うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

春の節分を前にして句を詠む

2012年02月03日 05時31分02秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 大過なく、月一回の工事連絡調整会議を早めに終えて、帰途、駅前広場のベンチで時間待ちをする。乗替え駅への便利な直通バスを利用するためである。ここでは、先の大震災による液状化被災箇所の復旧工事の物音に、行き交うは無数の足もとのみ。絡み合った針金の如き樹枝の藤棚の下、ここだけは風も吹かず遅い冬の陽射しでいい塩梅である。もう既に如月、明日は春の節句、気持ちが落ち着いてくると、このごろはここ数日間の出来事が頭の中を去来する。

 ・蒼空に 襟を立て袖をのばし 風を舐める

 ・西日受け 背黒鶺鴒踊る 舗石かな

 ・雑踏に 耳をそばだてて 春日和


 ・春宵に ぬくもり喪いししじまかな 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある信条-後ろ向きの姿勢で前向きに歩く-

2011年12月31日 11時14分37秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
年末は、この南関東の当地ではどうやら厳寒の折節ながら天候も荒れずに終始してきて、いよいよ大晦日になった。この時期に、何かブログネタをと考えていたら、普段からわたしなりのひそかに思っていた人生上の信条?を書こうと思いついた。
 それは人生というものは 『後ろ向きの姿勢で前向きに歩く』 というだが、この言葉は世の偉人や有名人の言ったとされる箴言やことわざや誰かの受け売りではなく、いつの間にかわたしの心の裡に浮かんでいたものである。かれこれ30数年前からそう考えてきていた。
 わたしは、結果的に紆余曲折、波乱の多い生き方をしてきたわけだが、どうにかみずからの頭の働きと正直な気持ちで生きてこれたかもしれない。生の現実を出来得る限り受け入れたのちに、わたしにとってはどうかと問いかけて、物事の背景や事実関係を分析してから行動した。それゆえに多くの場合廻り道をしたが、結果論的にわたしは内容が濃くて豊かな経験を経ているかもしれないがおおむね既存の組織や他人真似を忌避してきたことになった。
 そこで、この言葉を確認するために、収録先を確認する意味であらためて当時のワープロで作成した「自分史」を取り出した。内容は自前の自分の煩瑣で野放図な生き方を整理したい、というアイデンティティクライシス(と言うらしいのだが!?)に基づいたもので、わたしが年齢44歳の作になる。A4判の98ページ。これは私家版の小冊子で、初版が平成9年12月13日、第二版が平成12年5月27日で身近な人達に提供したものである。
 
 わたしはもうすぐ62歳、客観的には65歳まで勤めて年金をもらう予定の年代。とはいえ、人は十人十色、人生的に会社定年後はリタイアなどと世間並みに素直に受け取れず、好きでやりたいことがあればやっていくつもりだ。もちろんこういうことは需要あってこその相手次第であり報酬が入れば御の字、タダでもそのことにこだわるのだ。
 とどの詰まり、わたしのようなこんな人間は世間では変人や天の邪鬼に位置するのだろう。
 来年度の抱負についてはこんな風に考えた。
 無償ボランティアについて。今年は、東北大震災時の日本赤十字の義捐金配分時の遅い行動に嫌気がさして、40回になろうかという永年の献血行為をやめた。たぶんわたしは、これからも日赤を経由しての寄付金集めには協力しないだろう。自覚のない役人あがりの輩に任せてはだめで、こういう場合はすべからく物心共その場ごとの直接的で即断即決的な行為に勝るものはない。
 地元の市の関係とかもあるが、機会があれば、仕事で得た専門領域とも言うべき草花の栽培指導やガーデン(ランドスケープ)デザインづくり、「ガーデニング教室」は状況次第で開催するつもり。もちろん、依頼や要請はいつでも大歓迎。
 ギボウシの直売は、なにごともなければ、販売規模(品種・数量)の拡大、庭園や商業施設へのディスプレイ用の大型鉢の増加、栽培方法の省力による単価値下げの努力をしていきたい。今までは、毎年、年に二回販売時期(開始)を設定していたが、それをやめ4月の上旬のみにする。売り時の旬というのを勘案した故である。その結果、売上増が見込めるのであれば、ギボウシのみの新たな苗圃確保も検討してみたいものだ。それから、いままで繁殖や栽培に試行錯誤をかさねてきた、結実するフェイジョア苗木の発売も企図したい。
 身近に生活の資を得る業務面では、これは今関係する会社にも役立つらしい資格だが、今年は、なんどもチャレンジしてきた樹木医か技術士の合格を狙いたい。それは来年早々の、夏の試験に向けての入念な受験勉強計画を立てることから始まる。
 金銭面は住宅ローンや会社設立に伴う身内への借金の返済計画だ。これを成し遂げなければ、わたし自身の壮大な信念である自立の人生の命題が完了しない。

