清水の御本地③
時成と別れた国春殿は、夢の様な心地で、どことも知らない山中を落ち延びました。
《以下道行き:山陰道(国道9号)》
不思議に命、助かりて
今は、齢(よわい)も亀山(亀山城:京都府亀岡市荒塚町)の
万年も経ぬらんと
老の山(大枝山:大江山:大井山・・・亀岡市)を打ち越えて
駒を早めて、沓掛(左京区)
樫の木腹(樫原(かたぎはら)左京区)はこれとかや
月の桂の男山
向陽も照り添いて
日も陽炎の石清水
正八幡を伏し拝み
東寺、西寺、打ち過ぎて
七条朱雀権現堂
涙と共に行く程に
早、九重(都)に着き給う
ちょうど、旧暦3月の半ばの頃です。特に清水寺の辺りは桜の花が咲き乱れています。四条や五条の橋の上は、花見に行く浮かれた人々で、ごった返していますが、国春殿は、昔を思い出して、涙ぐむばかりです。とある大きな館の棟門の前で、国春殿は、腰をおろしてひと休みをすることにしました。すると、一人の男が近付いて来ました。国春殿をつくづくと眺めていた男は、『どうもこの人は、ただ者ではないようだ。』と思い、声を掛けてみることにしました。
「もしもし、そこの御方。あなた様は、どちらの御方ですか。お見受け致します所、由緒おありの方のようですが・・・。」
国春は、これを聞くと、
「はい、私は、遠国の者ですが、奉公先で、嫉みを受けて、流浪の身となりました。都へ流れて来ましたが、知る人も無く、頼る先もありません。一樹の陰に寄り、一河の流れを汲むのも、多生の縁と申します。どうか、憐れみ下さい。」
と訴えるのでした。その男は、これを聞くと
「おお、それは、お気の毒な事です。この館は、洞院殿のお屋敷ですが、大変、慈悲深い御方です。私が、取り次いであげましょう。どうぞ、ご安心して、そこで暫くお待ち下さい。」
と言い残すと、門内へと入って行きました。やがて、男は、洞院殿に、門外に佇む男の事を取り次ぎました。すると洞院殿は、その話に興味を持ち、国春殿を招き入れたのでした。国春殿の話しを聞いた洞院殿は、国春殿を召し抱えることにしました。洞院殿は、
「今日より、お前の名前を、真如(しんにょ)と名付ける。明朝からは、蔀(しとみ)、遣戸(やりど)の開け閉て、昼には物の具の掃除、夕べになれば、馬たちの湯洗いをせよ。よいか真如。」
と、命じました。それからというもの洞院殿は、片時も真如を離さず、
「真如、真如。」
と可愛がりました。真如は、大変忙しい毎日を過ごすことになりましたが、少しの暇を見つけては、観音経を転読するのでした。やがて、不思議な事に、五百人で行うような沢山の仕事を、たった一人でこなすことができるようになり、聞く人見る人を、驚かすようになったのでした。
そんな或る日のことでした。一日の仕事を終えて、いつもの寝室に戻って来た真如は、その部屋の戸を開いて、びっくりしました。そこには、黄金の門があり、白銀の築地や黄金の築地が連なり、庭には、黄金の砂が敷き詰められているのでした。辺りを見回すと、三十六の宮殿が建っており、水晶の柱や五条の旗鉾、七宝を巻いた柱などが見えました。あんまり見事なので、言葉も出ません。それから、真如は、宝石が散りばめられた階段を上がってみました。そこには、十六七の姫君が座っておられました。姫君は、『翡翠の簪(かんざし)乱れ髪、丹花の唇、柔和の姿』と、まあ、辺りも輝くばかりの美しさです。さらに、その姫君の声は、迦陵頻伽(かりょうびんが)の如く華麗でした。
「そこに、いらっしゃったのは、真如殿ですか。私は、あなた様が日頃、祈願されている補陀落世界より参った者です。あなたの妻となるために、ここまでやって来ました。さあ、こちらへお入り下さい。」
姫君は、そう言うと、真如の手を取って、玉の台(うてな)へと誘うと、これまた宝玉で飾られた瓔珞(ようらく)をさげるのでした。すると、沢山の天人達が現われて、真如殿の前に畏まり、額づくのでした。真如は、余りの事に、ただ呆然とするばかりです。しかし、やがて、姫君と真如殿は、比翼連理の語らいをされ、深く結ばれるのでした。
或る日の夕暮れの事でした。真如は、南面の縁側に出て、四方の景色を眺めました。峰の白雪は、斑消えて、谷の早蕨(さわらび)が萌え出ずる春の景色です。松の枝には、孔雀や鳳凰が囀り、妙法蓮花の花が、美しく咲いています。ここでは、四季の折々を、目の前で愛でることができました。万木千草の四季を、一日で見ることができたのです。その上、百味の飲食(おんきき)が空から降ってきます。それを食べてみれば、甘露のように美味で、心が和らぎます。そうして、自分の姿も、輝くばかりになります。これこそ、極楽浄土というべきでしょう。今や、真如殿のお姿は、光明赫奕と輝くばかりです。頼もしいとも中々、申し様もありません。
つづく