「日本はもう立ち直れないから海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい」というブログが話題になっているらしい。
いつの時代も悲観論と楽観論が入り混じり世論を作ってゆくが、「日本はもう立ち直れない」から「海外で勉強して働こう」という話らしい。
結局は、セミナーの宣伝なのだけども、まあいろんな意見は世の中にあるものだし、言論(発言)の自由はあるし、少なくとも沢山勉強して、一流企業を経て現在のポジション(米国在住)になる人がいうから、ちょっとは聞いてみても損はない。
でもそんなことはどうでもいい。海外だから成功できて日本だから成功できないというのはそもそもおかしいのである。海外で成功できる人は日本でも成功できるはずである。たまたまきっかけが海外にあっただけと考えるべき。
しいて言えば、たとえばアメリカと日本での差をいうなら、自己主張と成功指向(大金持ち指向)が違うかどうかだろう。
自己主張は、単なる「自分さえよければ」的な発想ではなく「ベストアンサー」の為の追求を「みんなで議論してやる」こと。日本で自己主張しようものならとたんに煙たがられるが、アメリカではおおむねその逆。意見を主張するから、そいつに意見を聞いてみようという発想がある。結局、コミュニケーションが起業の輪を作ることができて、思いもよらない発想の事業が誕生する。日本にamazonnも、グーグルも存在しない理由がここにある。
けども、今の日本では、「起業」しようと考える人はまさにちょっと意思の強い人というイメージが根強い。議論よりも圧倒的な上意下達。そしてこの上意下達が、既得権益と変化し、力は無いが、管理職だったりして意味の無い権力行使で、若い人が希望を失うことにつながっている。一丸となって…なんていうせりふは日本人とアメリカ人では意識がまるで違う。しかし成功するチームはそういう違いがありながらも、結局は一丸になって成功しているのである。
宗教的背景から推察すれば、キリスト教には、自分に与えられた才能を生かしなさいと教えられる。だから自分にはどんな才能があるのかということに関する意識は相当に強い。でも日本ではどんな才能があるかよりも、どれだけ普通か?が問われる場合が殆どである。違っていることを認めてくれる環境なんて日本では稀だ。
だから、繰り返し言うが、そういう環境の差こそあれ、日本で成功できなさそうだから、アメリカで勉強して起業しようというのはちょっと短絡的すぎる。
アメリカの雇用を支えているというのは、生まれては消える多くの小企業であることは有名である。大企業に勤めていていい給料をもらえることができるのは一部の人だけという認識が強いから、より高い教育を受け、より多くのビジネス経験を経るために起業を渡り歩き、そこに少しでも近づこうとする。多くの社会人が大学でクラスを獲っているのもそのせいである。
日本ではどうだろう?大企業に勤めるためにはいい大学を卒業しなければなんて真面目に考えていて、ここが大問題なのだが、いい大学を卒業していないと、自分には、大企業は無理だと考え、自分の希望がありながらも、適当な就職先を見つけてそれでまあいいかと自分を納得させている場合が殆どである。そしてその後の努力をしない。
これって、アメリカだから、日本だからという話ではなくて、やっぱり個人がどのように物事を捉えるかということにしか思えない。
成功指向というを上げた理由はここある。
よく派遣社員が、なかなか正社員になれないというインタビューを聞くが、それは事実である反面、結局妥協してるという事実でもある。
妥協することは悪くない。かまわない。だが成功指向が強い人はなかなか妥協しない。
妥協するかどうかを決めるのは、あくまでも本人。 だから、結局は本人と言うことが言いたいだけだ。
アメリカで勉強するのもいいし、アメリカで起業してももちろんいい。もちろん日本で勉強して日本で起業してもいい。勉強も起業も成功指向が強ければ、だれに言われなくてもやるものだ。
冒頭のブログを書いているご本人は、日本に希望を見出せなきゃアメリカで勉強しなよ!と言ってるだけなんだけども、自分としては、その表現が「日本ではもう成功できないから」という言い方をしているのが、ちょっと煽りすぎだと思う。シリコンバレーにいればそれくらいのことを言うのに違和感はないだろうが、冷静に考えればとても違和感のある表現である。
正直、こんなに噛み付くこともない。結局はセミナーの宣伝なのだから。宣伝だから「日本で~」というのもいい。けども、宣伝だと知らずに、それについてゆく若者だっているのだから、どうしても言いたくなった。
あえて日本に閉塞感を感じている人にいうとしたら、「成功したければ、自ら希望を捨てるな。自らチャンスをつかめ、自ら開拓せよ!」と言いたい。
AC(公共広告機構)のCMでとてもいい言葉がある。
“くじけそうなのは、あなたが進んでいる証。
しかられたのは、あなたが愛されている証。
つらいのは、あなたがあきらめていない証。
「生きている」という証を、感じてほしい。”
というのがある。
是非、日本のせいにしたり、親のせいにしたり、育った環境のせいにしたりせずに、とびっきりの成功指向で前に進んでほしい。
もちろん、つらくて、くじけそうな時、挫折寸前だったり、心が折れたり、やっぱり才能がないんだと思うことも沢山あるだろう。でもそれを受け入れてゆかないと成功するまで努力し続けることができない。
