うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

里の風景そのもの

2012年12月01日 06時10分17秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
今日から師走、ここでは先日の午後、コンビニへの道すがらに撮ったわが郷土の画像をアップする。
 それは里の風景そのもの、わたしとしては、あわただしい世相や時候に静止していたい心境になりたいこの頃だ。

         
        地元名産の落花生の天日干し、ぼっちという。稲のはさ掛けと同じ農作業である。所々に収穫し残した大根畑、黒い土の香りが匂い立つようだ。

         
        近所の植木屋の庭先に大きくなった公孫樹と台湾楓(アメリカフウ)の紅葉。街でよく見かける管理された公共向きの樹姿ではなく、ある意味自由放任で育った自然な樹形ということになる。

         
        これは同じく、葉を篩った袢纏木(ユリノキ)の裸梢のみになった樹形である。

           
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今年の柿の木

2012年11月20日 05時51分00秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
今年のわが家の柿の木。不作でなかなか渋も抜けず本当に隔年結果習性そのままで50個いくかどうかわからないが、画像をならべてみる。ありきたりな画像である。
 終夜降り続いた雨にたたかれ紅葉した落ち葉が路上に散り敷いている。瑣末な事柄ではあるが晩秋の色濃く残った風情を、どうぞ、味わってください。

 撮影日時:平成24年11月18日(日曜日)11:00頃











           
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大東亜戦争(太平洋戦争)のこと ③私の記憶していること

2012年11月07日 05時57分05秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 ひさしぶりに大東亜戦争(太平洋戦争)のことを書く。あまりにもテーマが大きくて重いので、今回の3回目でとりあえず終了する。
 ここでは、無理やり、わたし自身の身近な話題に変えよう。わが田舎では父は戦争に行っていない。その替わり、父は農業のかたわら馬喰(バクロウ)をやっていたので当地で陸軍に納める軍馬の調達を任務としていたらしい。わたしの父はすでに30年前に亡くなったが、そのことばかりではなくてもわたしが生まれる前であり実際のことは不明である。今となれば、もっと、いろいろ父に聞いていればよかったが。

 近くの岩手県南部の一関市、花泉町には空襲があった。それは、なかなか日本が降伏しないので地方都市まで空爆範囲を広げていったらしい。このことは、その後の読書で分かっている。その時期は昭和20年敗戦(終戦)の年、3月の東京大空襲、硫黄島玉砕、それに5月に米軍の沖縄上陸の後だったろう。サイパンを飛び立ったB29爆撃機によるもので、多分6月か7月だろう。いよいよ最後にあの原子爆弾の投下である。
 戦争の痕跡としては、我が家の登って行った裏山に太い赤松林があるのだが、それが幹自体に斜めに上から下へ刻み傷を何重にもあったことである。ちょうど漆掻きのようである。戦中の石油不足かどうかはにわかに決められないが、松根油(松脂)を取るためである。
 その次に思い出すのは、わたしの小学生の時分、アメリカの伝道師の連中がキリスト教の宣布活動にあんな片田舎に来ていたことである。聖書を持った牧師に路傍や田んぼや畑の畔道で呼び止められて話を聞く。後年、彼の自伝を読むとこのことは日本を占領した駐留米軍(GHQ)のマッカーサー最高司令官の発意であったらしい。

 以下は蛇足である。戦争直後の言語についてである。これは全く記憶をもとにあて推量だから、読まれている方に誤っていたら教えていただきたい。 
 これはかなり勝手な推測だが、戦後に駐留米軍が持ち込んだ英語に、帽子のチャップ(cap)、ジャケツ(jacket)、トランプのぺーじわんのうさい(page one no signe)、お手玉のせっせっぱらっとせっ(set!  set!  put up set!)、車の後進の掛け声であるバックオーライ(back all light) などの言葉が日本語なまりに定着したのではないだろうか。当時はラジオ放送や映画館でのニュース映画が娯楽で、日本全国の津々浦々までつたわり耳で覚えたものではないだろうか。
           
