うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

タケノコを掘りに行く、それと・・・・・

2020年04月19日 19時04分18秒 | わたしの日常です。
どうせ駄目だろうと、そのことを確認しにタケノコ掘りに行ってきた。わたしは、ここ数年来イノシシの食害で参っている。やはり全滅かと、行って数分ほどで帰ろうとしていた時に、タケノコが彼らの掘った穴に残っていたり、金属質のごみに邪魔されてあきらめていた形跡がある。何とか中くらいのを2本ちっちゃいのを3本収穫した。
画像の右側は足りずに直売所で購入した、¥300.である。全くいまいましい、イノシシ様の残り物だ、おこぼれだ。
            

帰りがけに珍しい草花があったので採取した。ブロッチの入った青色の花びらはアメリカンブルーのようで、つぼみが青紫色で綺麗だ。多年草、ランナーで増えるようだ。庭で早速鉢上げする。後で調べよう。
            

            
            
            
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施工管理技術者としての仕事

2019年12月16日 05時46分05秒 | わたしの日常です。
 わたしの施工管理技術者としての仕事は、長年、勤めていた造園会社の業務縮小による退職後、自営業を数年間おこなったあとに就いた職業である。この後造園会社は倒産したが、結局、推定の退職金2,300万円は貰えずじまいであった。その会社での最終的な役職名は業務部長兼設計室長である。
わたしの60歳直前に、福岡県北九州市に本社がある散水機器・道具/浄水器製造販売会社での新規事業部門を立ち上げた(屋上緑化計画)会社に入社する。後で知ったことだが就職情報誌リクナビの250倍の応募の中でたった一人正社員に採用されたらしい。役目は、その事業について全国にある営業拠点での業務展開、現社員に対する教育、指導、体制づくりである。しかし、最終的に社内で要求されたわたしの国家資格貸与拒否による理由で一年足らずで退社する。この業務の本体は全国展開で散水機器ではシェア60%を誇る発展中のワンマン社長経営の企業であった。
 本格的な派遣業務としては自宅近くに位置する千葉市独自の市民ゴルフ場の植栽工事担当が最初であった。ゴルフ場はごみ集積場を埋め立てて出来た本格的な9ホールである。どうやら、植栽専門の分野では人手不足で、かつて当時の民主党政権によって廃止された都内の有楽町の人材銀行にわたしが登録していたのをあるコンサルタント会社が探し出したらしい。
 次は市原にあるURの3つの近隣公園などの新設工事までは造園担当であった。そのうちに専門分野外である一般土木を手始めに、宅地造成、道路舗装、東北の放射能除染、震災復興支援業務、成田空港での誘導路舗装、北越自動車道での高速道路の橋梁床版取替え、岩手県内の国道の新設橋梁やトンネル工事を担当するに至っている。単身赴任で行った先は、色々な業務を受けて関東地区から次に東日本大震災による災害復興工事で福島、そして希望して行ったわたしの郷里に近い宮城県気仙沼市、自宅通勤の千葉の成田空港、新潟県長岡市、岩手県宮古市と続いた。
 というふうに書くと、まるで業務経歴書のようで無味乾燥だが、好きな造園のみではなく見様見まねで土木工事までテリトリーが広がったのは生活費を稼ぐことが唯一の理由である。わたし自身には半世紀も前に身一つ地方出身者として出て来たからには業務展開できる資産があるでもなく、雇われて勤め人で収入を得るしかなかった。現時点では、お金は老後の生活を補うためで、ひっそり細々と暮らす分には現状でもなんとかやっていけるが、対外的な行動や自らがやるべきことをかなえるには先立つものがいる。その目的は生きて来たからには晩節を汚すことなく、後顧の憂いなく実現したいものだ。
 この間に出会った同僚は一種の人生の落後者が多くいた。当然なことに技術者がほとんどではあった。その人たちの経歴はいろいろだ。大企業のゼネコンや役所の技術職の中途退社、工務店自営者、企業倒産、自己破産者、夜逃げ、ひょっとしたら前科者もいたかもしれない。一匹狼か、家庭崩壊者、家族問題、妙な少女ファンの追っかけ趣味に走り独身者を貫かざる得なかった者、言ってみれば多種多様な人生模様だ。わたしにとってはその人の世の煩雑さに辟易しつつ、ある程度は我慢、我慢の道筋であった。そこでは、昔、わたしの20代半ばころにバイト生活で垣間見た世間の人生の裏街道を行く人々を思い出したもの。その様々な挿話については、まあ、読物でも大衆小説にでも書きたいぐらいである。 
 年金受給前にはハローワークからの失業保険もいただいたが、まだまだ住宅ローンもありやみくもにこの業務に進んできた。わたしには出張はともかく単身赴任生活も社員時代のバリバリの現役では全く経験がなくて、60歳も過ぎてやむを得ずというのが実情であった。 
 そして、年金受給開始もあり、ローンの支払いが済んで、初めて貯金というものをした。わたしの人生として初めてのことだ。このことはわたしにとって極めて不思議な経験でなんとなく落ち着かない気分、勿論うれしいことであるが、これからの人生に不思議な明るさをともなったものであった。つまり、やり残して来たことに気づきそれを成就せねばという展望が持てたのである。
 この記事はどこかの時点で書き継ぐかもしれない。
                  
