古浄瑠璃正本集第1(7)は、「やしま」である。(寛永16年:1639年板)女太夫である六字南無右衛門の唯一の正本である点で面白いが、「屋島」又は「八島」と言いながら、ようやく義経が奥州から出兵したと思ったら、三河矢作の宿まで来て、「浄瑠璃姫は何故来ないの。」で終わっているので、がっくりする。尚一段目は、都から奥州秀衡を頼って行く、お決まりの「道行き」である等、面白味に欠ける。
古浄瑠璃正本集第1(8)は、「こ大ぶ」とある。(寛永18年五月山本久兵衛板)これは、「小大夫」(こたゆう)と読んで良いのだろう。謡曲「甘楽大夫」(かんらたゆう)を下敷きにしている。残念なことに、四段目から六段目までの下巻しか現存しないが、これは、中々面白い話である。前段の流れを、謡曲(新謡曲百番:佐々木信綱 M45年)から抜いておく。
甘楽大夫
浮き雲掛かる月に風。月に風。待たるる風ぞ待たるる。是は上野国、甘楽の郡、多々良の城。甘楽の大夫、朝正郷(ともまさきょう)の御台所や二人の公達。小太郎殿、亀若殿にて御座候。某は、甘楽譜代の侍、安綱(やすつな)と申す者にて候。扨も朝正郷は、去年の秋、下野国、足利の住人、荒間の兵衛景信(あれまのひょうえかげのぶ)に遺恨の子細候て、謀り生け捕られ給い候えしを、長沢の源蔵が預かり申し。牢舎なされ候に付き、御台所、公達は落人となり、この碓井の山深く分け入り、忍びて御座候
こ大ぶ下巻 4段目 (1)
さて、景信の追っ手の軍勢を、有重(ありしげ)が食い止めている其の隙に、主従四人の人々は、辛くも落ち延びましたが、無残にも、有重は討ち死にしたのでした。人々は、涙ながらに、ようやく碓氷峠まで逃げ延びて来ました。
安綱は、碓井峠の山中に、柴の庵を建て、御台所や公達を住まわせました。安綱は甲斐甲斐しく働きました。昼間は、人目を憚り、夜になると、山を巡って薪を集め、又谷に降りて水汲みをするのでした。こうした日々がしばらく続きましたが、ある時安綱は、御台様に、
「何時までも、ここでこうして居る訳には行きません。私は、先ず下野に行き、何とか計略を図って、お殿様を牢より助け出したいと思います。」
と、涙ながらに言うのでした。御台所は、これを聞いて、
「ええ、無理なことを言うのではない。安綱殿。甘楽家の重臣として、あなたの顔を知らない者はありませんよ。それに、あなたが居なくなっては、この兄弟達を、どうやって出世させればよいのですか。どうか、そんな無謀なことはやめて下さい。」
と、引き留めるのでしたが、朝春殿(ともはる※謡曲では小太郎)は、これをお聞きになり
「母上様こそ愚かなお考えです。よくぞ言ったぞ、安綱。何とかして、父上を牢から助け出して下さい。」
と、懇願しました。幼い亀若も、
「何と、安綱は、父をお迎えに行くのですか。お国にお戻りなされても、長居をせずに、早く帰って来て下さい。」
と、言うのでした。これが、今生の別れになるかも知れないと思った安綱は、涙に咽びましたが、名残の袖を振り切って立ち上がると、下野の国へと向かったのでした。
安綱が山を下りると、働き手は朝春です。毎日薪を集め、水汲みにと、慣れない山路で、傷だらけです。それに、負けじと、亀若丸も付いて来ます。朝春は立ち止まり、
「亀若、良く聞け。このような凄まじい山奥で生活することを恨むのではないぞ。仏様もその昔、檀特山(だんどくせん)という険しい山で、辛い難行をなされて、遂には、悟りを開かれ、三界道のお釈迦様となられたのだ。さあ、早く庵に帰って、母上を慰めなさい。」
と諭しましたが、亀若は、
「そのお話に従うならば、私も難行して、父上や兄上をお守り出来る様になり、私も仏になります。兄上こそ、お帰り下さい。」
と、聞きません。朝春殿は、少し困って、
「お前が、言う事は間違ってはいないけれど、兄のした難行で弟が助かる訳ではないし、又、弟のした難行で、兄が助かることも無いのだよ。早く帰りなさい。亀若。」
と言いました。きつく言われて、亀若殿は、仕方無く庵に戻って行くのでした。朝春殿は、
「まだ年端も行かぬ内から、このような辛い目に会わせるとは・・・」
と嘆きながら、涙と共に水を汲んで、帰って行きました。ところが、その帰り道に、朝春殿は、碓氷峠の山賊どもに見つかってしまったのです。山賊駄どもは、