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石原慎太郎のこと

2012年10月27日 19時05分15秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 八十一歳の石原慎太郎が知事を辞めて、新党を立ち上げて、また衆議院選挙に立候補して国政に参画するとのニュースが流れた。まず、これを聞いたわたしの印象では非常に好ましいこととおもった。千葉県知事の森田健作が国会議員の時に石原慎太郎も同じようになにをやったか(比べるのも失礼千万かとも思うが)、についてわたしは記憶にない。人気だけはあった。しかし、都知事の時の実績は評価するものがあった。

 社会は色んな職種の人たちの働きで成りたっているが、天才的な才能を所持すれば別であるが、多かれ少なかれ、みんなその職責を全うするためにはなんらかの資格や免許を持つことが前提になっている。
 ところが、政治家は志だけあればいい。正義を標榜し、まるごと人間を相手にする人間的な職業である。その志とは能書きや絵空事や理想という妄想であり、それを持ち続けて実現していく実務家が職業としての政治家と言える。そしてそれは、自分自身の損得や利益はあくまでも捨象して考えられるものでなければならない。はたして、現代の政治家に身を捨つる覚悟ありや。民主党政権の韻を踏む言い回しやレトリックなど巧みで面白い演説のみやディペートなど色んな議論のしかたは必要ない。現実をありのままに見る目や自身の気持ちと客観的な事象と照らしあわせて行動する。みずからの頭でアイデアやその対応策を産みだす。しこうして、右顧左眄せずおのれの信条にしたがい愚直な思いを吐露していく。それこそが政治家という職業の長所である。
 それは有名大学卒や高級官僚上がりや司法界やマスコミ出身を必ずしも必要としない。このごろの民主党議員や政権には、松下政経塾という「政治家養成学校」あがりやエリートや優等生ばかりであり、なんのことはない、国民の税金が原資の安定した高給の就職先とばかり考えているように見受けられる。あるのははき違えた見栄という自己保身の卑しいプライドのみ。人間性として見ると質的な低下は認めざるを得ないだろう。今回の内閣改造は、「想い出づくり内閣」、と揶揄されているがまさに生活互助会内閣であり、こんなのは必要ない。
 石原慎太郎の環境を見ると、本当に志だけのようである。向こう受けを狙ったとも言えるが、これはこれで見上げた根性。かれは、情報発信力があり国民の人気はあっても、政治家個人として人徳のなさや統率力に難点があり、それほど数的な改革勢力にはならないだろうが、実はこの職業にこそ、本質的な意味で老若男女の区別はないと言えるだろう。石原慎太郎の今回の行動は、「晩節を汚さず」に人生の終盤を迎えるべきだという見方も、「年寄りの冷や水」も全く無縁のことである。

 ちなみに、このブログを読んできた方なら分かるだろうが、わたしには石原慎太郎のあのベストセラー小説「太陽の季節」は下らないし、今までの文学的な評価は全くしていない。
       
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大東亜戦争(太平洋戦争)のこと ②戦争の記録

2012年10月15日 04時57分22秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 二回目になるがつづけて、大東亜戦争(太平洋戦争)のことを書く。ここでの話題は、つらく悲しくて厳しい話だが、愛国心に燃える二十歳代前後の若きの特攻隊(特別攻撃隊)のことである。初発は、昭和19年、フィリッピンでおこなわれ、日本軍は次第に追い詰められて九州の飛行場に移っていく。これは後年、共産主義国家の北朝鮮、それにイスラム教のアラブ諸国のジハード(聖戦)、捨て身の攻撃パターンにとりいれられるようになる。最近の顕著な例はご存知のようにニューヨークの9.11である。

 戦争ということについて、わたしは文学の大岡昇平や島尾敏雄、古山高麗雄の戦記で知った。もっと若いころには高校時代に読んだのだが、あのベストセラーになった学徒動員の遺言の手紙集「きけわだつみの声」がある。

