猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

南の島で出合った浄瑠璃

2015年11月27日 14時49分31秒 | 調査・研究・紀行
 石垣島に行って来ました。「まゆんがなし」の地「川平(かびら)」を訪問することや、神の山「於茂登(おもと)岳」に登ることが、主な目的でしたが、案内をしていただいた、大田静男氏(郷土史研究家)から、「浄瑠璃ならあるよ。」と言われて、びっくり。遥か南の島で出合ったのは、「ひらがな盛衰記」でした。

(石垣市立八重山博物館蔵:新本家文書より)
この本は、写本で、年代等は不明。コピーを持ち帰ったので、これから翻刻の予定。
大田氏が著した「八重山の芸能」によると、石垣島にもかつて、「文弥節」による浄瑠璃があり、その人形浄瑠璃のことを、「京太郎(チョンダラー)」と呼んだと書かれています。

(南島覚書:須藤利一著・第一書房:より)
このチョンダラーの写真は戦前の記録で、残念ながら、現在はその現物は残ってはいませんが、佐渡の文弥人形と大変良く似ています。

(八重山博物館)
南の島では、いったいどんな人形浄瑠璃が行われていたのでしょう。



旅する神「まゆんがなし」がやってくる(群星御嶽(ンニブシオン)にて)




忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地⑥ 終

2015年11月17日 18時49分35秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
清水の御本地⑥ 終

 内裏での奇蹟の後、御門は、公卿大臣にこう命じました。
「東山の音羽の滝に住んでいる真如夫婦こそ、生き仏であるぞ。彼らの住家こそ、極楽浄土と呼ばれるものである。流れ清き滝の水に因んで、清水寺(せいすいじ)と名付けて、未来の罪を逃れようではないか。」
そうして、数々の宝を寄進して、清水寺を信仰なさったので、公家大臣に止まらず、人々は皆、清水寺を篤く信心したのでした。
 さてある時、姫君は、真如に向かい、こう仰りました。
「我が君様。よくお聞き下さい。私たちは、今生においてこの様に楽しく暮らせたとしても、三悪道に沈み行けば、紅蓮の炎に包まれたり、氷に閉ざされたりして、再び浮き上がるなどと言う事は、至難のことなのです。ですから、願うべきことは、菩提なのです。この世は仮りの宿ですが、来世は、永遠の住家です。後世の道こそ、大事なのです。さあ、ご一緒に修行して、補陀落世界に生まれ変わりましょう。」
真如も、既に正覚しておりましたので、
「おお、それは全く道理なことである。」
と答えると、夫婦連れだって、音羽の滝へと出向きました。それからというもの、三百三十三度の水垢離を行い、三十三巻のお経を、毎日、転読する修行に入ったのでした。修行の生活が、三年と三月が経った時、いよいよ所願が成就されて、お体が光明で輝き始めました。その光は、三十三観音菩薩の光です。そして、衆生済度の御利益の為に、一首の歌を詠じなされるのでした。
『ただ頼め しめぢが原の さしも草 我世の中に あらん限りは』(古今集)
 その後、真如殿は、丹波の国にいらっしゃる父上様を、穴太(あのう)の観音としてお祀りになると、真如殿を貶めた為に地獄に落ちていた兄兄弟を救い上げて、不動尊、毘沙門天として祀ったのでした。さて一方、姫君は、大和の国の長谷観音となられました。
 真如殿は、清水寺に留まって貫主となり、更に衆生済度利益の為に、祈願を続けました。今日まで、十八日を観音様の縁日としているのは、その日が、真如夫婦の正覚した日だからです。
さてさて、この本を買って、三遍読むならば、必ず悪病災難から免れて、富貴の身分になることは疑い無し。これを疑って、危ない目に遭っても知りませんぞ。清水寺には、今でも、身分の上下を問わず、お参りをしない人はありません。

おわり

忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地⑤

2015年11月17日 17時21分34秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
清水の御本地⑤

