うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

讀賣新聞の「時代の証言者」ー藤森照信

2014年01月25日 07時41分24秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 現在、讀賣新聞には「時代の証言者」ー藤森照信が朝刊に掲載されている。藤森は擬洋風建築の研究家か趣味者であるらしい。掲載は金曜日と日曜日を除く毎日で、株式、スポーツ、社会面に次ぐ、読者投書欄にあり、40ページ内外の真ん中辺である。わたしは気に入るとスクラップにして保存する。多分、談話風に取材し記者がまとめたものか。
 わたしは長年、讀賣新聞をとっているが、このコラム記事は割合いに読む記事だ。大体、連載物25回くらいの長さで、色んな人物が登場する。政治家も多いのだが、わたしにとって面白かったのはいろいろと政界で毀誉褒貶のあった与謝野馨だ。この方は目先の利く大変な実務型の才能の持ち主であるが、その反面、同僚から嫉妬されやすく単独行動を強いられる性格のようだ。親とは全く比較にもならず愚にもつかない河野洋平、共産党の不破哲三。モダンジャズの渡辺貞夫、俳人の金子兜太、染織家の志村ふくみさん、このあいだ物故された西武グループの堤清二などなど。
 昨年の秋ごろには民主党の首相であった野田佳彦氏もあったが、内容的には近年では最低のもの。この人にはみずから独自の政治思想はからっきしなくて政治をおこなうにあたっての技術のみで、実務と力学があるだけである。「松下政経塾」で学んだ経歴とはなんであったのか。説得する技術としての演説だけで、人間を学ぶ機会はなかったのか。現代の政治家の悪い特徴として、職業的に唯一持つべき資質である人間性の機微やセンチメントなき人物であった。文章的には無内容も同然である。
 今回の藤森照信について、9回目の連載内容である。それには、暗い学生の頃をおくりどうやら今でも思い出したくないことを明言しているのだ。そこで、わたしが関心を持ったのは長野の山村育ちで、東北大、上京後の東大時代の彷徨のことだ。豊かに感覚と実感に満ちた四季変化と自然いっぱいの生活から一変する。文化や歴史、伝統意識など自己にとって語るべき中身のなさに愕然とする。そして自身にとっていうべき言葉も見つからずふしだらな数年間の大学生活の時代。その奥深さにはまり込む。都会での見るものすべてについての無知への自覚と覚醒の頃の文章である。
 地方出身者は、「田舎者」から都会人の生活に慣れるのにあくせくする。人間の多さと多様さ、人材のるつぼ、優劣の競争社会の激しさである。あらかじめ、世間には全てに価値が付けられている。生活の資は全てお金という貨幣を介して行われる。人間関係の猥雑さと複層に気付き始める。皮肉にも対人関係は意識したり気付いた人にのみ問題化する介雑さ。一体、自分が自分でいられるには、どうするか。
 そんなことで、今回の記述は、かつての二十代の頃の、わたし自身の孤独な無間地獄におちいった経験を想起させる。
            
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