ちゅうじょう ③
母から、初めて父の話を聞いた摩尼王は、
「私には、父上様は居ないと思っていたのに、朝敵として、鎌倉へ連れていかれたのですか。なんと、悲しいことか。」
と、泣き崩れました。涙ながらに摩尼王は、更に母に抱きついて、
「父の形見はありませんか。どうか見せて下さい。」
と言うのでした。御台様は、法華経一部を取り出すと、
「これこそ、父の形見です。父が鎌倉へ下られる時、生まれた子が、男子ならば見せよと言って、残していかれたお経です。このお経こそお前の父だと思い、お山に持って帰り、この経を良く読み習って、父の菩提を弔っておくれ。」
と言って、お経を摩尼王に渡しました。摩尼王はお経を胸に当て、顔に当てて泣くのでした。お二人の嘆きは、何に例えようもありませんが、漸く摩尼王は、涙を押し留めて、松若と共に、再びお寺へと帰って行ったのでした。
さて、摩尼王はそれからというもの、法華経を日々に勉強し、一部八巻二十八品の六万九千三百八十余字のすべてを諳んずるまでになったのでした。法華経についての質問なら、言下に答えることができたので、寺中の若い衆徒はもとより、老僧に至るまで、摩尼王に並ぶことのできる者はありませんでした。
さて、或る雨の日に、摩尼王は、松若にこう話すのでした。
「松若よ。人として生まれてきて、親の行方も探さないのでは、鬼畜木石にも劣るとは思いませんか。私は、何とかして、鎌倉へ下って、父の行方を尋ねようと思うのです。」
これを、聞いた松若も、
「君が、御下向されるならば、お供いたしまする。」
と、答えます。そこで二人は、髪は剃りませんでしたが、縹帽子(はなだぼうし)で髪を隠して、墨染めの衣を着て、松若が背負う経箱を用意しました。準備が整うと摩尼王殿は、
「松若よ。よく考えてみると、露の命には定めも無い。道中に於いて行き倒れることもあるだろう。母上に、お話したいとは思うが、鎌倉行きを知られれば、それは人の親の倣いとして、反対するに決まっておる。そうでなければ、自分も連れて行けと騒ぐであろう。だから、このことは、誰にも秘密であるぞ。」
と、口止めをして、夜陰に寺を忍び出るのでした。
つづく