 御所にお帰りになられても、御門の心は、真如の妻女に、恋焦がれるばかりです。御門は、公卿大臣を集めると、
「皆の者、何とか知略を巡らせて、真如の妻女を奪い取るぞ。」
と、息巻いています。早速に、真如が、内裏に呼ばれました。御門は、こんな事を言いました。
「真如よ。お前の妻は、天より降る者と聞く。天の者であれば、出来ないことは無いであろう。そこで、お前に命ずる。手が一本の者、足が一本の者、一つ目の者、又、八大竜王を、内裏に連れて参れ。もし、それが出来ない時は、お前の妻を、内裏へ参内させよ。」
宣旨を受けた真如は、そんな者は居るはずが無いと、途方に暮れて、家に帰りました。姫君に、事の次第を語りますと、姫君は、
「そんな事は、なんでもありませんよ。」
と南面に立たれました。虚空に向かって、何者かを招きますと、やがて、姫の前には、それぞれの者達が飛んで来ました。姫君は、
「お前達、真如殿のお供をして、内裏へ行きなさい。何事も真如殿に従うのですよ。」
と命じるのでした。やがて、真如は、お供を連れて参内しました。内裏では、御門を始めとして、卿相雲客がずらりと並んで、見物です。
 先ずは、一本足の者が出ました。田楽の真似をして、一本足で見事な踊りを披露しました。次に、手が一本の者が、猿猴(テナガザル)の真似をして笑わせました。三番目に、一つ目が口をすぼめて口笛を吹くと、百二十もの楽の音が聞こえ、聞く者をうっとりとさせたのでした。最後に、八大竜王が御前に現れました。竜王の仕業と言えば、決まっています。それまで輝いていた日月は、あっと言う間に陰り、車軸の雨が降り出して、大洪水となり、内裏の内も水浸しです。これには、御門も驚いて、
「もうよい、もうよい、真如よ、早く連れて帰れ。」
と言う始末です。真如は、得意顔で帰りました。しかし、御門は、これでも懲りませんでした。又、真如を参内させると、
「この間は、ご苦労であった。注文の者共を、全部見せてもらって、嬉しかったぞ。今度は、吹いても鳴らず、吹かなくても鳴る笛を探して参れ。」
と又、無理難題を突きつけるのでした。真如は又、困った顔をして、家に帰ると、又、姫に相談するのでした。真如は、
「ああ、今度ばかりは、もうだめだ。お前が、内裏に上がってしまったら、私は、その後、どうしたら良いのだろう。」
と、嘆き悲しむのでした。これを聞いた姫君は、
「大丈夫です。御安心下さい。探して参りましょう。」
と答えると、南面へお出でなり、虚空に向かって手招きをしました。すると、笛と鼓が現われました。真如は、笛と鼓を、姫から受け取ると、早速に内裏へ参内するのでした。
 御門を始め、多くの公卿大臣が見詰める中で、真如は、庭先に、笛と鼓を置きました。すると、吹きもしないのに、百二十丁分の音を出して笛が鳴り始め、鼓も独りでに拍子を合わせ始めます。御門が、
「強くなれ。」
と命じますと、宣旨に従って、天地も響けととばかりに鳴り響きます。やがて、五畿内の鳴り物という鳴り物が、鳴り始めました。この音で、空飛ぶ鳥はびっくりして地に落ち、愛宕山も比叡山も崩れ始めました。あまりの音の大きさに、慌てた御門は、
「やあ、真如。もうよい、早く止めてくれ。」
と仰いましたが、真如は、
「今少し、どうなるかご覧下さい。」
と、とぼけました。御門は、とうとう、
「分かった。お前の妻のことは、もう忘れよう。」
と観念したのでした。真如は、にやりとして、
「笛、鼓、止まれ。」
と命じますと、ぴたりと、その音は止みました。様々の奇蹟に感動した御門は、
「真如よ。お前は、いったいどんな善根によって、このような奇特に預かる様になったのだ。お前達夫婦は、本当に仏様の化身であるな。」
と詠嘆すると、勿体無いことに、その冠を地に付けて、真如に向かって礼拝されるのでした。
そうして、真如はその面目を施して、姫の待つ我が家へと帰って行ったのでした。お二人のお喜びは、限りもありません。こうして、月日が経って、お子様も沢山出来ました。真如殿の心の内の満足は、言葉に尽くせるものではありません。