 などと思ったりするが、これから先こんなわたしにとって、実は、モチベーション、根気を持続させて自分自身の怠惰な気持ちに勝つことは大変なことである。

 最後にわが故郷の近くにある、「東北大震災」 時の現場にひとりで行きたい。わたし如きが行ってどうなるものではないが、この悲惨な時空に立ち会ってみたいのだ。あえて言うならば、自分なりにこの肉体や五感でこの不幸に耐え得る範囲で、面と向かってみたい。はたして、心身とも持ちこたえられるかどうか分からないが・・・。

 後記: 年賀状書きはこの後にしますので、旧知の皆様はご容赦ください。

           
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心境俳句5句。疾走する時候、哀れな身上。

2011年12月27日 05時47分32秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 ・年の瀬や 忘れがたきを忘れていく

 ・朽ち葉落ちて凍てつくお日さまや 背筋震え

 ・誰が撒きしえさに椋鳥出でしか 師走なる

 ・鈍きまなこ ま白き地にも 草みどり

 ・信号待つ よわい(齢)をかさねて 右ひだり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駄句ですが、晩秋を徒然に詠む。

2011年10月21日 05時35分20秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ


 ・蒼穹にカマキリ立ちて 秋は来ず

 ・イラガ乗る柿もみじや 実をもげり

 ・昏き朝 息せき来て 銀杏を拾う

 ・手の甲足の脛にふくらはぎや 寒気立つ

 ・いつものように秋が来て 目蓋閉じ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さんの俳句3

2011年09月30日 06時18分08秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ


  ○いまの雨が落としたもみじ踏んで行く

 これも、寅さんの俳句です。車寅次郎こと渥美清、いや本名は、田所康雄か。
 口語体の句で、これはいい。まるで、五感のみを収斂させた境地のようだ。スッーと、口端から入り、ほんの少し前頭葉をとおり腑に落ちる。その感じる心が肉体のどこにあるかはわたしには不明確だが、読後のイメージは鮮明だ。秋霖と紅葉、バカボンドとしての漂泊人生と。時候は惜しむ秋、晩秋の頃合いか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老境、秋冷を詠んで

2011年09月29日 06時45分24秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ


 ・なわてみち かざした手のしみや 山の装い

 ・雲を散らし 跡かたもなき 刈田かな

 ・初霜や ひんやりとかばねを突き抜ける

 ・むら雲や 手庇してみる 秋日中

 ・黄や朱色に 心は引きずられて 葉鶏頭

 ・秋冷えに 夢もついえて 吾亦紅
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋色五句

2011年09月11日 06時17分49秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 ・この暑さに 身も心も灼かれて 栗を煮る
 
 ・気だるさや おのが手足に残る ひとむらの白雲

 ・地震いに 木々の雀は余念なく ピーカンの空 

 ・一人居て 脳漿をしぼる日かな 閑かな秋

 ・茜空 今も昔もありえて 黄金田なり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さんの俳句2

2011年09月05日 04時57分42秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
ここでは、これはと思ったわたし好みの寅さんの俳句を採録したい。


○花びらの出て又入る鯉の口
 ・・・これは晩春。わたしはてっきり鯉のぼりかと思ったら、これは生きた鯉で水面でのことらしい。

○ひばり突き刺さるように麦の中
 ・・・ストレートな麦畑の情景と超現実的な意趣。

○すだれ打つ夕立聞くや老いし猫
 ・・・間歇的に降る驟雨、物憂い姿態の老猫、それを見つめるわたし。絵画的なシーン。

○赤とんぼじっとしたまま明日どうする
 ・・・童謡の世界、風来坊の自分をうつしだす。

○冬めいてションベンの湯気ほっかりと
 ・・・わたしの作句の場合はカタカナ表現は考えられない。専門的な領域でもある植物名でもつかわず平仮名や漢字である。しかし、ここでは平俗を通り越したセンスがありそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲリラ豪雨ということ

