菅直人氏が道路特定財源でどうも元気らしい。何でもいいのだけど、国会で「特定」することについて重箱の隅をつつくような質問を繰り返すような無駄なことに時間をかけないで欲しい。
民主党が評価されないのは、こういった国会の場でのやりとりが、従来の政党と全く変らないからだ。自らの仕事のやりかたを変えない政党が、政権を獲得したからといって、国の仕組みを変えることが出来るはずがない。
国民は見てる。国民は本当の大きな財政改革を期待しているのだ。はんぱじゃない改革をまっているのだ。
橋下新大阪府知事が当選したのは「違う」から。従来通りじゃ駄目だと理解した大阪府民が何か変えなきゃと理解したときに、従来路線ではない選択をしたから。明確に「異」を表にだしたのが橋下知事。選挙ではもちろん不支持層を作る危険もあった。でも「異」はわかりやすさの象徴でもある。
公約にはなんでも書ける。他の知事候補と同じ公約だったとしても橋下知事が勝利しただろう。では違いは何か?他の候補は「知名度」と言いたいだろうが、そうじゃない。「異」だ。エネルギッシュさ、若々しさ、発想の自由さ、知性。その選択の前に府民は、経験不足、過去の発言などに目をつむったのだ。
民主党はわかりにくい。必死になって分りやすくしたいが為に、高校の授業料を無料にすると言ってみたり、農家に対して給付金を出すと言ったり、消費税はそのままだなどと並べる。
「お客さん、うちならあれも是もただだよ、費用は負担しなくていいよ。苦しいならお金を至急するよ。」と甘い言葉でどんどんと国民の関心を惹く。
こんなことはいくらでも言える。自民党だって無責任に発言していいんだったら、これくらいのことは言える。
自民党が利権で道路をつくっているから、利権に関係ない民主ならいらない道路はつくらなくて済む。なんていうのも誰だって言えるじゃないか。まったく幼稚な論理だ。「民主」を「共産」に置き換えてみれば分るでしょ?問題はそこにあるのじゃない。
これだけ複雑になった社会。真っ先に考えるのは○○だと何かを1つ挙げて、明確に何故言えない。○○の為には、××という財源が必要で、その為には△△という施策が必要。△△という施策は・・・といったぐあいになぜ説明できない。
「特定」かそうでないかという話ではなくて、△△という施策の為には道路財源の「特定」をやめなければならないという話をすればいいはず。
自民党からは、民主党の「ばらまき行政」以上の「甘い言葉施策」に、マジックだの、方程式だのと言われているが、これは民主党の議論の論法がずれているからだ。
これまでの話を聴く限り民主党は「目的」と「ねらい」その為の「方法論」の区別ができているとは思えない。
本当は道路を作ることや新幹線を整備することなどは目的ではない。地方経済活性化などの為に道路が要求されるのだ。つまり地方経済活性化の“代替案”が必要なのだ。その上で道路がどれだけ必要かという議論がないといけない。
そういった議論が進むと、地方の生活道路をどうするのかという問題もでてくる、やっとそこで地方への権限委譲と財源委譲議論が生きてくるのだ。権限委譲には国としての制度改革が必要になる。それが国会議員がやるべきこと。立法府である国会でやるべきことではないか?
こんな論法で話をしないから、従来通りの政党だとしか見えない。変らないと思われる。
小泉元首相を持ち上げるわけではないが、変えることにかけては明確だったし、行動もはっきりしていた。だから支持率が高く長期政権が維持できた。北朝鮮問題も拉致家族と真っ正面から向き合った。郵政民営化では解散総選挙にまで踏み切った。どこまで本気かが分ったからとんでもない圧勝になった。もちろんこの解散総選挙に対する批判はあったが、本気で改革を実行する、絶対に実行するという信念の前にはそれくらいのことは承知の上でやった。
民主にこれぐらいのことができるのか?本気で政権を取りたいのだったら、そういう覚悟が居る筈。「民主党は野党にいて楽だ、批判していればいい」と言われ続けていいのか?