つづく

来春 猿八座が東京にやって来る

2015年11月16日 21時34分23秒 | お知らせ
今年、最後の公開稽古には、およそ30名もの方々にご来場いただき、稽古場が満員でした。
熱心な方々ばかりで、緊張しましたが、力一杯、勤めさせていただきました。ありがとうございました。
また、ご来場下さい。

撮影:藤田雅善氏
「角田川」渡し船の船頭から、探し求めていた息子の消息を聞く母。息子梅若は、1年前に、この川岸で行き倒れたと、知らされる。

撮影:藤田雅善氏
「耳なし芳一」平家武者の亡霊は、琵琶語りをさせる為に、芳一を迎えに来た。

さて、来春、1月には、猿八座東京公演が計画されています。
東京地方のファンの皆様にとっては、またとないチャンスです。
どうぞ、ご予定下さい。詳細は、チラシができ次第、お知らせします。

[猿八座東京公演 概要]

猿八まつり(ギャラリー展示)1月9日(土)~1月23日(土)
   
★ 八太夫素浄瑠璃の夕べ  1月16日(土)午後6:30~ 
 
   耳なし芳一 (原作:小泉八雲 脚色:姜八景 補綴:西橋八郎兵衛 節付:渡部八太夫)
   (原作:内田百 脚色:渡部八太夫・姜信子 節付:渡部八太夫)                     
   前売り2000円 当日2500円 

   

★ 猿八座人形浄瑠璃 

   1月22日(金)午後7:00~  (三番叟・角田川・山椒太夫)
   1月23日(土)午後3:00~  (三番叟・角田川・信太妻)
            
   前売り3000円 当日3500円 お弁当・1ドリンク付き


会場 馬喰町 ART&EAT  〒101-0031 東京都千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビル202.

予約・問い合わせ 03-6413-8049


猿八座鎌倉公演(予定) 

期日 1月24日(日) 猿八座人形浄瑠璃 (三番叟・耳なし芳一)(時刻未定)

会場 古民家スタジオ・イシワタリ 神奈川県鎌倉市長谷1-1-6 

忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地④

2015年11月11日 22時23分48秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
清水の御本地④

 さて、真如殿の部屋に、極楽浄土が出現したことは、忽ちに知れ渡りました。洞院殿は、沢山の供人を連れて、真如の寝屋の見物にやって来ました。真如殿の戸を開いた途端に飛び込んできたのは、光明に輝き、音楽が鳴り響く極楽世界です。余りの眩しさに閉じた目を、ようく見開いて見て見ると、黄金の門や白銀の築地が見え、庭は瑠璃の砂が敷き詰められています。七間(けん)の添え殿、八間の張り殿、九間の主殿が作られ、回廊は二十四間もあります。南面の松の枝に、黄金の鶴が舞い遊び、池には、白銀の亀が甲羅干しをしているではありませんか。余りの美しさに、洞院殿が、言葉を失っていると、真如殿が、こちらへと招きました。姫君も、
「あれは、真如殿が頼り為されている洞院殿ですか。さあさあ、どうぞ。」
とお声掛けをしたので、お供の上達が、手を引いて、洞院殿を宝石で燦めく台(うてな)へと案内しました。流石の洞院殿も、呆れ果てるばかりです。それから、洞院殿は、甘露の様な百味の飲食(おんじき)を味わい、気が付いたら、もう三七日(21日間)が経ってしまったので、慌てて自分の家へと帰って行きました。
 洞院殿は、この事を、直ぐに御門へと奏聞しました。大変、興味を持たれた御門は、早速に洞院殿の館に行幸される事になりました。御門のお乗りになった御車と、数多のお供の行列が出発すると、五畿内の人々が、その行幸を見物しようと、我も我もと集まって来る程の騒ぎとなりました。さて、いよいよ御門のご一行が、真如の寝屋にお着きなり、戸を開きますと、例の様に、宮殿楼閣が甍(いらか)を並べる景色が広がります。地面の砂は金や瑠璃が敷き詰められ、金銀の花が咲き乱れます。そこに、六観音、六地蔵、八大金剛童子が顕れて、光を放ちましたので、この光に照らされて、御門を始め、卿相雲客、大臣に至るまで、皆、金色の姿と輝くのでした。
 奥の宮殿を見て見ますと、十六七歳ぐらいの女性が見えます。十二単に三重の袴、翡翠の簪に寝乱れ髪といった艶やかさです。そして、多くの天女達が、仕えている様子です。御門は、このお姿をご覧になると、
「おお、あれは、真如が妻であるか。なんと美しい女性であることか。」
と、もう一目惚れです。御門は、真如の妻を心に刻んで、やがて、ご帰還なされたのでした。
 ところで、洞院殿は、霊符菩薩(北辰妙見菩薩)を信心なされていたので、この時から、霊符を行う家には、禁中の行幸があると、言われる様になったのです。まったく有り難いお話ですから、今にいたるまで、霊符菩薩信仰は、盛んなのだということです。