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極月とヤマモミジの紅葉、イヌシデの黄葉

2019年12月08日 05時56分42秒 | わたしの日常です。
12月は師走とは言うけれど、極月なのだなあという実感のする年の暮れである。画像は数日前の紅葉の光景だ。人の目につかないロケーションではこのように一足遅れて繊細な趣きを見せてくれる。建物の狭間で強い風にも当たらず直射日光も少ない。ヘビースモーカーのわたしは、事務所内での集中的な業務のなかで、時々、ここ通用口に煙草を吸いに降りてくる。一時の静寂だ。
 イロハモミジと言うよりも地元ではやまもみじ、イヌシデは株元から上部の樹冠や梢端部に向かって黄色から赤みがかりついには褐変し落葉していく。カバノキ科アカシデ属。別名ソロ。造園の世界に入り始めたころは、関東に多いこの仲間のクマシデやアカシデとの差異を見極めるため幾度も図鑑や現地で調べたものだ。イヌシデは当地では山の木でせいぜい薪にしかならなくて、農業資材や建築用材としては無価値であり、漢字では 犬四手 と書く。
          
       
          

          

          

          
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わたしの通勤ルートですが・・・

2019年11月28日 05時24分51秒 | わたしの日常です。
まず初めにお断りしておきますが、このコラムのネタは千葉県内特定の地域性あるもので、普段から車などを利用せずいる方々にとってはマイナーな話題になります。この書き込みに興味のない方はスルーしてください。
 今月中頃から、県内の自宅から柏市街へ通勤することになった。まあ、この年齢で仕事に就けて稼げるのはありがたい。
 だが、今回は長距離通勤ではなく長時間通勤になり体への負担が大きくて心配される。通う前からわたしはシミュレーションを繰り返した。今までは単身赴任で長距離の東北や新潟へは高速道路で行き来してきたが、この場合は距離があっても無信号や定速での高速運転ゆえに楽だからいい。また、高速代については割引率の高いETCで安くて、燃費も25km/ℓだからガソリン消費効率がいい。
 過去には、電車通勤をした。品川区内の天王洲アイルにある会社までは、地元駅6:47の各駅に乗り佐倉駅ホームで数分の順番待ちをして始発の快速電車で品川駅まで1時間40分、あとはトコトコ歩いたものである。遠方に家を買ったせいで、それが19年間も続いたものだ。
 このたびのクルマ通勤では、同じ長時間通勤でも体の疲れ具合が比べものにはならない。気持ちや神経の疲れが主で、たまに首が痛くなったりはするが今のところは腰痛には至っていない。

 通勤ルートは、自宅、県道22号線⇒(間道)⇒ 農免道路⇒(東関道上)⇒(寺崎跨線橋、JR総武本線・成田線を跨ぐ)⇒県道22号線・寺崎北C⇒ 国道296号線⇒ (鹿島橋C) ⇒(京成本線・臼井踏切)⇒県道64号線・中宿C ⇒(印旛沼・船戸大橋)⇒(造谷C)⇒ 県道64号線・竜腹寺C⇒  一段下がった堀込式の国道484号線・小室C⇒  国道16号線・大井C⇒  県道282号線⇒ 県道51号線⇒  市道⇒(跨線橋、JR常磐線を跨ぐ)⇒市道・あけぼの2丁目C⇒ 国道6号線・柏駅西口C⇒  市道、目的地である

