とうとうキャノンも事実上フィルム式カメラの開発を凍結するというニュースが報じられた。やはり寂しく残念だ。
長年フィルム式カメラを使い続けてきた。中学生の時に、友達と一緒に鉄道写真を撮りに行くことを父に話したときに、中古のミノルタSR-T101を買ってもらったのが最初だ。ミノルタSR-T101といえば、知る人ぞ知るミノルタのベストセラー機だ。
解放測光、フォーカルプレーンシャッター、1/8回転マウントなど当時としては画期的な機能満載のカメラだった。ミノルタはそんなふうにじっくり煮詰めて良い物を世に送り出す、派手さは無いが良いメーカーだった。
高校生になると、友人が写真部に居たこともあってアルバイトで稼いだお金でモノクロ写真の現像、焼き付け用具を買ったり、もらったりして写真を撮っては焼き付けていた。安いフィルムを買うために当時カメラのナニワまで出かけて200ft巻きだったかの缶に入った35ミリフィルムを友人と買っては、パトローネに巻き直していた。
大阪の街中や京都まで出かけて撮影しに歩いたこともあった。フィルムの感度や粒子の粗さ、印画紙のタイプの違いを友達と議論しながら楽しんだものだった。
そんな風にフィルムカメラの感覚になれているからか、どうしてもデジタルカメラには、フィルムカメラのような、写真の質感が感じられない。
もしかしたらデジタルカメラは、きれいに写りすぎるのかも知れない。デジタル処理ということはつまり人為的な補正である。それがコンピュータを使って行われるからだれが撮っても同じような感じになるし、だれが失敗しても同じような失敗にしかならないように思える。
本来なら、誰が撮ってもきれいに写るというのは良いことの筈なのだけども、自分自身全くそれに喜びを感じないし、ちっとも良いとも思えない。
プリクラで友達と一緒に、彼や彼女と一緒に写真を撮る気軽さももちろんデジタル写真の良いところ。カメラ付携帯で簡単に写真を撮って旅先の記録を残したり、メールするのもデジタルカメラの良いところ。気軽に写真が撮れるって良いことの筈なのだが何とも言えない不満が残る。
カメラに対する感覚の違いといえばそれまでだけども、なぜかもう一つ満足できずに居る。
この間のゴールデンウィークに奈良の明日香村近辺に出かけたのだが、その時実は本当に久しぶりにフィルムカメラを持って行った。やっぱり感覚としてフィルムカメラの方がしっくりするのは、人間が古いせいかもしれないけども、まだまだフィルムカメラにはがんばってほしいと思っている。
個人的には、ニコンのレンズは、極めて優等生的な写り、キャノンはやや堅め、くっきり感が強い。ミノルタはややソフトという印象である。それらのレンズの特性にフィルムの種類が加わると表現の種類がさらに増えるし、被写体を狙ったときの光量、絞りとシャッタースピード、被写界深度の深さなどで生まれるボケ味など、本当に表現のための要素がぎっしり詰まった感じなのだ。きっとそういうのを求めている部分があるのだろう。
十分に成熟したデジタル一眼レフカメラを手にしたわけではないから、これらの感覚がどこまで得られるのかわからないが、まだまだ本音ではフィルムカメラを手放したく無いのが正直なところである。
やっぱりいつの日かフィルムカメラも、フィルムも印画紙も無くなってしまうのだろうか・・・
長年フィルム式カメラを使い続けてきた。中学生の時に、友達と一緒に鉄道写真を撮りに行くことを父に話したときに、中古のミノルタSR-T101を買ってもらったのが最初だ。ミノルタSR-T101といえば、知る人ぞ知るミノルタのベストセラー機だ。
解放測光、フォーカルプレーンシャッター、1/8回転マウントなど当時としては画期的な機能満載のカメラだった。ミノルタはそんなふうにじっくり煮詰めて良い物を世に送り出す、派手さは無いが良いメーカーだった。
高校生になると、友人が写真部に居たこともあってアルバイトで稼いだお金でモノクロ写真の現像、焼き付け用具を買ったり、もらったりして写真を撮っては焼き付けていた。安いフィルムを買うために当時カメラのナニワまで出かけて200ft巻きだったかの缶に入った35ミリフィルムを友人と買っては、パトローネに巻き直していた。
大阪の街中や京都まで出かけて撮影しに歩いたこともあった。フィルムの感度や粒子の粗さ、印画紙のタイプの違いを友達と議論しながら楽しんだものだった。
そんな風にフィルムカメラの感覚になれているからか、どうしてもデジタルカメラには、フィルムカメラのような、写真の質感が感じられない。
もしかしたらデジタルカメラは、きれいに写りすぎるのかも知れない。デジタル処理ということはつまり人為的な補正である。それがコンピュータを使って行われるからだれが撮っても同じような感じになるし、だれが失敗しても同じような失敗にしかならないように思える。
本来なら、誰が撮ってもきれいに写るというのは良いことの筈なのだけども、自分自身全くそれに喜びを感じないし、ちっとも良いとも思えない。
プリクラで友達と一緒に、彼や彼女と一緒に写真を撮る気軽さももちろんデジタル写真の良いところ。カメラ付携帯で簡単に写真を撮って旅先の記録を残したり、メールするのもデジタルカメラの良いところ。気軽に写真が撮れるって良いことの筈なのだが何とも言えない不満が残る。
カメラに対する感覚の違いといえばそれまでだけども、なぜかもう一つ満足できずに居る。
この間のゴールデンウィークに奈良の明日香村近辺に出かけたのだが、その時実は本当に久しぶりにフィルムカメラを持って行った。やっぱり感覚としてフィルムカメラの方がしっくりするのは、人間が古いせいかもしれないけども、まだまだフィルムカメラにはがんばってほしいと思っている。
個人的には、ニコンのレンズは、極めて優等生的な写り、キャノンはやや堅め、くっきり感が強い。ミノルタはややソフトという印象である。それらのレンズの特性にフィルムの種類が加わると表現の種類がさらに増えるし、被写体を狙ったときの光量、絞りとシャッタースピード、被写界深度の深さなどで生まれるボケ味など、本当に表現のための要素がぎっしり詰まった感じなのだ。きっとそういうのを求めている部分があるのだろう。
十分に成熟したデジタル一眼レフカメラを手にしたわけではないから、これらの感覚がどこまで得られるのかわからないが、まだまだ本音ではフィルムカメラを手放したく無いのが正直なところである。
やっぱりいつの日かフィルムカメラも、フィルムも印画紙も無くなってしまうのだろうか・・・