立ち止まってもいいから、あきらめないでほしい。自らの力で前に進むことを続けてほしい。
いつの時代も悲観論と楽観論が入り混じり世論を作ってゆくが、「日本はもう立ち直れない」から「海外で勉強して働こう」という話らしい。
結局は、セミナーの宣伝なのだけども、まあいろんな意見は世の中にあるものだし、言論(発言)の自由はあるし、少なくとも沢山勉強して、一流企業を経て現在のポジション(米国在住)になる人がいうから、ちょっとは聞いてみても損はない。
でもそんなことはどうでもいい。海外だから成功できて日本だから成功できないというのはそもそもおかしいのである。海外で成功できる人は日本でも成功できるはずである。たまたまきっかけが海外にあっただけと考えるべき。
しいて言えば、たとえばアメリカと日本での差をいうなら、自己主張と成功指向(大金持ち指向)が違うかどうかだろう。
自己主張は、単なる「自分さえよければ」的な発想ではなく「ベストアンサー」の為の追求を「みんなで議論してやる」こと。日本で自己主張しようものならとたんに煙たがられるが、アメリカではおおむねその逆。意見を主張するから、そいつに意見を聞いてみようという発想がある。結局、コミュニケーションが起業の輪を作ることができて、思いもよらない発想の事業が誕生する。日本にamazonnも、グーグルも存在しない理由がここにある。
けども、今の日本では、「起業」しようと考える人はまさにちょっと意思の強い人というイメージが根強い。議論よりも圧倒的な上意下達。そしてこの上意下達が、既得権益と変化し、力は無いが、管理職だったりして意味の無い権力行使で、若い人が希望を失うことにつながっている。一丸となって…なんていうせりふは日本人とアメリカ人では意識がまるで違う。しかし成功するチームはそういう違いがありながらも、結局は一丸になって成功しているのである。
宗教的背景から推察すれば、キリスト教には、自分に与えられた才能を生かしなさいと教えられる。だから自分にはどんな才能があるのかということに関する意識は相当に強い。でも日本ではどんな才能があるかよりも、どれだけ普通か?が問われる場合が殆どである。違っていることを認めてくれる環境なんて日本では稀だ。
だから、繰り返し言うが、そういう環境の差こそあれ、日本で成功できなさそうだから、アメリカで勉強して起業しようというのはちょっと短絡的すぎる。
アメリカの雇用を支えているというのは、生まれては消える多くの小企業であることは有名である。大企業に勤めていていい給料をもらえることができるのは一部の人だけという認識が強いから、より高い教育を受け、より多くのビジネス経験を経るために起業を渡り歩き、そこに少しでも近づこうとする。多くの社会人が大学でクラスを獲っているのもそのせいである。
日本ではどうだろう?大企業に勤めるためにはいい大学を卒業しなければなんて真面目に考えていて、ここが大問題なのだが、いい大学を卒業していないと、自分には、大企業は無理だと考え、自分の希望がありながらも、適当な就職先を見つけてそれでまあいいかと自分を納得させている場合が殆どである。そしてその後の努力をしない。
これって、アメリカだから、日本だからという話ではなくて、やっぱり個人がどのように物事を捉えるかということにしか思えない。
成功指向というを上げた理由はここある。
よく派遣社員が、なかなか正社員になれないというインタビューを聞くが、それは事実である反面、結局妥協してるという事実でもある。
妥協することは悪くない。かまわない。だが成功指向が強い人はなかなか妥協しない。
妥協するかどうかを決めるのは、あくまでも本人。 だから、結局は本人と言うことが言いたいだけだ。
アメリカで勉強するのもいいし、アメリカで起業してももちろんいい。もちろん日本で勉強して日本で起業してもいい。勉強も起業も成功指向が強ければ、だれに言われなくてもやるものだ。
冒頭のブログを書いているご本人は、日本に希望を見出せなきゃアメリカで勉強しなよ!と言ってるだけなんだけども、自分としては、その表現が「日本ではもう成功できないから」という言い方をしているのが、ちょっと煽りすぎだと思う。シリコンバレーにいればそれくらいのことを言うのに違和感はないだろうが、冷静に考えればとても違和感のある表現である。
正直、こんなに噛み付くこともない。結局はセミナーの宣伝なのだから。宣伝だから「日本で~」というのもいい。けども、宣伝だと知らずに、それについてゆく若者だっているのだから、どうしても言いたくなった。
あえて日本に閉塞感を感じている人にいうとしたら、「成功したければ、自ら希望を捨てるな。自らチャンスをつかめ、自ら開拓せよ!」と言いたい。
AC(公共広告機構)のCMでとてもいい言葉がある。
“くじけそうなのは、あなたが進んでいる証。
しかられたのは、あなたが愛されている証。
つらいのは、あなたがあきらめていない証。
「生きている」という証を、感じてほしい。”
というのがある。
是非、日本のせいにしたり、親のせいにしたり、育った環境のせいにしたりせずに、とびっきりの成功指向で前に進んでほしい。
もちろん、つらくて、くじけそうな時、挫折寸前だったり、心が折れたり、やっぱり才能がないんだと思うことも沢山あるだろう。でもそれを受け入れてゆかないと成功するまで努力し続けることができない。
立ち止まってもいいから、あきらめないでほしい。自らの力で前に進むことを続けてほしい。