「主馬判官盛久」という浄瑠璃を、私は知りませんでした。調べてみると、近松34歳、貞享三年(1686年)の作品でした。この人形芝居を、真野の地蔵祭りで、真明座が演ずるというので、勉強に行ってきました。因みに、この波除けとは、津波封じのことだそうです。
主馬判官盛久 あらすじ
第一
一の谷の合戦で敗走し、海上に逃れた平家の船団を追いかけて来たのは、平家譜代の侍大将、主馬の判官盛久でした。盛久は、主君である薩摩の守忠度卿が、岡部六弥太忠澄に討たれた今、妻の床夜の前と最期の名残を惜しむ為に、戻って来たのでした。それと言うのも盛久は、小松殿(平重盛)から女房をいただいておきながら、とうとう現世においては、迎えることができなかったからでした。しかし無念にも、床夜の前は、どの御座船には乗っていませんでした。
(先陣を離れた盛久と、船上の能登の守)
盛久は、最早、討ち死に以外に道は無いと、須磨へ取って返しましたが、流れ矢に当たって馬が倒れ、盛久も岩角に胸を打ち付け悶絶してしまうのでした。そこに現れたのは、漁師の娘、曙でした。曙の看病により、意識を取り戻した盛久でしたが、今度は、曙から言い寄られて辟易とします。命の恩があるので、とうとう盛久は、夫婦の約束をさせられてしまうのでした。
(盛久を介抱する曙) (宗重と戦う、妻の床夜の前)
敵が迫って来たので、盛久は、傷ついた馬の介抱を曙に頼むと、再会の約束をして別れました。ところが、敵と戦っていたのは、鎧姿の妻、床夜の前でした。源氏方の小山の太郎武者宗重は、床夜の前を組み伏せると、にやにやしながら、「盛久は死んだから、俺の女房になれ」と迫ります。
(床夜の前に言い寄る宗重) (再会を果たす盛久と床夜の前)
危うい所を盛久が蹴散らし、晴れて夫婦の対面が叶うのでした。二人は、平家一門と合流して一緒に死にましょうということになりますが、盛久は、先ほどの曙との約束を思い出ます。一瞬、逡巡しましたが、最早どうすることもできません。時は元暦二年三月二十四日、壇ノ浦での総攻撃が始まっていました。二人は、御座船を目指しましたが、とうとう堀の弥太郎近経に取り押さえられてしまいます。弥太郎は、床夜の前が、女であることを知ると、逃がしましたが、それを見ていた先程の宗重は、「敵を助けるとは二心あり」と叫んで、頼朝への告げ口に走るのでした。
(弥太郎は床夜の前を逃がします) (宗重が弥太郎を見咎めます)
一方、盛久は、妻を助けた弥太郎に恩を感じて、首を差出します。高名を焦っていた弥太郎でしたが、後日、宗重の讒言を覆すための証人となるように頼み、盛久を生け捕りにするのでした。
(首を差し出す盛久と、生け捕りを乞う弥太郎) (以上真明座)
第二
堀の弥太郎に生け捕られた盛久は、土屋の三郎に預けられ、鎌倉まで護送される手筈ですが、弥太郎は、盛久を丁重に扱う様に命じたのでした。その為、盛久が乗る馬を手配することになりました。ところが貸し馬を曳いて来たのは曙です。曙は、盛久は自分の夫だから会わせて欲しいと懇願しますが、許されません。今度は、床夜の前がやってきて、自分は盛久の妻なので会わせてくれと涙をながすので、門番は呆れて、門をピシャリと閉じてしまいます。床屋の前が、曙を問い正して、女の戦い一触即発です。曙が、「私は盛久殿を助けたのに、あんたは、弥太郎に生け捕らせたではないか、それで夫婦と言えるか。口惜しかったら、早く弥太郎を討ち取れ」と食い付きます。互いに、今夜にでも弥太郎を討ってみせると、喧嘩別れになるのでした。その日の夕刻、床夜の前が忍び込もうとうろうろしていると、逆に弥太郎にみつかってしまいます。弥太郎は、床夜の前が盛久の妻であることは知っていましたので、陣屋に呼び入れ、是までの経緯を話すのでした。盛久が、恩情を受けている事を知った床夜の前は、弥太郎を討つことができなくなりました。しかし、やがて曙が、弥太郎を討つためにやってくるでしょう。どうしたものかと、思い悩んだ末に、床夜の前は、書き置きをすると、黒髪をふっつと切り落として、弥太郎の直垂を被って、床に着いたのでした。明け方に、弥太郎を討つために、曙が忍び込んで来ました。しかし、曙が掻き落した首は、床夜の前の首だったのです。陣屋は大騒ぎになりますが、一通の書き置きに皆、涙するのでした。『討てば情けの恩を知らず、討たでは人の義理立たず、恩にも恋は替えられず、恋にも恩は捨てられず、二つの道が心の責め、露の命を捨て筆に、言い残し置く、我が心』
第三