つづく

忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地③

2015年11月10日 16時05分32秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
清水の御本地③

 時成と別れた国春殿は、夢の様な心地で、どことも知らない山中を落ち延びました。

《以下道行き:山陰道(国道9号)》

不思議に命、助かりて
今は、齢(よわい)も亀山(亀山城:京都府亀岡市荒塚町)の
万年も経ぬらんと
老の山(大枝山:大江山:大井山・・・亀岡市)を打ち越えて
駒を早めて、沓掛(左京区)
樫の木腹(樫原(かたぎはら)左京区)はこれとかや
月の桂の男山
向陽も照り添いて
日も陽炎の石清水
正八幡を伏し拝み
東寺、西寺、打ち過ぎて
七条朱雀権現堂
涙と共に行く程に
早、九重(都)に着き給う

 ちょうど、旧暦3月の半ばの頃です。特に清水寺の辺りは桜の花が咲き乱れています。四条や五条の橋の上は、花見に行く浮かれた人々で、ごった返していますが、国春殿は、昔を思い出して、涙ぐむばかりです。とある大きな館の棟門の前で、国春殿は、腰をおろしてひと休みをすることにしました。すると、一人の男が近付いて来ました。国春殿をつくづくと眺めていた男は、『どうもこの人は、ただ者ではないようだ。』と思い、声を掛けてみることにしました。
「もしもし、そこの御方。あなた様は、どちらの御方ですか。お見受け致します所、由緒おありの方のようですが・・・。」
国春は、これを聞くと、
「はい、私は、遠国の者ですが、奉公先で、嫉みを受けて、流浪の身となりました。都へ流れて来ましたが、知る人も無く、頼る先もありません。一樹の陰に寄り、一河の流れを汲むのも、多生の縁と申します。どうか、憐れみ下さい。」
と訴えるのでした。その男は、これを聞くと
「おお、それは、お気の毒な事です。この館は、洞院殿のお屋敷ですが、大変、慈悲深い御方です。私が、取り次いであげましょう。どうぞ、ご安心して、そこで暫くお待ち下さい。」
と言い残すと、門内へと入って行きました。やがて、男は、洞院殿に、門外に佇む男の事を取り次ぎました。すると洞院殿は、その話に興味を持ち、国春殿を招き入れたのでした。国春殿の話しを聞いた洞院殿は、国春殿を召し抱えることにしました。洞院殿は、
「今日より、お前の名前を、真如(しんにょ)と名付ける。明朝からは、蔀(しとみ)、遣戸(やりど)の開け閉て、昼には物の具の掃除、夕べになれば、馬たちの湯洗いをせよ。よいか真如。」
と、命じました。それからというもの洞院殿は、片時も真如を離さず、
「真如、真如。」
と可愛がりました。真如は、大変忙しい毎日を過ごすことになりましたが、少しの暇を見つけては、観音経を転読するのでした。やがて、不思議な事に、五百人で行うような沢山の仕事を、たった一人でこなすことができるようになり、聞く人見る人を、驚かすようになったのでした。
 そんな或る日のことでした。一日の仕事を終えて、いつもの寝室に戻って来た真如は、その部屋の戸を開いて、びっくりしました。そこには、黄金の門があり、白銀の築地や黄金の築地が連なり、庭には、黄金の砂が敷き詰められているのでした。辺りを見回すと、三十六の宮殿が建っており、水晶の柱や五条の旗鉾、七宝を巻いた柱などが見えました。あんまり見事なので、言葉も出ません。それから、真如は、宝石が散りばめられた階段を上がってみました。そこには、十六七の姫君が座っておられました。姫君は、『翡翠の簪(かんざし)乱れ髪、丹花の唇、柔和の姿』と、まあ、辺りも輝くばかりの美しさです。さらに、その姫君の声は、迦陵頻伽(かりょうびんが)の如く華麗でした。
「そこに、いらっしゃったのは、真如殿ですか。私は、あなた様が日頃、祈願されている補陀落世界より参った者です。あなたの妻となるために、ここまでやって来ました。さあ、こちらへお入り下さい。」
姫君は、そう言うと、真如の手を取って、玉の台(うてな)へと誘うと、これまた宝玉で飾られた瓔珞(ようらく)をさげるのでした。すると、沢山の天人達が現われて、真如殿の前に畏まり、額づくのでした。真如は、余りの事に、ただ呆然とするばかりです。しかし、やがて、姫君と真如殿は、比翼連理の語らいをされ、深く結ばれるのでした。
 或る日の夕暮れの事でした。真如は、南面の縁側に出て、四方の景色を眺めました。峰の白雪は、斑消えて、谷の早蕨(さわらび)が萌え出ずる春の景色です。松の枝には、孔雀や鳳凰が囀り、妙法蓮花の花が、美しく咲いています。ここでは、四季の折々を、目の前で愛でることができました。万木千草の四季を、一日で見ることができたのです。その上、百味の飲食(おんきき)が空から降ってきます。それを食べてみれば、甘露のように美味で、心が和らぎます。そうして、自分の姿も、輝くばかりになります。これこそ、極楽浄土というべきでしょう。今や、真如殿のお姿は、光明赫奕と輝くばかりです。頼もしいとも中々、申し様もありません。