 田舎の農免道路はセンターラインなしで、農村の畦道から道路になった場所も多く、ここでは大型車通行禁止の設定された道路幅員の狭小区間が2個所あり渋滞の原因となる。本来は田畑へ通う農耕用のリヤカー、トラクターや軽トラックの通る道である。またここには、小さくはあるが急坂の曲折し背の高い樹木がワサワサと繁る峠越えの箇所では積雪時や大雨は運転技術を要する。この坂は高低差が15mはありそうだ。
 人家や車の少ない田園や山中も走るがほとんどがカーブ状になっているので注意を要する。そういえば、福島で除染の業務で単身赴任中は、毎日半年間、アップダウンのある地方道や田舎道の片道30kmをライトバンに同僚を乗せて走ったものだ。わたしにとって運転はどちらかと言えば苦手な部類に入ると思うが、割と苦にしなかった。

 何といっても一番走りやすい道は、千葉ニュータウン内を縦断する北環状線とも言うが、真ん中を高運賃で悪名高い成田空港と高砂(羽田空港)間を結ぶ北総開発鉄道が通り、それに並行して一般道に沿って走る3~10m堀り下げた片側2車線の国道484号線であるが、信号もなくまるで無料の自専道(自動車専用道路)のようである。所用時間は7,8分ほどか。工事工程表ではここがクリティカルパスの経路になるが、遅れた場合はスピードアップする。国道16号線は関東地方最大の幹線道路は30分ほど。通称、産業道路と言ったもの。昔は100km/hくらいでガンガン飛ばしたことがあった。国道6号線へ通じる跨線橋は常時4,5回の信号待ちの混み具合である。帰宅時は国道6号線の呼塚交差点を迂回する場合がある。
 信号には時差式、感応式、歩行者専用の押しボタン式があり無数の交差点を通過、市街の商店街には小さなスクランブル交差点も1カ所ある。
 否が応でも道路の走行環境や線形が様々でそれに合わせて運転の仕方を変えていく。法定の制限速度を守りながらも、車のスピードは他の車の流れにのらないといけないから、実際は20,30km/h、50~60km/h、80~100km/h で走行している。以前には車の経済速度は80km/h とされていたが、とてもとても一般道では無理、国内では北海道なら可能かもしれない。 
 車に拘束される時間が長いから、コンビニ店を所用のほかにトイレ場所として4、5か所キープしている。ガソリンスタンドは特約店でカード決済である。わたしの家庭では年来、COSMOのみである。ガソリン代は毎日変わるが¥130~132/ℓぐらいか。
 運転していて嫌なクルマのいの一番はトレーラー車 産廃運搬車などの大型車だが、ダンプトラックはまだいい。キャリアカーはそうでもない。それに、大型小型を問わずコンテナ車、スモークガラスの貼ったくセダン型はいいのだがワゴン車などの普通車や小型の1BOXタイプは車高が高く、後ろにいるとどの車も前が見えず視界が遮られる。スクールバスはあるが、タクシーにはあまり行き遭わない。その内に、退屈で想像力(妄想力)豊かなわたしは、その走っている車の内容や用途、目的先を覚え込んでしまうかもしれない。
 わたしの車は中古で軽自動車走行キロ125,000km、ダイハツMOVE、通勤用の足で一昨年に購入した。古いからあのシートベルトとか自動の音声指示が催促するやかましくない車だ。ちなみに古いナビが付いているが、使ったこともない。このボンネットの軽自動車は人だけ運ぶもの。片側一車線でも幅員によっては一回の切り返しもなくUターンできる。ご想像できるでしょうが、わたしには車の趣味や見栄はない、タイヤが四つ付いていて前に進めて時々後ろに動ければいい、という程度だ。(笑) しかし、毎日このルートを通っていると、段々と各信号間の距離を読み込み、最適な定速走行の維持、車線変更やアクセルでの加減速の程度などを覚えて運転技術は上達しているようだ。(!) 
 実は車の故障が一番怖い。昔入ったJAFに再加入も考えたが、保険会社に相談したらそれに該当するオプション(ロードアシスタンス)があると聞き、考え直した。