 たまたま見た雑誌「中央公論2011 -12」にあった次の文章を転載する。
 早坂隆の鎮魂の旅--特攻隊発祥の地を歩く-敷島隊員・谷暢夫の生涯を追って

  十月二十日の朝、予定通り、「体当たり攻撃」に関す
 る編成が通告された。「体当たり攻撃」を実施する部隊
 「神風特別攻撃隊」と命名され、さらに隊「敷島隊」
 「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」という四つに分けら
 れていた。これは本居宣長の「敷島の大和心を人問わば
 朝日に匂う山桜花」という歌に因んだものである。
 谷暢夫の名前は、敷島隊の四名の中に含まれていた。
 神風特別攻撃隊の隊員たちは、第二〇一航空隊本部の
 前庭で大西長官から訓示を受けた後、飛行場で出撃待機
 となった。
  死を目睫にした谷は、辞世として幾つかの和歌を詠ん
 でいる。

  身は軽く 務重きを 思ふとき
     今は敵艦に ただ体当り

  遺書としては次のような言葉を綴っている。
 「何一つ親孝行できなかった私も最初で最後の親孝行を
 します。ご両親の長命を切に祈ります」。
  幾多の自問の末、深甚なる想いの氾濫を最後まで両親
 に捧げる息子であった。
  午後三時過ぎ、マバラカット飛行場で出撃を待つ隊員
 たちのもとを、大西長官が自ら訪ねた。飛行場の脇を流
 れるバンバン川の河原で、大西長官と隊員たちは別れの
 水盃を交わした。
          
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いい女性の声

2012年09月28日 17時23分09秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 ちょっと古い話になるが、この夏のロンドンオリンピックでびっくりしたことがある。それは女子サッカーの‘なでしこJAPAN’のこと、MF 宮間あや 選手である。このときは、 澤穂希 からキャプテンに替わっていた。宮間あや は隣町の大網白里の出身で、うちの家内がスゴイと褒めていた。
 試合は順調に勝ち進んで 決勝トーナメントの準決勝で対フランス戦で2-1で勝った時のことである。終わった直後のピッチでのインタビューで彼女は、そつなく話しして最後に「男子も頑張りましょう」と言ったのだ。この若さでこの娘は、なんと、頭が切れるし気のまわし方気配りの出来るのだろうと非常に感心した。普通は興奮気味だから、スポーツ選手は話す言葉はまとまらないし舌足らずの物言いになるだろうにと思った。冷静というのでもなかろうが、頭と心の働きをすばやく口や行動で表現できる。相手チームへの試合後のおもんばかった挨拶やマナーも秀逸のようである。そんなこんなで、スポーツマンシップを讃えられている。性格もいいから仲間のまとめ役もできる。
 しかしどうか、アスリートでなくても、わたしにはこの女性の人間的資質(才能とも言うべきか?)についてそれ以外の分野でもどのぐらい伸びるかわからないと思える。これは、小さいころの育った家庭環境と、好きな道を選んで来たに違いないが本人の自覚の伴った訓練の賜物と思う。

