬまで明かさなかった秘められた恋。道ならぬ恋。

手紙のやりとりには、甘い思慕の情の吐露はなく、ありふれた日常を平凡に羅列するにすぎない、他愛もないものでした。



昭和38年11月27日(向田からN氏へ)

28日は夕方までうちで仕事をして、久しぶりでいっしょにゴハンをたべましょう。

邦子の誕生日ですもんね。

29日は都市センターへこもって仕事。

30日は、TBSで28本分ロク音(またKRC)

1日から37日まで都市センターです。

果して一週間ロク(*1)とバブ(*2)の顔をみなくて耐えられるか、天下分け目というところです。

そちら、お具合はいかが?


(*1)は、向田家の猫
(*2)は、N氏の愛称


邦子は親、兄弟に悩みを打ち明けたり、愚痴をこぼしたりすることがありませんでした。

自分の内なるものや、やりたいこと、仕事で判断に迷うことなどを相談し、アドバイスを求め、あどけないほど素のままでいられる相手。
淡い思いやりの愛を受け、自分を育ててくれた人。
それがN氏でした。



邦子はコタツで横になって満足そう。ふっと可哀想にもなったりする。(N氏の日記より)


旅先で窓際の籐椅子に腰掛けている邦子

テーブルの上の一枚の皿に二つの茶碗、二本のフォークが並んでいます。




「姉は思い切りN氏と駆け落ちでもすればよかったのだろう。けれど
姉は家族を見放せなかった。捨てられなかったのだ。今、私がこうして在るのはお姉さんがいたから、そんな思いが浮かび歳月の重さとともにくらくら押しつぶされそうになった。」そう和子は記しています。


告白のあれこれ

2010-07-05 16:37:01 | 
明治時代、夏目漱石が大学の講師をしていた時、「 I love you.」の訳を学生に問うと、
「我、汝を愛す」と答えました。

けれど漱石は、「愛している」などと言わなくても、「月が綺麗ですね」とでも言っておけば、相手に伝わると講義しています。

このエピソードは有名ですが、出典は分かりません。

本来日本人は情緒を重んじ、直接的な言い方を避けてきました。

「愛している」とか「好きだ」なんて表現は明治時代には一般的ではなかったのでしょう。

そして女性は、その場の雰囲気や男性の態度で、何を言わんとしているかとか、相手の気持ちを十分に察してしまう特技があるのです。

更に古きよき言葉として、「慕う」「焦がれる」がありますよね。

けれど、今の若者が、「あなたをお慕い申しています。」なんて言ったものなら、大笑いされるのがオチです。

そこで私なら、「I love you.」は次のように表現します。

「貴方を大事に想っています。」


或いは、「ずーーっと貴方と一緒に居たい」


ちょっと相手に心配かける言葉としては、

「心のざわめきが抑えられない」 あたりでしょうか?
医者に行ったらと言われるかもしれませんが・・・

二葉亭四迷の
「(あなたの為なら)死んでもいい」といった
自暴自棄な台詞も面白いです。


話の方向が若干変わりますが、石坂洋次郎の「青い山脈」の恋文のエピソードはご存知でしょうか。
主人公が、好きな女性に「恋しい恋しい、新子様」とするべきところをイージーミスで
「変しい変しい、新子様」とやっちまったのです
(因みに「恋」の字は当時「戀」と表記しました。)

これは小説としては面白いで済みますが、実際のことならば、主人公は一生の不覚と
腹を掻っ捌いてしまいたい衝動に駆られるのでしょう。

くれぐれも恋文を手渡すときは、書く段階で、推敲に推敲を重ね、誤字脱字がないか丁寧に見直すことをお勧めします。

芥川龍之介の失恋と結婚

2010-07-03 23:17:28 | 
だいぶ退屈な話かもしれません。お許しを・・・


東京帝国大学英吉利文学科1年であった芥川龍之介は、大正3(1914)年、丁度この頃縁談が持ち上がっていた吉田弥生に対して正式に結婚を申し込みました。

しかし、この話は養家芥川家の猛反対にあい、翌大正4(1915)年2月頃に破局を迎えることとなるのです。

吉田家の戸籍移動が複雑であったために弥生の戸籍が非嫡出子扱いであったこと、吉田家が士族でないこと(芥川家は江戸城御数寄屋坊主に勤仕した由緒ある家系)、弥生が同年齢であったこと等が主な理由でした(特に芥川に強い影響力を持つ伯母フキの激しい反対があったのです)。

