萩平歌舞伎公演は、今年で17回目ということです。秩父の人々は、大変行いが良いらしく、私が行く様になってから、雨と言う事は無くて良いのですが、毎回、夏の様な太陽に悩まされます。今日も暑かったですね。
さて、子供歌舞伎は、「吉例曾我対面 工藤館の場」です。6月からの猛稽古の結果が十二分に発揮されたようです。菅生との違いも勉強になりました。子供歌舞伎は、文句なしに可愛い。年ですかね。
正和会は、「一谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」です。地芝居では、お馴染みの作品ではありますが、9月の白山で、真明座の文弥人形で見ているので、その比較に興味が湧きました。正直に結論を言ってしまうと、今日の芝居の方が面白かったし、良く理解できました。同じテキストを使っているのに、人形と人間とは言え、何でこんなに印象が異なるのか、大変不思議です。ご存知の様に、「一の谷嫩軍記」は、並木宗輔の作です。初演は宝暦元年(1751年)の大坂豊竹座ということですから、古浄瑠璃的なものとは、既に100年もの時代の差があります。この百年のギャップが、何をどう違えているのかは、良くは説明できませんが、素朴な文弥人形では、表現しきれない部分があるのかなあと、考えさせられた秋の一日でした。反対に、観る側が楽をして、想像力を麻痺させているのかもしれませんが・・・
首実検
「その昔、母常磐の懐に抱かれ、伏見の里にて雪に凍えしを、汝が情けをもって、親子四人が助かりし嬉しさ。その時は、我三歳なれども、面影は、目先に残り、見覚えある眉間のほくろ・・・」と正体を見破られた弥陀六、実は、弥平兵衛宗清。「源氏烏帽子折」(1690年:近松)の宗清が、田村川合戦の前に失踪してから、ここに再登場かと思うと、なんとなくジーンとしますが、内輪受けの感想ですね。何はともあれ、秋を満喫するには萩平歌舞伎です。因みに、我等がお師匠様の坂東彦五郎氏は、今回チョボ床をお勤めでした。
萩平の芝居小屋遠景:後ろの山は、「美の山(簑山)」(582m)です。山頂が色づいていましたが、写真ではみえるかな?
さて、子供歌舞伎は、「吉例曾我対面 工藤館の場」です。6月からの猛稽古の結果が十二分に発揮されたようです。菅生との違いも勉強になりました。子供歌舞伎は、文句なしに可愛い。年ですかね。
正和会は、「一谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」です。地芝居では、お馴染みの作品ではありますが、9月の白山で、真明座の文弥人形で見ているので、その比較に興味が湧きました。正直に結論を言ってしまうと、今日の芝居の方が面白かったし、良く理解できました。同じテキストを使っているのに、人形と人間とは言え、何でこんなに印象が異なるのか、大変不思議です。ご存知の様に、「一の谷嫩軍記」は、並木宗輔の作です。初演は宝暦元年(1751年)の大坂豊竹座ということですから、古浄瑠璃的なものとは、既に100年もの時代の差があります。この百年のギャップが、何をどう違えているのかは、良くは説明できませんが、素朴な文弥人形では、表現しきれない部分があるのかなあと、考えさせられた秋の一日でした。反対に、観る側が楽をして、想像力を麻痺させているのかもしれませんが・・・
首実検
「その昔、母常磐の懐に抱かれ、伏見の里にて雪に凍えしを、汝が情けをもって、親子四人が助かりし嬉しさ。その時は、我三歳なれども、面影は、目先に残り、見覚えある眉間のほくろ・・・」と正体を見破られた弥陀六、実は、弥平兵衛宗清。「源氏烏帽子折」(1690年:近松)の宗清が、田村川合戦の前に失踪してから、ここに再登場かと思うと、なんとなくジーンとしますが、内輪受けの感想ですね。何はともあれ、秋を満喫するには萩平歌舞伎です。因みに、我等がお師匠様の坂東彦五郎氏は、今回チョボ床をお勤めでした。
萩平の芝居小屋遠景:後ろの山は、「美の山(簑山)」(582m)です。山頂が色づいていましたが、写真ではみえるかな?