18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

一番になれないからやらないのか

2007-01-29 00:03:54 | 風景
 定職に就かない人が増えていると言うニュースはすでに何年も前から報じられている。それらの人に共通する、定職に就かない理由は、「やりたいことが見つからない」というものだ。

 ところで、やりたいことってなんだ?
 
 やりたいことが見つからないのではなくて、やりたいと思うことで一番がとれないかもしれないことに対して怖じ気づいているだけなのではないか?


 人間だから、やるからには成果を残したい。一等賞をとれるなら取ってみたいと思うだろう。

 成功してる人をみて、「自分にはムリだ」とか、「自分には運がない」とか、あるいは「才能が無い」とか、やる前から決めていたりする。

 もう一度聞くが、「やりたいことって何?」

 やりたいことはそんなことで決めるものなのか?
 その程度の事なのか?
 やりたいことは、簡単に手に入って、
 自分に都合が良いことばかり出来ると考えているのか?


どうもやりたいことの見つけ方が間違っているように思える。

自分に都合がいい「やりたいこと」なんが転がっている筈がない。

「やりたいこと」は、自分の才能が活かせるとかの前に、そのやりたいことが、だれかの幸せや便利に繋がることかどうかが肝心なのだ。

「人の心が潤い、笑顔を作りたい」から歌を歌ったり芝居の世界に入る。「よりみんなが安心して食べられる野菜を作りたい」から農家をやる。
そういう、やる”意義”が得られないうちは、才能だとか、自分に向いているだとかとふらふらしてしまうのである。

自分の適職ややりたいことを見つけるというのは、”どんなことで人の役に立つか”を見つける事である。自分が自分の欲望、たとえば有名になりたいだとかお金が欲しいとかといった、だれの為でもなく自分だけのために単にやりたい!と思っている願望を実現することではないのだ。

もちろん、すべての人が最初からそんなことを考えていたわけではない。最初はそんなこと関係なしに仕事を選んでいたり、単に有名になりたいから、モテたいからその仕事を始めたかも知れない。しかし、一旦始めた人たちの何人かは、「意義」に気付いて、その意義を大切にしてその仕事を継続しているのだ。

だから、「一番」になれなくてもいいのだ。だから「才能」は必ずしも最初から必要ではないのだ。

やりたいことが見つかってその為にみんな努力する、だから才能が芽生える、世界一や日本一になれないかもしれないが、少なくとも誰かを幸せにする才能は芽生えるのである。そういうふうに一所懸命にやることで、少しずつ自負心につながりプライドになり、また新たな道を探す事に繋がるのだ。

人は何歳になっても迷うものである。どんな高校へ行くか、どんな大学へ行くか、この会社に就職してもいいか、どうやってキャリアを積むか、転職するか、定年後はどうするか・・・などなど

でもどんな時でも、「人の役に立つ」ことを指標にすると、誤った選択にならないように思う。いままでも、これからも。