つづく

忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地②

2015年11月07日 21時02分06秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

清水の御本地②

 国春を捕らえた兄弟の人々は、やがて、郎等の佐々山二郎時成を近づけると、
「時成。あの国春を、山中に連れて行き、殺害せよ。」
と、命じました。しかし、時成は、
「ご命令ではありますが、三代相恩の主君のお首を、この時成は、討ちかねます。どうか、他の者にご命令下さい。」
と、答えたのでした。兄弟の人々は、
「さては、お前は、心変わりをしたな。」
と、大いに立腹し、時成を斬り殺そうとしました。その時、時成は、
『いやいや、私が辞退しても、誰かが国春殿を討つのに違い無い。そうであるならば、私の手でお討ちして、御跡を弔って差し上げよう。』
と、考え直しました。時成は、兄弟の人々に向かい、
「あ、いや、只今の仰せは、私の心を試す為と思いまして、お断りいたしましたが、本当に討てと御命じであれば、討ちましょう。」
と、答えるのでした。
 やがて、日も傾き、黄昏時になると、時成は、国春殿を、とある山陰へと連れて行きました。時成は、
「国春殿、兄弟に方々は、ここにて誅せよとの仰せです。誠に残念ではありますが、御最期のご用意、願います。」
と、涙するのでした。国春が、
「おお、そうか、ここで切るか。時成よ、松樹千年も遂には滅するが習い。まして、老少不定の我が身であるのだから、歎いても仕方無い。とは、言うものの、今こそ、多年に渡り読んできたお経を、読誦するその時ぞ。」
と言うと、時成は、
「お心静に、読誦して下さい。」
と答えるのでした。国春は、声をあげて、
「有り難や。大慈大悲は薩埵の悲願。願わくば、無縁の慈悲を垂れ、補陀落世界へ、救い取らせ下さい。臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊(りんぎょうよくじゅじゅう ねんぴーかんのんりき とうじんだんだんね)。」
と唱えると、
「さあ、早く首、切れ。」
と、言うのでした。時成は、道理に詰められ、心の内で
『この君を、殺したからと言って、千年も万年も生きられるわけでも無し。この国春殿を物に例えてみるならば、深山の奥に咲く遅桜。梢の花は散り失せて、枝にひとつ残った花が、嵐を来のを待つ様なものだ。ええ、明日は、どうとでもなれ、命をお助けいたそう。』
と思い切るのでした。時成は、国春殿を引き立てて、
「国春殿。どうぞお聞き下さい。私の独断で、お命、お助け致します。さあ、早く、何処へなりとも、落ち延びて下さい。」
と告げると、十町ばかり(約1キロ)の道を送り出したのでした。やがて、元の所に戻った時成は、
『この事は、いくら隠しても、隠し通せるものでは無い。兄弟に耳には入れば、憂き目に遭う事は目に見えている。最早、これまで.』
と、心を決めると、西に向かって、心静に十念して、腹十文字に掻き切って、明日の露と消えたのでした。彼の時成が心中、頼もしきとも中々、申すばかりはなかりけり