 ところで話は変わるが、わたしはあまり耳がいいわけではないが、それでも好きな女性の声がある。同性の男の声はあまり気にしたことがない。
 まず、あるテレビの食材番組にながれる、 薬師丸ひろ子 の声である。歌を歌うと少しハスキーでそこそこの高音になる。この番組では映像的な出演はなくてナレーションのみだが、明るくて野太くて断言じみた物言いがいい。いかにも体型上の骨格が頑丈そうなイメージがある。可愛さやけれんみとは全く無縁で、しかし、言ったことがよく分かり記憶に残る。ぶらないこと、この声でズケズケと面と向かって言われても悪印象にはならない気がする。
 近頃のわたしにとって、最高なのはこの間までニッポン放送のラジオ番組に出ていた、 古瀬恵理 の声である。決して、顔のパーツの大きさや位置が整った意味での美人ではない。性格は良さそう。既婚であるが関係ない。一時、巨乳であるとか身体的特徴など別の方面で騒がれた、あの山形県出身のフリーアナウンサーだ。メリハリの利いたしゃべりと声の音質がクリアで質感があり厳正品といった完成度の高さである。珍しいことに声につやもある。古色蒼然たる表現では、鈴を転がす声という方向に近いのだろうか!?このあいだ亡くなった大女優の 山田五十鈴 の声はまさにその通りであったらしい。
 古瀬恵理 さんの声は、実際の顔や身体とは関係なく、わたし的にはいつまでも耳元で聴いていたい声である。
 話声はいたって普通だが、歌を歌えば力強くて胴間声という女性もいる。腰強い音声というか、何かを踏みしめるようなかみしめるような曲でシンガーソングライターの中島みゆきという歌手だ。
 最悪なのは 鶴田真由 という女優だ。つねに鼻濁音の声質で、外見はいいとしてもはっきり言って悪声の部類に入るだろう。
 最近の若い女性の可愛さの表現がうまくなってきている。つくったしぐさや表情とファッションのみと美容方法と化粧上手。プライドのみ高いかおつむが弱いとますます上手である。素顔を覆い隠すのみでおのずとにじみ出るものがない。男性陣は用心すべきだ、内実は問わず浅薄であり、ひとつ間違えるとはすっぱなだけかもしれない。
 性格の悪さが声に出ることはないが、生理的な部分はてきめんに出るに違いない。その人の性格を見るにはしぐさや言葉は当てにならない、やはり、つい出てしまう感情的な言葉尻の音質と、目だけはごまかせないのでないだろうか。
       
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「北帰行」 の歌詞と意味

2012年09月02日 05時09分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 ここではずいぶんと古くて半世紀ぐらいになるか、「北帰行」 の歌をとりあげる。歌詞の内容は静かでセンチメンタル、旋律は暗い悲愁感をたんたんとロマンチックに小林旭が歌いあげた頃には、わたしは多感であったらしい田舎の十代の少年期だ。きわめて素朴に南は明るくて北は寒くて暗いという、貧相で愚にもつかないイメージを持っていた頃である。それ以来、大人のわたしの胸中には今でもこの歌の余韻が残っている。

 その後何かの折に、「北帰行」 の意味とは渡り鳥が冬越しの為に日本にいて、暖かくなった時期に北へ向かう野鳥の習性をあらわしたものと、あとで知った。つまり、生々流転する自然の生態系の世界のこと。それをなぞらえたのか。
 しかし、文語体の歌詞である原曲の舞台は、大東亜戦争下、外地の満州である男性が恋愛事件で退学処分になり日本へ帰ることを歌ったものらしい。
 そこで編曲がなされて、今に至るまで、大陸的な個性で浪々と歌うことが持ち味の小林旭で流行歌になったものだ。


作詞・作曲:宇田 博、唄:小林 旭

1 窓は夜露に濡れて
  都すでに遠のく
  北へ帰る旅人ひとり
  涙流れてやまず

2 夢はむなしく消えて
  今日も闇をさすろう
  遠き想いはかなき希望(のぞみ)
  恩愛我を去りぬ

3 今は黙して行かん
  なにをまた語るべき
  さらば祖国愛しき人よ
  明日はいずこの町か
  明日はいずこの町か


原曲(旅順高等学校寮歌)

1 窓は夜露に濡れて
  都すでに遠のく
  北へ帰る旅人一人
  涙流れてやまず

2 建大 一高 旅高
  追われ闇を旅ゆく
  汲めど酔わぬ恨みの苦杯
  嗟嘆(さたん)干すに由なし

3 富も名誉も恋も
  遠きあくがれの日ぞ
  淡きのぞみ はかなき心
  恩愛我を去りぬ

4 我が身容(い)るるに狭き
  国を去らむとすれば
  せめて名残りの花の小枝(さえだ)
  尽きぬ未練の色か

5 今は黙して行かむ
  何をまた語るべき
  さらば祖国 わがふるさとよ
  明日は異郷の旅路
  明日は異郷の旅路
         

         
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茨木のり子さんの詩3 「おんなのことば」

2012年08月13日 17時44分24秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 今回の詩を、60過ぎの親父が取り上げると(わたし自身のことです。)、なんだか薄気味悪い。多分、そうに決まっている。それが世間の通り相場だ。
 だが、わたしには、口語体の詩にある軽さに見え隠れする諧謔味と口吻に温かみを感じる。どこか、ふっと、日常生活から昇華した気分を感じる。良質の詩想につつまれる。
 男性の場合は、どこか、しゃちこばらずにはいられないスタンスだ。やってみるとわかるが、なかなか日常をこんなふうに表現できない。