鎌倉に戻った小山の太郎武者宗重は、堀弥太郎が、盛久を優遇して、謀反を企てていると讒言をします。頼朝は盛久を問い詰めますが、盛久は源氏のことなど知らないと取り合いません。頼朝は、宗重に弥太郎の捕縛を命じ、盛久を川越重房に預けるのでした。
一方、曙は、罪も無い床夜の前を殺してしまったことを後悔して、出家をするために京都大原の辺りをさまよっていました。とある庵に辿り着きますが、そこは、盛久の主であった忠度卿の妻、菊の前と、無官の太夫敦盛の妻(法正覚)が尼となって隠れ住んでいる庵でした。曙の話しに涙している所に、今度は法師となった熊谷直実(蓮生坊)が闖入して来ます。蓮生坊は敦盛を殺した後悔の念に苛まれますが、逆に、法正覚に励まされるのでした。やがて蓮生坊は寝入ってしまいますが、女三人は、いつまでも身の上話しが尽きませんでした。
そこへやってきたのは、弥太郎の行方を捜す宗重です。曙が居ることを知ると、宗重は、無理矢理に曙を奪い取りました。騒ぎに目覚めた蓮生坊が、飛んで出ますが、宗重はさっさと逃げてしまいます。曙を奪い取られた蓮生坊は、地団駄を踏んで悔しがるのでした。
第四
その頃、弥太郎は清水寺に隠れて、世情を窺っておりました。夜半に念仏していると、大男が現れました。それは、蓮生坊でした。蓮生坊は、弥太郎と知ると、曙を宗重に奪われた事等を悔しさ紛れにぶちまけるのでした。弥太郎は、宗重にはめられた悔しさと、自らの不甲斐なさを嘆きつつも、涙に暮れる外はありませんでした。そこで、蓮生坊は、大原の二人の比丘尼と鎌倉に行き、頼朝公を説得しようと決意するのでした。
蓮生坊は二人の比丘尼を先行させて、鎌倉を目指しました。しかし、関の厳しい東海道は下らずに、長野経由で、群馬県の安中、板鼻の宿までやってきたのでした。ところが、ここに臨時の関が設けられて、厳しい詮議がされているようです。役人は、弥太郎詮議のため通行は出来ないと言います。二人が、熊野比丘尼を何故通さないのかと粘りますと、本当の熊野比丘尼なら、六道の絵図を見せて見ろと、突っ込むのでした。しめたと二人は、幸い持っていた九品十戒の絵を出して、関の柱に掛けると、滔々と説法を始めるのでした。お前達の様に往来を妨げる関守は、地獄行きだと言われて、役人達は慌てて喜捨すると、震えながら二人を通すのでした。ところが、菊の前を見知った者がいたので、せっかくの大芝居も無駄になって、二人は取り押さえられてしまうのでした。絶体絶命の所に、ようやく蓮生坊が現れます。蓮生坊の一暴れで、二人を救い出しただけで無く、若侍に二人の尼を背負わせて、さらに鎌倉を目指すのでした。
第五
ここは、鎌倉桐が谷(きりがやつ)にある川越重房の座敷牢。盛久は、法華経を読誦する毎日です。友といえば、寝起きを共にする鸚鵡(おうむ)だけですが、この鸚鵡は、毎日のお経を口真似し、とうとう、盛久と一緒に読誦するようになったのでした。盛久処刑の命令が出され、川越重房が知らせに来た時の事です、なんと鸚鵡が重房に飛び掛かって、左の頬を傷つけたのでした。重房が、鸚鵡を捻り殺そうとする所を盛久は、黄金の守り本尊(清水の観音様)と引き替えに、鸚鵡の命を助けるのでした。
さて頼朝公が諸大名を引き連れて、鶴岡八幡宮に参拝されますと、神木の銀杏に怪しい鳥が留まって、こう鳴きました。「ねんぴかんのんりき、とうじんだんだえ」(念彼観音力刀尋段段壊)頼朝を初め、皆々不思議に思っていると、宗重がしゃしゃり出ます。この鳥を射落としたと思いきや、鳥は黄金の千手観音となって光を放ち、矢を放った宗重は悶絶し、痙攣してしまうのでした。するとそこへ、川越の重房が盛久を連れて駆け込んできました。重房は、「首を討とうとしましたが、盛久の体が光り輝き、これこのように、太刀が段々に折れ、処刑できません。」と言上するのでした。頼朝は、はったと手を打ち、「信あれば徳あり。仏が助けた者を、頼朝が討つわけには行かぬ。」と、盛久を助命するのでした。しかし、盛久は源氏の恩は受け無いと、助命をはねつけます。そこへ、ようやく蓮生坊、法正覚、菊の前が到着しました。蓮生は、堀、土屋に科は無く、すべては宗重の讒言であると告発します。更に、宗重に捕らえられていた曙も逃れ来て、宗清の悪行を暴露するのでした。頼朝公はお怒りになり、その場で宗重を縛り上げると、蓮生に引き渡しました。頼朝公は「神の前で、佞人は暴かれたな。この御本尊様は、頼朝が預かる。」と感じ入り、盛久に源氏の姓と領地をお与えになったのでした。
おわり