「このような山奥で、水汲みとは、変な奴。まあいいだろう。なんであれ、良い拾いものだ。売っぱらってやるわい。」
と言うなり、朝春殿を引っ立てたのでした。朝春殿は諦めて、
「この様に連れ去られ、売り飛ばされるのも、前世の報いだと思うので、少しも恨みはしませんが、すこしだけ時間をいただけませんか。母や弟がおりますので、お別れをさせて下さい。」
盗人どもは、これを聞くと、
「ええ、うるさい。つべこべ言うな。歩かないと、ぶったたくぞ。」
と、言って引っ立てて行くばかりです。するとそこに、兄の帰りが遅いのを心配した亀若がやってきて、この様子を見たのでした。亀若殿は、
「のうのう、人々。いったい兄上を何処に連れていくのですか。」
と、縋り付きました。夜盗の者達は、
「おお、一人でも嬉しいのに、二人に増えれば、言うこと無しだな。」
と、亀若も引っ立てて歩き始めました。朝春殿は驚いて、
「なんと、情け無い。庵に母上様がいらっしゃいますが、一人どころか、二人まで、売られてしまっては、母上は、生きては行けません。どうか、お許し下さい。」
と、流涕焦がれて泣き崩れるのでした。この様子を見ていた年寄りの夜盗は、少し可哀想になったのでしょうか、
「そんなら、お前は、許してやろう。」
と、亀若殿を、突き放しました。ところが、亀若丸は、飛びついて、
「いやいや、人々。よくご覧下さい。兄上の手足は、傷だらけで、大した価値はありませんよ。私は、年も若いので、まだまだ長く使えます。兄に替えて、私を売って下さい。」
と、訴えるのでした。朝春は、
「よいか、亀若。庵に帰れ。母上には、この事は言うなよ。兄は、谷に水汲みに行ったまま行方知れずになったと言うのだぞ。さあ、お許しのある内に、早く帰れ、亀若。」
と、説得する外ありません。夜盗達は、業を煮やして、
「ああ、うっとしい奴らだ。」
と、朝春を引っ立てて行きかけますが、亀若は更に取り付いて、
「のう、のう、人々。私に替えてください。」
と喚きます。あんまり強く悲しんで、泣いたため、とうとう亀若は、引きつけを起こして、その場にばったりと倒れてしまったのでした。朝春は、驚いて、
「ああ、弟が死んでしまいました。」
と叫んで、亀若に取り付きますが、もう既に事切れてしまったようです。朝春は夢とも弁えず、亀若に抱きついて、
「ああ、これは、夢か現か。最後まで、一緒に生きる事の出来ない、儚い憂き世だ。」
と嘆き、叫びますが、どうすることもできません。その時、夜盗の者どもは、谷に降りて水を汲んで来ると、亀若の口に水を含ませるのでした。すると、亀若は、少し息を取り戻し、うわごとの様に、
「ああ、兄上は、どこに、いらっしゃいますか。私に替えて下さい。」
と言うのでした。亀若は、また意識を失いかけましたが、夜盗が、
「なんとまあ、不憫なことか、そこまで言うのなら、二人とも許すことにしよう。」
と言うと、かっぱと跳ね起きて、
「これは、有り難い。」
と、手を合わせて拝むのでした。夜盗の者は、
「さて、そもそも、お前達は、誰の子供なのか。どうして、このような山奥に住んでいるのか。」
と聞きました。朝春殿は、名乗らないでいようと思っていたのですが、弟亀若の命を助けてくれたので、名乗ることにしました。
「私は、上野の住人、甘楽太夫朝正の子供です。」
と、朝春が名乗ると、夜盗達は、思わず立ち退いて、
「はあ、これは、何と有り難いことか。私たちも上野の国の者です。朝正様がお殿様であった頃は、民を憐れみ、我々の様な者にも、慈悲をもっての御治世でした。しかし、景信が国を横領してからは、何かにつけて駆り出され、取り立てられ、やりたくも無い山賊に手を染めるようになったのです。まったく残念なことです。今までのことは、どうぞお許し下さい。さあ、庵までお供いたしましょう。」
と、謝ると、兄弟を背負って、庵へと向かったのでした。庵に着くと、母上に事の次第を話して聞かせました。母上は、
「何と辛い目に会うのでしょう。」
と、泣くのでした。夜盗の人々は、是をみると気の毒に思って、谷に降りて水を汲んできたり、山に上がって、薪を集めたりと働いたのでした。夜盗の者達は、
「又、手伝いに来ます。」
と言い残して、山を下りて行きました。この世の中で、哀れな事と言えば、この人々のことだと、上下を問わず、憐れんだということです。兎にも角にも、この人々の心の内の哀れさは、例え様もありません。
つづく