「おんなのことば」   (詩華集「おんなのことば」より)

いとしい人には
沢山の仇名をつけてあげよう
小動物やギリシャの神々
猛獣なんかになぞらえて
愛しあう夜には
やさしい言葉を
そっと呼びにゆこう
闇にまぎれて

子供たちには
ありったけの物語を話してきかせよう
やがでどんな運命でも
ドッジボールのように受けとめられるように

満員電車のなかで
したたか足を踏まれたら
大いに叫ぼう あんぽんたん!
いったいぜんたい人の足をなんだと思ってるの

生きてゆくぎりぎりの線を侵されたら
言葉を発射させるのだ
ラッセル姐御の二丁拳銃のように
百発百中の小気味よさで

ことば
ことば
おんなのことば
しなやかで 匂いに満ち
あやしく動くいきものなのだ
ああ
しかしわたくしたちのふるさとでは
女の言葉は規格品
精彩のない冷凍もの
わびしい人口の湖だ!

道でばったり奥様に出会い
買い物籠をうしろ手に 夫の噂 子供の安否
お天気のこと 税金のこと
新聞記事のきれっぱし
蜜をからめた他人の悪口
喋っても
喋っても
さびしくなるばかり
二人の言葉のダムはなんという貧しさだろう
やがて二人はいつのまにか
二匹の鯉になってしまう
口ばかりぱくぱくあけて
意味ないことを喋り散らす
大きな緋鯉に!
そのうち二匹は眠くなる
喋りながら 喋りながら
だんだん気が遠くなってゆくなんて
これは
まひるの惨劇でなくてなんだろう
私の鰭は痺れながら
ゆっくり動いて
呼子を鳴らす
しぐさになる
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ビートルズのThe Long and Winding Road

2012年07月30日 09時26分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
あと二日で七月も終わる。今までいい曲の歌詞に注目して書き込んできたが、 今回は、ビートルズのThe Long and Winding Roadである。一般的な予備知識とは、以下のごとくである。

これは、レノン=マッカートニーの作品。実質的にはマッカートニーの作った楽曲である。リードヴォーカルはポール・マッカートニー。末期の楽曲で、1970年に発表されたラスト・アルバム『レット・イット・ビー』の収録曲である。

 ちょっと聞きかじるとラブソングのようだが、実は違う。曲調は暗く重く短調?になっているが、ビートルズナンバーの中で、わたし自身の好みではこの曲と 『 Hey Jude』 『Michelle』 が好きである。
 ここではWeb上の HideS さんの日本語訳詞を勝手に借りたが、どうだろうか。作詞の内容ではその生き方の面で袋小路へ迷い込み困窮しているスタンスを表現していて、実はもう少し悲愴感があるのではないだろうか。割とこなれた口語の日本語だが、直訳ではなくて、暗喩とかもっと散文的な意訳が必要ではないだろうか。

 団塊の世代では誰もがビートルズのメロディの洗礼を浴びただろうが、わたし自身はきわめて遅くて上京後の二十歳代である。それは高額の 『Let It Be』 のレコードアルバムを買ったことに始まる。わたしの育った生活環境を顧みると、文化的には遅くて音楽と言えば、祖母のラジオの浪花節好きや、学校の授業と軍歌と兄が良く聴いていたイタリア映画のサントラ盤、それに三橋美智也や春日八郎など、西條八十・吉田正・船村徹作曲の唄や流行歌だった。音楽を吸収するのに奥手だったわたしは、バイト生活のかたわらに、クラシック音楽もその頃ひとりアパートに潜んで浴びるようにLPレコードを聴き暮らしている。
 ビートルズの四人組は工場勤務の親の息子として、工業都市のイギリスのリヴァプール、マンチェスターの出身である。そんなわたしにとってビートルズの曲は新鮮そのものであった。たちまち、とりこになる。