 こんな日常だから、否が応でも、安全運転をせざるを得ない。片道55km往復110km、平均速度50、60km/h、所要時間は 1時間40分から2時間、燃費はおよそ16km/ℓである。現在の通勤時間は6時30分に出て8時20分に着く行程である。最近は帰りは暗い時間になるが、これが雨になると視野は光の照度が落ちて視野がぼやけてくる。
 一番楽な時間帯は6時前に出て勤務先を7時半以降に遅く出発して帰ればいいのだが、それではわが家には寝に帰るだけの賄い付きの寄宿舎生活になる。わたしは仕事中心の世代ではないし、年齢を重ねるとさすがに人生とはそういうことではないと気付き始めている。(よほど好きな仕事であれば、お金と寝食を忘れて没頭するのだが。ちょっと、格好良すぎるが・・・)
 やはり、安全運転がいい。今回は期せずしてと言おうかやはりと言おうかしつこくて無機質な味気ないブログの文章になってしまった。
 最後に一言、このルートでわたしを追跡しないように願いたい。ここでは世間話のつもり。いくら個人情報をさらけ出したとしても! ! !
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北鎌倉の ≪あがり羊羹≫ です。

2019年09月16日 06時02分20秒 | わたしの日常です。
この間、北鎌倉に行ってきた。わたしが担当した31年前に設計施工済みの工事物件で、近年は10数年前の邸宅庭園を見に行ったのだが、ここでは当時に地元の人に教えられた由緒ある ≪あがり羊羹≫ の紹介です。お値段は1本¥1,399.、店名は 北鎌倉 松花堂 になります。
 JR北鎌倉駅からすぐの通り(鎌倉街道)にあります。近くに行きましたら、どうぞ。












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わが家の猫 イブです。

2019年07月30日 12時00分41秒 | わたしの日常です。
昨日午前、やっと、関東地方も梅雨明けが報じられた。今年は、長雨で自然界には色々な影響が出ているだろう。毎回のように九州などでは降雨被害が頻発した。関東では野菜や果物も不作気味、米は通常の暑さと好天が続けば稲はこれから出穂するからまだ間に合うかもしれない。卑近な話題で恐縮だが、コレクションであるわがギボウシなどには適した天候だったようで生育も順調で、また見たことのない品種の開花も初めて見ることが出来た。
 それはさておき、ここでは、わが家の猫の紹介です。家飼いでいつも室内からガラス窓、網戸越しに屋外や庭を眺めるのを唯一楽しみにしている猫です。猫の性格は至っておとなしく、宅配業者や来客に対し脱兎のごとく逃げるなど極めて人見知りする(?)臆病なもの。しかも、めったに鳴き声を出さず人に抱かれるのを嫌う奇妙な猫です。静かですが、いつのまにか家族の傍に距離を置いて居座るという行動パターンでしょうか。平成25年10月生まれの雄猫、わが家に来たのが12月のクリスマスイブの日で、名前はイブです。今年で6才になる。

 ・昼下りに 身じろぎもせずに四十雀や イブと見る

 以下に、ダラダラと画像をアップします。






 
          






 












          
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メゾチントの浜口陽三展へ

2018年07月24日 06時04分45秒 | わたしの日常です。
わたしは先日、暑いさなかに所要があり、東京に出た。地下鉄で用務先の人形町から東銀座駅近くのわが田舎の岩手県のアンテナショップによる。そこで、せんべい汁 とか 岩谷堂羊羹 と 芽吹き屋の三色団子 をもとめる。次に水天宮前駅に行く。ところが、目的の美術館「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」がなかなか見つからない。炎天下を動きまわり高速道路際にあることが判明、このことは実はヤマサ醤油㈱東京支店で聞いたもの、正午過ぎではあったが受付嬢は笑いながら対応してくれた。(浜口陽三はヤマサ醤油の親族です)
 カラーメゾチントの浜口陽三は昔、千葉市立美術館で知ったものでそれいらいこの人の版画に病みつきになった。斬新さと緻密なフォルムと色合いの漸増的なバリエーション。まるで金属工芸品を思わせる精緻な仕上がり。あの、有名なさくらんぼや西瓜のプリントされたハンカチを後生大事に持っていたものです。
 この美術館は何年ぶりか、かつて武蔵野市の吉祥寺美術館にも足繁く通った。私は当日、地階と一階に掲げている版画やデッサン、絵をじっくり見て回る。来たのは20年ぶりか。そこで、暑熱の外気を忘れてわたしは静穏の中で過ぎた時間を思う。