大連立に反対する拘りはあるのに、改革の本気さが全く見えない。ここで何を書いても民主党議員の目に触れないだろうが、改めて書く。「あんたら本気さがない。」本気なら、自民党がどんな施策をとるかだとかなど関係ないのだ。対案を出せとわれて出す素直さはそれなりに評価するが、でもそれでは優等生のやること。優等生のままでは政権は取れない。
いまのままで仮に総選挙にでもなって民主党が勝利したとしても、結局政治は停滞するし、殆どの大臣は官僚にうまく牛耳られ無策になる。いまは辛抱の時間だ。総選挙がいつ来ても「どんと来い」と言えるグランドデザインをいまのうちに準備するべきだ。
いま準備できないなら今後も期待できない。そういう政党に政権は取れない。
けど民主党の幼稚さは減ったかな。
民主党が評価されないのは、こういった国会の場でのやりとりが、従来の政党と全く変らないからだ。自らの仕事のやりかたを変えない政党が、政権を獲得したからといって、国の仕組みを変えることが出来るはずがない。
国民は見てる。国民は本当の大きな財政改革を期待しているのだ。はんぱじゃない改革をまっているのだ。
橋下新大阪府知事が当選したのは「違う」から。従来通りじゃ駄目だと理解した大阪府民が何か変えなきゃと理解したときに、従来路線ではない選択をしたから。明確に「異」を表にだしたのが橋下知事。選挙ではもちろん不支持層を作る危険もあった。でも「異」はわかりやすさの象徴でもある。
公約にはなんでも書ける。他の知事候補と同じ公約だったとしても橋下知事が勝利しただろう。では違いは何か?他の候補は「知名度」と言いたいだろうが、そうじゃない。「異」だ。エネルギッシュさ、若々しさ、発想の自由さ、知性。その選択の前に府民は、経験不足、過去の発言などに目をつむったのだ。
民主党はわかりにくい。必死になって分りやすくしたいが為に、高校の授業料を無料にすると言ってみたり、農家に対して給付金を出すと言ったり、消費税はそのままだなどと並べる。
「お客さん、うちならあれも是もただだよ、費用は負担しなくていいよ。苦しいならお金を至急するよ。」と甘い言葉でどんどんと国民の関心を惹く。
こんなことはいくらでも言える。自民党だって無責任に発言していいんだったら、これくらいのことは言える。
自民党が利権で道路をつくっているから、利権に関係ない民主ならいらない道路はつくらなくて済む。なんていうのも誰だって言えるじゃないか。まったく幼稚な論理だ。「民主」を「共産」に置き換えてみれば分るでしょ?問題はそこにあるのじゃない。
これだけ複雑になった社会。真っ先に考えるのは○○だと何かを1つ挙げて、明確に何故言えない。○○の為には、××という財源が必要で、その為には△△という施策が必要。△△という施策は・・・といったぐあいになぜ説明できない。
「特定」かそうでないかという話ではなくて、△△という施策の為には道路財源の「特定」をやめなければならないという話をすればいいはず。
自民党からは、民主党の「ばらまき行政」以上の「甘い言葉施策」に、マジックだの、方程式だのと言われているが、これは民主党の議論の論法がずれているからだ。
これまでの話を聴く限り民主党は「目的」と「ねらい」その為の「方法論」の区別ができているとは思えない。
本当は道路を作ることや新幹線を整備することなどは目的ではない。地方経済活性化などの為に道路が要求されるのだ。つまり地方経済活性化の“代替案”が必要なのだ。その上で道路がどれだけ必要かという議論がないといけない。
そういった議論が進むと、地方の生活道路をどうするのかという問題もでてくる、やっとそこで地方への権限委譲と財源委譲議論が生きてくるのだ。権限委譲には国としての制度改革が必要になる。それが国会議員がやるべきこと。立法府である国会でやるべきことではないか?
こんな論法で話をしないから、従来通りの政党だとしか見えない。変らないと思われる。
小泉元首相を持ち上げるわけではないが、変えることにかけては明確だったし、行動もはっきりしていた。だから支持率が高く長期政権が維持できた。北朝鮮問題も拉致家族と真っ正面から向き合った。郵政民営化では解散総選挙にまで踏み切った。どこまで本気かが分ったからとんでもない圧勝になった。もちろんこの解散総選挙に対する批判はあったが、本気で改革を実行する、絶対に実行するという信念の前にはそれくらいのことは承知の上でやった。
民主にこれぐらいのことができるのか?本気で政権を取りたいのだったら、そういう覚悟が居る筈。「民主党は野党にいて楽だ、批判していればいい」と言われ続けていいのか?
大連立に反対する拘りはあるのに、改革の本気さが全く見えない。ここで何を書いても民主党議員の目に触れないだろうが、改めて書く。「あんたら本気さがない。」本気なら、自民党がどんな施策をとるかだとかなど関係ないのだ。対案を出せとわれて出す素直さはそれなりに評価するが、でもそれでは優等生のやること。優等生のままでは政権は取れない。
いまのままで仮に総選挙にでもなって民主党が勝利したとしても、結局政治は停滞するし、殆どの大臣は官僚にうまく牛耳られ無策になる。いまは辛抱の時間だ。総選挙がいつ来ても「どんと来い」と言えるグランドデザインをいまのうちに準備するべきだ。
いま準備できないなら今後も期待できない。そういう政党に政権は取れない。
けど民主党の幼稚さは減ったかな。