つづく

忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地①

2015年11月07日 19時05分50秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
 慶安四年(1651年)刊行のこの正本は、江戸七郎左衛門(杉山丹後掾)の作品である。この太夫は、薩摩太夫と並んで、江戸浄瑠璃の開祖と伝わっている。この正本を読んでみて
一番面白かったのは、一番最後の宣伝文句である。『この草紙、三遍読み奉れば、悪病、災難、免れ、富貴の身となる事、疑い無し』ここまで、言うのは、説経でも無かった様に思う。古浄瑠璃正本集第2(30)(安田文庫)より。
 ところで、ひとつ前の(29)は坂上田村麻呂を扱った「たむら」であった。(40)の「田村」と合わせて、期待して読み進めたが、残念なことに欠落が多く、話しを完結できないので、ここでの紹介は諦めた。尚、清水寺の縁起によると、この浄瑠璃のような話しは出ては来ないが、坂上田村麻呂が関わった話しがあるようである。

 清水の御本地①

 さて、清水寺の観音様の由来を、詳しく尋ねてみましょう。
 丹波の国の中里(京都府船井郡京丹波町中里)という所に、国広太夫という長者がおりました。宝が家中に満ちあふれて、何も不足な物はありませんでした。お子様は、48人いましたが、特に四男の国春が、菩提の道に入られたので、長者夫婦は、
「あの四郎は、親に孝行なだけでなく、菩提の道に入ったので、四郎に家督を譲って、後世を弔ってもらう。」
と、話し合うのでした。やがて、家の宝を全て、四郎国春に譲ってしまったので、兄弟は、不満百出です。兄弟の人々は、集まって、
「我等の親の宝物を、あの四郎が、全て取ってしまったぞ。きっと、親に讒奏をしたに違い無い。四郎国春を討ち殺してしまえ。」
と、罵り合うのでした。欲深い兄弟達は、
「では、早速、今夜、夜討ちを掛けよう。」
と、軍兵を繰り出して、国春の館を、取り囲むと、鬨の声を上げました。
 館の中は、突然のことに大混乱です。その中で、並河(なびか)の八郎秀直は、名乗り出でて、
「一体、何者だ。名の名乗れ。」
と呼ばわりました。兄弟の人々は、
「如何に、四郎。ようく聞け。よくも、親の前で、我々兄弟のことを讒奏したな。その遺恨を晴らす為に、攻めて来たが、兄弟のよしみによって、命だけは助けるぞ。降参して、何処へでも落ちて行け。」
と、言うのでした。国春は、これを聞いて、
「それでは、攻めて来たのは、兄弟の方々ですか。父国広殿が、私に、宝をお譲りになったのは、天の思し召しです。私が、讒奏したのではありません。なんという恐ろしい事でしょう。」
と、涙を流して訴えましたが、兄弟の人々は、容赦も無く攻め込んで来ました。なんと無残なことでしょう。国春殿の軍勢はあっという間に、壊滅してしまいました。敵わないと思った国春は、自害をしようとしましたが、踏み込んで来た敵兵に捕らえられてしまったのでした。国春殿の心の内の無念さは、申し上げようもありません。

つづく