          

          

          

          

            

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近況を・・・

2018年07月16日 05時11分11秒 | わたしの日常です。
私事を書き込む。長文になり恐縮ものです。関東は今年、6/29 に気象観測以来67年ぶりという梅雨明けが気象庁よりなされた。わたしは相も変わらず在宅暮らしでたまに地域の周りをうろつく。または色々と諸事を片付ける。

 地元の自治会からの依頼の月一の園芸教室開催も二回目になる、わたしは意気がりもせず誰に構うことなく行っている。以前と違い人集めにあまり気を使わない。肝心なことは、専門的な事項・用語を日常の言葉で分かり易く話すこと。そしてやって見せること。なんだか、教え方や話し方が少し上手くなった。

 就職活動も夏をめどにしている。そのあとの首尾は不明だが、終活か。

 7月上旬からわが家の屋根外壁塗装工事が一か月続く。地元業者の施工状況や進捗に内心は不満たらたらであるが…。安っぽい建売住宅だが、わが家族は足場や養生シートに取り囲まれて家の中は薄暗くまるで大きな鳥小屋の中にいるみたいだ。
 
 先日、近くの佐倉の老人ホームにてぎぼうしの庭を造る。わたしの役割は材工共の作業員である。

 地元樹木医会の活動は月に二回ほど、3年目になりそれぞれの樹木医という資格者の業務経歴や性格、活動分野がやっと見えるようになってきた。わたしは、交友関係も先輩後輩にかかわらずのびのびとやり取りしている。

 ところで、こちらではこんな風にのほほんしているが、西日本の雨の被害が大変なことになっている。平成30年7月豪雨。わたしも東日本大震災を思い出す。この間、樹木医同期のYさんにつくば以来初めて電話をした。そのテキパキとした早口の受け答えに広島市職員としての緊急事態におかれていることを想像させられた。多分、業務は休日なしだろう。わが息子も地方公務員だからわかる。本人の自宅は高台のために被災はないとのこと。
 現時点では住宅地を中心に自己責任の意識をもった支援ボランティアの人海戦術が必要なのだなと、遠巻きながら感じている。

 文章だらけだと無味乾燥気味なので、以下の画像はありきたりではあるがオリエンタルハイブリットの カサブランカ の花を掲げる。わが家が塗装工事中なので緊急避難的に切り花にしてリビングで活けてみた。
            
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淡竹のタケノコの収穫

2018年05月29日 03時00分06秒 | わたしの日常です。
どうやら、このわたしのGOOブログには色々な話題が載っているらしく、「アクセス解析」によると、ギボウシは当然として過去の記事では淡竹(ハチク)や花オクラのことを見ている人が多い。今年も淡竹のタケノコを収穫したのでアップする。
 実は、孟宗竹のタケノコ狩りは今年の4月に3回行ったが、イノシシにやられて全滅であった。非常にくやしい。狩猟免許を取ってやっつけたい。農家の悲惨な被害も聞いていてやるせない。やむ得ず農産物直売所からお金を払って凌いだもの・・・・・。
 あの台湾研修旅行の時の新竹県の標高1500m 司馬庫斯 では、堂々とした淡竹の原生林を見せつけられてうーんと唸ったものだ。宿では淡竹のタケノコもたらふく食べさせられたし・・・。

          

          

          

          

 ※以下は随分古くて、平成12年6月3日の記事です。
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ここでは、タケノコ話を書き込む。
 画像では、左側2本が真竹で、右側9本が淡竹である。両方とも採取時期が遅かったとおもわれる。収穫は地際でカットするか折るのだが、高さは真竹が50cm 、淡竹が30cmぐらいまでが目安か。

               
  ≪撮影:平成12年 6月 2日午後2時頃≫

 その後、翌日にわたしはまた、稲刈り鎌を持って淡竹をとりにく。場所は近い、採るのに30分、下ごしらえに小一時間、本数は30数本だろうか、要領が分かってきたので、即、台所で皮をむいていく。力を入れることが難しくなってきた妻のことを考えてである。淡竹はどうやら孟宗竹や真竹にくらべると食べる部分が少なさそうである。なかには、シンクイムシが入っていたり枯れていたりやや厄介だ。このタケノコは収穫時期が短そうで、多分、淡竹の筍はこれで今年はおしまいだ。あとは、真竹のタケノコ狩りが待っている。
          