2011年09月02日 09時19分41秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 思い出したようにというか、気象や天候の成り行きという自然の摂理というか、このごろは、突然、空が曇って雨が降る。最近の言い方だとゲリラ豪雨ということらしい。おととし、去年はそうでもなくて先おととしがそのあたり年で春先から初秋にかけてがそうであった。
 この雨は雨粒が大きくて地面に対して鉛直に刺さるように降る。俄か雨とは似て非なる。篠突く雨に似ているがそのようではなくシャワー性でもない。となれば、強雨そのものか。野外では傘も役に立たなくて、全身がずぶ濡れになってしまう、しこうしてその短い時間は雨宿りするしかない。
 一度行って経験した、沖縄のスコールとも違う。当地では通り雨のようで、降りはじめから終わるまでは数分間であるが、降り方になんとなくメリハリがあり心の準備も出来て(!)、なんとなく納得させるような情趣があったように記憶している。
 この光景は、ちょっと見方を変え第三者的に妄想の世界に遊ぶと、江戸時代の浮世絵などの誇張された風景画の情景のようである。
 しかし、わたしのような人間にとってはこんな降り方になにかしら凶悪で暴力性を感じさせる。かつての集中豪雨はもっと降雨地域が広くて、こんなに機械的な降り方ではなくて、局所的ではない。こんな降りかたはここ数年来に始まったような気がするのだ。おっと、これも初老のわたしの妄想ゆえの虚弱な感じ方か。
            
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さんの俳句

2011年08月28日 02時13分21秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

どうやら、この頃、炎暑も和らぎ、たまに、暴力的なにわか雨に遭いつつも涼しさは本格的になりそうだ。
 この間、買いもらしていた号の「男はつらいよ・・・」DVDマガジンブックを見てて、今回は寅さんの俳句がきわめていいのに気がついた。シリーズ第38作・知床慕情、俳優、渥美清の作。これは、最後の見開きのページに、毎回載っている。
 それを再録する。

 ・日の落ちて蠅逃げるように鳴く残暑
 
 この句はどうだろう。これは出色の出来ばえではないか。夏がゆく、というセンチメントか。わたしには、自然観照と病弱の自己の肉体を客観視する、感覚の鋭さが感じられる。秀句がほかにもあるかもしれない。いつか、今までのものをあらためて読み返してみよう。

     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寅さんのDVD 第七作「男はつらいよ 奮闘編」

2011年06月30日 05時30分51秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 この間に続けざまに、やっと、購入していた「フーテンの寅」を2本見た。このシリーズは2週間に一回、書店で配刊される。わたしにとって、最近はなんだか、心身ともに慌しくて半ば義務的なものという強迫観念に迫られるのと、ほんの少しの慰安の気分であった。
 このブログをご覧になっている方はわたしが「フーテンの寅」の大ファンであることは理解していると思う。これが、ぽっと出の俄かファンではなく、映画化される前のテレビで放映時代からだからかれこれ40年近くなる。
 第七作「男はつらいよ 奮闘編」。今回は榊原ルミが相方の女性役で、わたし自身にとっては、昔を思い出しながらも、この作品が一番出来がいいように思えた。
 ちょっと怪しい津軽弁を、小学校教師の朴訥な配役を俳優の田中邦衛や、中卒で集団就職の知恵遅れの女性を榊原ルミが演じているのは御愛嬌そのもの。そうだとしても、その役柄、それを勝る表情やキャラクター作りに引き込まれる。なんだか、その時代を切りとったような作品だ。わたしにとって、実際に青森県の舞台を知らない訳でもなく、この映画ではその契機、場面、シチュエーションを丹念に作り込む。
 わたしたちにとって、いつでも、日々の生活の哀歓はとりとめもなく過ぎていく。それを面白くするには江戸時代から続く落語の世界を模していきドラマ仕立てにすれば面白くなる。日本の原風景にあこがれをもつ満州育ちの山田洋次監督のシナリオの秀抜さはそこにあるだろう。
 見終わった後に、榊原ルミの消息をインターネットで検索したら、結婚後、女優を引退し幸せに暮らしているようで、わたしは嬉しく思った。この人にとって女優業は仮の姿だ。変な話だが、ほっとした。
 誤解を招くことを承知で言わせてもらうならば、まあ、わたしにとって、物を造る仕事がいつでも仕事の上位にあって、かたちのないものを売る俳優とか銀行員とかIT職とかの水もの商売、世にあるサービス業の職業を蔑視していることにもなるのだが。
 いやいや、これは妄言多謝の極みである。
        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災を想う、5句