京都帝国大学学生となっていた親友井川恭(恒藤恭)宛同年2月28日附書簡で芥川はその失恋の経緯を語り、「唯かぎりなくさびしい」で擱筆、激しい絶望と寂寥感、人間不信(弥生をも含めた)を告白しています。

また3月9日の書簡には次のように書き綴りました。

「イゴイズムを離れた愛があるかどうか。イゴイズムのある愛には、人と人との障壁を渡ることはできない。人の上に落ちてくる生存苦の寂寞を癒すことはできない。イゴイズムのない愛がないとすれば、人の一生ほど苦しいものはない。周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい。しかも人はそのままに生きることを強いられる。一切を神の仕業とすれば、神の仕業は憎むべき嘲弄だ。・・・」

自分の愛が周囲の猛反対によって潰される。その自分勝手な大人たちに翻弄され苦悶に陥る世に絶望しています。エゴイズムのない純粋な自分の思いや望みが全うされる愛を心底望んでいます。

けれど失恋の痛手もやがて癒え、大正5年8月25日に塚本文に恋文を送るのです。

「僕は時々 文ちゃんのことを思い出します。文ちゃんをもらいたいということを、僕が兄さんに話してから 何年になるでしょう。もらいたい理由は たった一つあるきりです。そうして その理由は僕は 文ちゃんが好きだということです。もちろん昔から 好きでした。今でも 好きです。そのほかに何も理由はありません。・・・」

こうして今度こそは大人のエゴイズムに翻弄されることなく、大正7年2月2日、芥川龍之介27歳は、目出度く文17歳と田園調布の自宅で結婚式を挙げました。

面影

2010-06-30 22:19:45 | 
人はいさ 思ひやすらむ 玉かづら 面影にのみ いとど見えつつ (伊勢物語21段)

意味

あなたは僕のことを少しは考えているのだろうか。幻にばかりに頻りにあなたの姿が見えはするのだが。

平安時代、夢や幻に意中の人が出てくるのは、その意中の人が自分のことを考えてくれているから、想ってくれているからと都合よく解釈されていました。

恋は昔から、永遠の不満足の中にのみ生きつづけると言われてきました。文学の世界でも相思相愛は物語にならず、片思い・失恋・離別・裏切りなど、そこに魂の揺らぎの伴う恋に人々は魅せられてきました。
仮にいま不幸せと感じている事実があるとしたら、あなたは充分、物語の主人公になり得るのです。

2007年4月5日投稿「感銘を受けたことば」

2010-06-10 10:06:29 | 
2007年4月5日に投稿した私自身の好きな記事です。




 愛する人に

人の一生は洪水のように大きく激しい流れでなくていい

清水のように、あの岩陰の人目につかぬ滴りのように

清らかに、ひそやかに自ら耀いて生きて貰いたい

              (新潮文庫「井上靖全詩集」)

愛に惑う

2010-05-11 21:06:45 | 
満天の夜空に僕は愛を探した

愛の大きさを湖一面に放り投げる礫(つぶて)での

波紋の大きさで測ろうとし

僕の溜息やら逡巡やらは何時の日か

疲弊に終わる運命に変わる事をまだ知らなかった・・・


計画性がなくて行き当たりばったりの生き方の僕と

緻密な計画を好み無駄な時間を嫌う君との

距離を埋めることを当たり前のようにしながらも

知らぬ間に

時の襞(ひだ)に吸い込まれてしまった


物憂き顔に風になびく髪がかかって乱れて

その表情が明瞭(はっきり)と垣間見えた

夢や希望を語り合った若さという過去は

輝きと共にとっくに失われて

迷謬した陥穽に落とし込もうとする


そんなことは わかっていた

希望を今になぞらえるなんて無駄なことを

君の顰(ひそみ)が十分に物語っていることを

恋が終わりそうな時・・・

2010-04-25 23:08:28 | 
「もてない男は悲劇だが、もう好きでなくなった女に追いかけられる男ほどには悲劇でない」

 恋が終わりそうな時、女は結婚に持ち込もうとする。しかし無理に引っ張って結婚に持ち込んでも、その結婚は地獄以外の何ものでもない。

 なぜ、このような悲劇がおきるのか。それはその人がさびしさ、せつなさに耐えられないからである。別れようとする恋人に憎しみを抱く。しかし、その憎しみは相手を遠ざける結果になる。そこで、その憎しみは抑圧される。攻撃性は自分に向けられる。攻撃性が自分に向けられたまま、外側から自立を強制されてくる。そこにさびしさ、せつなさが生じる。そのせつなさに耐えられなくて、さらに相手にしがみついてゆく。

                        (加藤諦三  せつなさの心理)