The Long And Winding Road (The Beatles)
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード

The long and winding road
that leads to your door
will never disappear
I've seen that road before
It always leads me here
Leads me to your door

〈長く曲がりくねった道は
君のもとに向かう道。
決して消えることがない
前も見たことのあるこの道を
行けば必ずここに辿りつく。
君のもとに辿りつく。〉


The wild and windy night
that the rain washed away
Has left a pool of tears
crying for the day
Why leave me standing here
Let me know the way

〈荒れた風の強い夜
雨が洗い流したあの夜は
涙の水溜りを残して去って行った。
昼を求めて泣きながら―。
なぜボクをここに佇ませて去ったのか。
教えてほしい。どっちに行けばいいのだろう?〉


Many times I've been alone
and many times I've cried
Anyway you'll never know
the many ways I've tried

〈何度も何度も独りぼっちになって
何度も何度も泣いたことがある。
そう言っても わかってもらえないだろう
いろいろやってはみたってことを。〉


But still they lead me back
to the long winding road
You left me standing here
a long long time ago
Don't leave me waiting here
lead me to your door

〈でもやっぱり 振り出しに引き戻されて
長く曲がりくねったこの道に来てしまう。
君はボクをここに佇ませたまま
とっくの昔に去って行った。
もうここで待ちぼうけなんてたくさんだ。
君のもとへ行きたいんだ。〉


But still they lead me back
to the long winding road
You left me standing here
a long long time ago
Don't leave me waiting here
lead me to your door

〈でもやっぱり 振り出しに引き戻されて
長く曲がりくねったこの道に来てしまう。
君はボクをここに佇ませたまま
とっくの昔に去って行った。
もうここで待ちぼうけなんてたくさんだ。
君のもとへ行きたいんだ。〉


Yeah, yeah, yeah, yeah

〈君のもとへ。〉

 You TubeのURLでは、
http://www.youtube.com/watch?v=wQwXACM1wGo である。
             
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茨木のり子さんの詩-わたしが一番きれいだったとき

2012年07月18日 04時53分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
やっと、昨日、気象庁から梅雨明け宣言が出された。ここでは、茨木のり子さんの詩の第二弾を紹介する。なんだか、若い女性だけが持つ一瞬の輝き、キラキラする感性と心情が胸に迫ってくるようだ。

「わたしが一番きれいだったとき」   (詩華集「おんなのことば」より)

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
                   ね
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宇多田ヒカルの Automatic

2012年07月14日 18時57分04秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

今の若い人の歌謡曲にもいい曲がある。ここでは、宇多田ヒカルの歌詞を取り上げてみたい。
 わたしは、数年前に、この Automatic を最初に耳にしたとき、グルグル廻るようなロンドのメロディに目まいを起こしそうで戸惑ったが、そのリズムになれるにしたがい、何を歌っているのかと歌詞を読みとっていくと、なるほどなあと、深く納得した。歌詞もキチンと意味を持っているのだ。文字も意味もニュウアンス(語感)も自立している。
 どういうことかと言えば、一例として、サザンオールスターズの曲と比べるとよく分かる。一世を風靡したサザンオールスターズの場合は、歌詞は意味不明だったりあてずっぽうの単語の羅列の集まりをにぎやかで大げさな旋律の対比法とサウンドで引っ張って行く。絵空事の世界、これはこれで現代の風俗をあらわしている。
 わたしには、この曲は、現代の若い女性の異性への揺れ動く恋心の実態を活き活きとあらわしている、とおもう。しかも的確に表現しているようにおもえてならない。
 
[Automatic ] 詞曲:宇多田ヒカル

七回目のベルで受話器を取った君
名前を言わなくても声ですぐ分かってくれる

唇から自然とこぼれ落ちるメロディー
でも言葉を失った瞬間が 一番幸せ

嫌なことがあった日も
君に会うと全部フッ飛んじゃうよ
君に会えない my rainy days
声を聞けば自動的に sun will shine

It's automatic
側にいるだけで その目に見つめられるだけで
ドキドキ止まらない Noとは言えない
I just can't help

It's automatic
抱きしめられると 君とparadiseにいるみたい
キラキラまぶしくて 目をつぶるとすぐ
I feel so good
It's automatic