2011年04月14日 05時10分30秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

   まだ震えて 目蓋越しに日の射す 春愁

   春朧ろ こころありや くに(故郷)おもう

   萌黄立つ こぼれ落つ花びら 憂うとき

   田雲雀に いつもならずや 心割れる
   
   北の民 伏し目で温顔 深傷かくし
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒雀五句を、などと・・・

2011年01月22日 05時42分54秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

昨日はあたふたとしていた。午前は暖房のきかない現場事務所、急場しのぎの発電機でパソコンを起動させて、エクセルで文章を作る。その際に作業員のミスで電源も飛び、なんとか復元し午後二時、遅くなり新たな現場を確認に行く。電車で移動する。京成高砂駅からJR西日暮里、田端、赤羽で埼京線に乗り換えて 浮間舟渡駅で下車する。予定の現場へデジカメを抱えつつ隣駅の 北赤羽駅まで、日の暮れ具合を気にしながらあたふたと重い図面を持って都道を歩く、何とか間に合ったようだ。どういうふうに帰るか、そうだ、埼京線経由で新宿で地下鉄の都営新宿線で帰るのがよさそうだ。本社で用事を済ませて出たのが午後5時半、以後は帰宅の道順だ。

 JR本八幡駅からゆっくり、総武線の各駅停車で千葉に向かう。そろそろ、通勤客で混みはじめる時刻だ。所要時間が分からなかったが、まずまず、今日の予定通りに仕事は進めた。おもむろにわたしは、ロングシートの空いた席で 「完本 美空ひばり」---竹中労 を読む。ひばり本人の述懐談が連綿とつづく文章に目を落とす。隣席には同僚と60前後ぐらいのおばさんが見かけと違って品のある会話に弾んでいる。おっ、旦那の稼ぎがよさそう、と妄想をいだく。その時に忽然と俳句が湧いてきた。わたしは、急ぎ、開いていた文庫本のページに書きとめる。

 寒雀五句、工事現場の片すみを詠む

  ・擦過音に似て 啼きまとわりつくや 寒雀

  ・かわいた土くれ空気はふるえおり 一羽のすずめ

  ・はぐれたすずめ 夢をもたずに しなをつくり

  ・すずめらも 人夫の脚もとへにじり寄る

  ・空碧く 木立ち枝綾なすアイラッシュのごとく

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫秋明菊と桔梗

2010年10月27日 07時06分00秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
          

 ・菊の香や垣の裾にも貴船菊     水原秋桜子

 ・桔梗やおのれ惜しめといふことぞ  森 澄雄


 ※貴船菊=秋明菊(×:名→明)

 めっきり寒くなり陽気は秋冷に至る。
 そぞろに、しかもしっかり背中の方から秋が近づいてくる。
 これは、珍しく、写真の題材として庭先のテラスで両者の接近風景をとらえたシーンだ。
 この頃季節がポキポキと移り変わる感じだ。
 この感じは、たとえば、若い時にはバロック音楽、イ・ムジチの ヴィヴァルディの“夏の嵐”、それに合奏曲 “四季”の第三楽章を よく聴いたものだが、アレに似ている。
 わたしにはあのクレッシェンドの曲の旋律が似合う年代なのだが、
 しかし、今は何処にありや。

 以上、妄言を連ねた。  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷川きよしの「番場の忠太郎」

2010年08月16日 07時02分21秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 この間テレビで、氷川きよしが持ち歌の 「番場の忠太郎」を歌っているのを初めて聞いた。なんども、この題材の元唄は浪花節に歌われたもので、江戸末期の関東のやくざ、博徒の生き方を誇張気味に描いていた。それが大衆に風靡した曲だ。
 今まで、わたしの好みとしては、三橋美智也の「古城」と同工異曲といったら叱られるかもしれないが、「白雲の城」が好きであった。氷川きよしは、「箱根八里の半次郎」でデビュー以来、股旅物や演歌以外のいろんなリズムの歌謡曲を聞いてきたが、「番場の忠太郎」は母恋いの記、これこそ、彼の本領を発揮した曲ではないだろうか。売れた曲かどうかは判明しないが、高音を活かした荒削りなダイナミズムこそ、彼の持ち味である。
 しかし、残念ながら、テレビ放映はあっという間に短い時間で終わった。現在、無料動画の You Tube でも音楽を聴けるようなのでここでは歌詞のみを転載する。  
     番場の忠太郎

       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こちらも・・・

blogram投票ボタン