 写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。

 わたしは、ここ数年来、タケノコ狩りに執心していて今年もまた、孟宗竹につづいて真竹のシーズンになった。昨年のこと、その際にある知人から淡竹(ハチク、破竹ではない)のタケノコの美味しさを聞いて、わたしの在所でその自生地を探していたら、この近所の20数年前と思われる放擲された住宅造成地に時期遅くに見つかった。それで、そのヤブ化された場所に今年は喜び勇んで収穫してきた。
 早速、両方とも家内と一緒に調理して食べ比べたが、淡竹の味はややえぐみと複雑な味覚と食感、真竹の方は食べやすくすっきりした味である。基本的に、両方ともアク抜きは不要です。皆さん、不適当なたとえですが蓼食う虫も好き好き、一度はお試しなってみてください。
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あれやこれやと、よしなしごとを・・・・・

2018年05月01日 05時49分04秒 | わたしの日常です。
ここでは、あれやこれやとよしなしごとを記す。もっか、わたし自身が気になっている日頃の課題をはっきりさせるために文章化してみる。ほとんど、偏見に満ちたモノローグになるだろう。ご笑読ねがう。
 もうすぐわたしは、連休明けに海外旅行にいく。台湾へ5泊6日だ。いちおう観光目的ではなくて研修である。わたしは決してお金に余裕があってではなく、4月以降現在はいわば無職であり貯金を切り崩す生活、そんな状況の中でわが家内を説得してである。ひよっとしたら海外は今回で最後になるかもしれない。既に昨年、数十年ぶりにパスポートの10年のものを新しく申請していた。今までは中国の雲南省と北京と上海、オーストラリアの西海岸や東部に行ったきりだ。
 それではなぜかというと、海外の植生や緑化・樹木に詳しいベテラン樹木医の先輩が見事な添乗員役になってわたしたちを引率してくれるからである。そのAさんは旅慣れているのだ。わたしには、この絶好のチャンスはないと思う故であるからだ。今回も団体の樹木医仲間であるが、昨年のタイに続いて親日国の台湾である。グルメにとって両国とも美味しい料理や果物を味わえる観光とも言えるがわたしにはあまり関係ない。一週間程度、台湾を新幹線で北から南に移動し中央部の山地に入ってくる、主に巨木が残る台湾檜と植生を訪ねる。
実は広い世界でこの分野で研修できる国々は、庭園などの展示会や植物園を抜きにして行きたい国は絞られてくる。それは東南アジアの国々だ、紛争地域や仏像・仏教建築などの宗教がらみもあるが、いずこの国も農業が盛んで自然の緑っぽいものがあるのは温帯から亜熱帯、熱帯地域の開発途上国になる。生物多様性の視点もある。ほかには中米の一部、南米、南アフリカなどアフリカの赤道以南の国だろう、しかし、交通的に遠い。もし近くのハワイに行くのなら、オアフ島以外の島々だ。欧米には、はじめから食指が動かない。

 また、昨年のタイ研修旅行の位置づけである。というのはわたし独自のやり方かもしれないが、旅行経験に基づいた知識や知見の整理作業を指す。このことはさっさと手早く単純にテストや受験勉強のようにすればいいというのではなくて、ある程度の時日を必要とする。どこかで体系化をする。翻って言えば、ずいぶんと偏屈で面倒くさいわたしの性格に起因した属性と言うか習性とも言える。わたしの背負ってきた人生のなせる業(技ではなく)である。この連休中に処理予定だ。

 次に考えることは、わたしなりのやりかたでギボウシの特性や分類の明文化と資料作成、品種ごとの栽培方法、荷造り、発送方法、それにWeb上で通販まがい(!)の値決めや入金・販売システムを成立させた。わたしのギボウシ好きが嵩じて栽培から始めたものだが、ある意味では全く素人から始めて15年目になる。Web販売的にUPしてからも10年弱になる。ところで今は、原価計算的な発想がはたらいて商売的に売り上げを増やしたいという思いに至っている。