Oh Yeah Yeah

あいまいな態度がまだ不安にさせるから
こんなにほれてることは もう少し秘密にしておくよ

やさしさがつらかった日も

いつも本当のことを言ってくれた
ひとりじゃ泣けない rainy days
指輪をさわれば ほらね sun will shine

It's automatic
側にいるだけで 體中が熱くなってくる
ハラハラ隠せない 息さえ出来ない
I just can't help

It's automatic
アクセスしてみると 映るcomputer screenの中
チカチカしてる文字 手をあててみると
I feel so warm

It's automatic
側にいるだけで 愛しいなんて思わない
ただ必要なだけ 淋しいからじゃない
I just need you (Oh yeah)

It's automatic
抱きしめられると 君とparadiseにいるみたい
キラキラまぶしくて
Wow Wow Yeah
I feel so good
It's automatic

It's automatic…


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茨木のり子さんの詩1

2012年07月12日 15時57分10秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

ここではすでにお亡くなりになられた、茨木(イバラギ)のり子さんの詩をとりあげる。たしか大阪出身で、わたしには童女という印象が強いのだがどうだろうか。彼女は、どうやら生涯、独身だったのか。今回は二編で、茨木さんが大東亜戦争の若い頃に作られたものか、ここでは時代背景を超越して少女というか、“乙女の青春”というものを見事に表現したとおもう。

 乱暴な話だが、この書き込みは、一切、文献や経歴を資料にて参照したり博引傍証せずに、今まで味わってきた詩想そのものと、今現在のわたし自身の記憶のみで記していく。正確は期していないので、どうか、そのつもりでお読みいただいたり、鑑賞をお願いしたい。

「一人は賑やか」   (詩華集「おんなのことば」より)

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき寂しいやつが
二人寄ったら なお淋しい

おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ     


「問い」   

ゆっくり考えてみなければ
  いったい何をしているのだろう わたくしは
ゆっくり考えてみなければ
  働かざるもの食うべからず いぶかしいわ鳥みれば
ゆっくり考えてみなければ
  いつのまにかすりかえられる責任と命の燦
ゆっくり考えてみなければ
  みんなもひとしなみ何かに化かされているようで
いちどゆっくり考えてみなければ
  思い思いし半世紀は過ぎ去り行き
青春の問いは昔日のまま
  更に研ぎだされて 青く光る
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井上陽水の作詞、人生が二度あれば

2012年03月11日 07時05分40秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 古ぼけたCDが見つかり、ある日、井上陽水の歌を聴く。“明星”、ポリドールレコードのアルバムだ。懐かしいもので、底のない暗闇の中からあの独特の高音が響いてくる。簡素な詞に明るいようで突き抜けた伸びのある旋律。わたしは昔からそういうイメージを持っている。聴く姿勢を言うと、このごろの心境ではスピーカーでなくてヘッドフォンでしか聴けない。外見をはばかり、聴けない。
 わたしにとって、この歌詞の内容も時宜を得たというと変な話だが、なんだか心がざわざわしてくる。親子間のこと、実際にこの年齢に近づいてくると、ものごとが二重写しに見えてくる。
 しかし、余計な御世話だ。

 人生は一度でいい。十分すぎる。

 わたしは井上陽水とは同世代だ。これを作ったのは陽水が二十代だろうか、多分これは、父母のことを、無責任にのほほんとこれからの人生への憧憬の視点でつくっている。今のわたしにとって面映ゆいのはそのせいだ。

  人生が二度あれば

   父は今年二月で六十五
   顔のシワはふえてゆくばかり
   仕事に追われ
   このごろやっと ゆとりが出来た

   父の湯飲み茶碗は欠けている
   それにお茶を入れて飲んでいる
   湯飲みに写る
   自分の顔をじっと見ている
   人生が二度あれば この人生が二度あれば

   母は今年九月で六十四
   子供だけの為に年とった
   母の細い手
   つけもの石を持ち上げている

   そんな母を見ていると人生が
   だれの為にあるのかわからない
   子供を育て
   家族の為に年老いた母
   人生が二度あれば この人生が二度あれば

   父と母がこたつでお茶を飲み
   若い頃の事を話し合う
   想い出してる
   夢見るように 夢見るように
   人生が二度あれば 

 どうやら、妙な歌の紹介になった。彼にはノスタルジック、ロマンチック、セレナーデ風な曲も多い。
 そのなかで、よく知られた 「心もよう」、「夢の中へ」 はわたしにとって、40代の過去に、仕事的にひとり新たな業務をするにあたり、新たな局面を開く際に社内的に廻りが頼りにならず自分を励ますたびになんども聴いて、お世話になったものだ。
           
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チャールズ・チャップリンのライムライト

2012年03月03日 05時51分52秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 この間、チャールズ・チャップリンの「ライムライト」をDVDで見た。「街の灯」につづいて2作目だ。わたしは、チャールズ・チャップリンの映画は昔からあまり好きになれないでいた。若いころに熱狂的なファンが身近な友人にいたが、わたし自身が特別に食わず嫌いでもない、ただわたしにとってきわめて珍しいのだが飽きてしまって映画が終わるまで待てないのだ。なんだか、これ見よがしに都市の街角の市民の哀愁を訴えているようでいやだったのだ。ドラマもそうだが、音楽的にセンチメントあふれる主調低音のテーマがいやだったのかもしれない。
 名画とされている「ライムライト」はチャールズ・チャップリンが老年になってからのもの。偶然に手に入ってからから見たが、随分と上映時間が長い。140minで、わたしは半ば義務感に駆られ辛抱して(!?)、二度に分けて見たのだ。
 やはり前半はわたしには退屈で、映像では2/3ぐらいから新人女優クレア・ブルームの演ずるバレリーナが売れ始めたあたりから盛り上がり、次にシーンはカルヴェロ役チャールズ・チャップリンに愛情を告白し、由緒ある劇場での特別興行、言わば大団円の場面へと最後まで見ることができた。お陰で、なるほど、喜劇王とはこういうことかと一人合点がいった。
 しかし、特に、今のわたしには、老境に至った心情を吐露する科白に惹かれた。そして、はじめて見るチャールズ・チャップリンと共演した無口、無表情の喜劇俳優 バスター・キートン を見ることができたことが嬉しかった。
          
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遅れている春の到来

2012年02月11日 06時13分35秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 今年、関東では春の気候の移り変わりが、遅れている。わたしには、最低、二週間はずれている気がする。蠟梅は咲いた。このままでは、ひょっとすると、梅の花が連翹、花蘇芳、木蓮や辛夷や河津桜が花開く彼岸過ぎての同時期に咲きそうである。
 まさか、染井吉野の開花までとはいくまいが・・・・・。

 この頃は、1月21日以来、喪失感にさいなまれて、悲嘆と春愁と感傷の日々を過ごしている。たまに仮眠をとると、昼夜無関係に2度ほど恐ろしい悪夢に目覚めたりした。五感が不明になる。沈鬱な気分が続く。そうか、そうだ。そういう心の状態が体調を崩しがちにする。だが、やっとわたしは、数日前に日常の生活意識に戻ったような気がする。世にある絶望は若者たちには似合っても、初老の人生にはただ単に自然消滅するのみで、似合わない。
 ここでの俳句は、相も変わらず、突発的に朝の通勤電車の中で、10分位の短時間で詠んだもの。

 ・現し身で虚空をつかみつ 浅き春

 ・手指揉み うつむく陽射しに 目白鳴き

 ・冬着着て人混みに紛れて いま何処

 ・髪膚撫でて 添いし歳月や 春いまだ

 ・逝きし君 父母を想うなり 水温む

 ・弟の 念い貫かん 遠き春
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