 また、以前、造園の仕事を当時の起業ブームに乗って50歳台前半に自宅を基点にして会社をつくったことがある。その時の計画した事業内容に現在の状況をつなげられないかと性懲りもなく思う。なんだか、今のところまだボランティアになるが、マンションの植物管理の提案やたまたま自治会からわたしが住んでいる地域の公園管理の指針づくりを求められている。要は知らず知らずの内に顔が売れてきていることになるだろうか。身構えずに相手に合わせて臨機応変に行動していくつもりだ。

 昨年来の東北の故郷の樹木調査の追加分の整理がある。この作業はほとんど金銭的に持ち出しが多い。わたし自身は町おこしのつもりであるが、なかなか相手の事情や地域情勢がありうまくいかない。いちおう12万の人口規模の市でトップ当選の市議とはコンタクトがとれている。したがって、故郷でわたしの名は売れたろうがなかなか地域の自主的な動きが遅々として進まない。どこでもあるだろう地方特有の官庁頼みの地域住民の意識だからしょうがない。だからこの課題は相手あっての上であっても、今はわたし自身の踏ん張りどころという気がする。実は文書作成はある意味であっという間のことだ。これらは連休明けまでに完了し関係者に郵送予定だ。

 また樹木医としての活動の履歴を統括的に整理し、案件ごとに体系化をはかり手元の控えとして文章化する。その診断に再生や治療技術などの業務を根本的に身に付けて行きたい。そのための基礎としてわたしには樹木を30数年間にわたり経過を巡り変化を経年的、形而下的に見てきたという自負がある。何ものにも優れた無形の技術的な経験がある。本人の前向きと言える加齢化とともにである。業種的にはものを造るという第二次産業の特徴とも言えるのだが。いつまでも研修ばかりでは樹木医の名はお飾りにすぎない、何もせず野放図にいると本来の樹木医の資格取得の意義からは異なったものになるだろう。化

 最後に、68歳を迎えたわたしにとって再々就職は可能なのかということである。60歳直前までは年金受給のことは無関心であったが、なんだかんだ言っても今はありがたくも年金生活者であり、もしもの時の老後の資金不足の心配がある。実は過去に19年間勤めた造園会社はつぶれたのでわたしは退職金をもらっていない。このことは生活設計上大変なことであったが、その後はまた自営に失敗し、造園や土木系の施工管理の道に派遣先を変えて転々としてきた。やっと住宅ローン返済を終了した時点では貯金はゼロであった。今でこそ貯金は多少しているが、現状では将来の家族の病気や災害時を考えると余裕がなくてカツカツの状況である。まだわたしの自立、自己完結の生き方は終わらない。いずれ好きな造園の道でなくとも、拘らずに土木方面に仕事を見つけなくてはならないのだ。
            
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日本造園修景協会の千葉県支部発会式

2018年01月22日 17時23分25秒 | わたしの日常です。
先日、日本造園修景協会の千葉県支部の新たな発会式に出席した。二十代後半の結婚直後、未知の造園業界に転身して、入会以来35年以上は経っている。近年はささやかな独立起業以来15年はブランクであったので顔見知りはいないも同然だ。
 かつてわたしは学会・業界など色々な会に入り動きまわっていたが、費用も活動も無駄が多かった、今はここと日本樹木医会と日本ぎぼうし協会にのみ加わっている。
 日本造園修景協会は官民の個人参加の業界横断的なサロン風な集まりが続いている。わたし自身も自費・手弁当で国内、主に京都などの庭園研修に参加したもので、懐かしい感慨を持っている。 
 なかでも、来賓たる国土交通省、日本植木協会会長ら錚々たる方々と面識を得たが、わたし自身はフォーマルな服装もわきまえず無造作に普段着のジャンパー姿で参加して、やや気遅れ気味だ。
 今後の県内の研修やイベントに期待を持っているが、この際、ぜひとも千葉県九十九里出身の造園家である斎藤勝雄先生の作庭歴を辿っていきたいものである。
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タイ旅行と中学同級会と

2017年06月12日 17時26分52秒 | わたしの日常です。
関東も梅雨入り。極めてプライベートな近況報告です。
一か月になっても空港の夜勤勤務では寝不足続きの毎日が続く。
14日からタイへ、23年ぶりの海外旅行準備もなんだか面倒ですが、事前の学習ではタイ人の国民性、風土や文化、熱帯季節林、仏教建築を学びなんとかわずかな知識を得る。当地での時期は雨期に入ったばかり。しかし、外国だからといって、見事にワクワク感はなし。次にやっと6月下旬、郷里一関での樹木調査(メタセコイア、サイカチ、杉、シラフジ他21本の予定)を地元の同好会と共に行うことになった。共同でやることに意義がある。
それに70歳直前の最後の中学時代のプレ同級会にも参加、それぞれが半世紀以上も個別に生きているので話は全くといってかみ合わないがこれも人の世にありがちなこと。何というか、老境に至るの感がして切ないものだ。
 画像では、梅雨の中のわが家の花などを載っけた。
            
            
            
            
            
            
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河津桜が3分咲きでしょうか。

2017年02月13日 05時00分32秒 | わたしの日常です。
 皆さん、すっかり、ご無沙汰です。実は、わが妻の右腕の骨折事故によりわたしは家事多忙につき最近はおさんどん状態でした。家庭では掃除・洗濯・料理・スーパーへの買い物、病院との往復、と生活費を稼ぐための日々の勤務です。
 一時的にせよ家庭内で身障者を抱えていて、息子たちも懸命にサポート、わたし個人にとってはこの先は老々介護もありだなあとイメージしている。
 サクラは樹木医研修会場のホテルの隣の公園ですが、河津桜が3分咲きでしょうか。2月5日、時刻は14:30過ぎです。昨年もこの桜を眺めました。全国的に見て、相も変わらず千葉は暖かいんだなあ、と感じ入っています。

           
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油絵2点

2016年09月29日 05時42分47秒 | わたしの日常です。
これはわが家の壁にかけている油絵です。6号とサムホール版。かつて勤めていた会社で同僚になったセミプロの女性洋画家のもの。彼女は取引先の三菱商事からの紹介で入社。会社勤めは初めてのよう。聖心女子大卒で二度も結婚し二度も離婚した、相手は若い大蔵官僚、ゼネコン清水建設の常務だ。ハイブロウな出身と言えるかも。小柄で美人系、天真爛漫な年上の女性で、かなり風変わりなキャラクターで、やたらとわたしと相性が良くて社内に設けられた別室、わたしの設計室に遊びに来たものです。よく、絵の批評もしたもの。それに個展にも行ったもの。たぶん。他の社員にとっては持て余し気味だったのでしょう。
 絵画ほかの芸術一般については、わたしは分不相応ながらもよく理解していました。
 わたしは当時、かなり、彼女の絵を月賦で買い込みましたが、現在は手元に3点残っている。美術年鑑での評価は号¥33,000.とか。購入は4~12万円クラスだったろうか。抽象画も描いていたが具象ではこのような西洋梨、カラーやバイオリンなどの題材が多くて、風景画は彼女がたびたび行っていたフランスをテーマしていた。購入した絵はお世話になっていた造園会社社長や甥や姪の結婚式祝いで贈っていた。今思うと、わたしもかなり豪気なものであった。
 既に70歳近い、彼女は最終的に絵と結婚したようなものだが、今はどうしているだろうか。
                 

                 
                 
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Facebookへのある書き込み

2016年09月03日 03時00分26秒 | わたしの日常です。
 以下はFacebookへのある書き込みです。わたしなりに現在の考えていることが思わず出てしまった文章です。ここに再録する。

変人№66を自称していますが、わたしは若い人が自分を若いと認めないように本心では自分自身が年寄りとは思っておりません。というのも、物事は仕事にかかわらず自分自身で何事も積み上げるものだと、10数年前につらい自営業の失敗以来思ってきました。実際のところ、身近な人たちに迷惑をかけずに、好きなこの業務ですからリタイアもないつもりでいます。
業務をおこない入る対価には厳しさを感じていますが、収入があれば勿怪の幸いということです。樹木医的には文書等で痕跡を残せたらなあとおもう。評価は顧客のみ、仲間内は論外、素人さん不特定多数の方々です。
ほかには、今まで300句もある俳句集の自費出版、12年前に執筆した冊子85頁の「緑の仕事-自叙伝風に」の追補版の発行が残っている。家庭的には自分たちの建墓、息子たちの結婚です。もちろん、すべからく、戦友である家内と相談しながらです。  
以上
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