ゆりわか大じん ⑤
藍子(あいし)の姫、大臣の御台所の身代わりに立つ事
さて一方、別府の刑部貞澄は、九州の国司を預かって、上を見ぬ鷲とばかりに傲って、
百合若大臣の北の方へ、恋文を送り続けていましたが、御台所は、手にも取らず破り捨
てておりました。別府は、無念に思っていましたが、所詮叶わぬことならば、いっそ殺
してしまえと、家来の河野の忠太を呼びつけると、こう言いました。
「如何に忠太。豊後の庁に行き、御台所を謀り、連れ出して、密かに満濃が淵へ沈めよ。」(地名不明)
これを聞いて、忠太は情けなく思いましたが、主命とあれば逆らう事も出来ず、豊後へ
と向かいましたが、なんとかならないものかと、庁屋(ちょうや)には行かずに、先ず
門脇の翁という叔父の館を密かに尋ねました。事の次第を聞いた翁は、
「これは浅ましき次第。よくぞ知らせた。ここは、なんとか知略を巡らせて助けなけれ
ばならん。」
と、しばらく考え込んでおりましたが、やがてこう言いました。
「我が子の藍子の姫は、見た目も容姿も御台所と劣らぬから、夜ならば、それと疑われ
ることもあるまい。不憫とは思うが、藍子を御台所の身代わりに立てて、御台所をお救
いいたそう。」
と、頼もしくも、只一筋に思い定めると、翁は藍子の姫の帳内(ちょうだい)に入り、
「如何に藍子の姫。御主様に一大事の難儀が起きておる。そのことについて、お前に頼
みたい事がある。庁屋におられる御台様は、お前にとっては三代相恩の御主であるよな。
その御台様を、別府殿が暗殺せよと忠太に申しつけたが、御台様は、忠太にとっても御
主であるから、わしの所へ相談に来た。さて、これにはわしも困ったが、お前を御
台所の身代わりに立て、御台様を助ける以外に方法がないと考えた。この様に言うから
と言って必ず父を恨みと思うなよ。親の身として、子に命をくれと言わなければならな
い心の内を察してくれ。藍子の姫。」
と、涙ながらに話すのでした。姫を父の話を聞いて、
「ご安心下さい、父上様。御主様の為にどうして命を惜しみましょうか。侍は戦場に出
て、互いに討たれるのも御主の為、過去世の業因が拙くて女に生まれて来ましたが、心
は、男子に劣りませぬ。今、そのように御主様の身代わりに立てることは、自らの果報です。
そうして、末代まで名を残すことが出来るのなら、心ある人々は、きっと私を羨ましく
思うことでしょう。」
と、気丈にも答えたのでした。翁はこれを聞いて、
「ああ、よくぞ言った。藍子の姫。お前がそこまで思い切るならば、父も決心したぞ。
夜になったなら、最早、最期。これより、母上に御暇乞いをしなさい。」
と、言えば、藍子の姫は、
「仰せのように、暇乞いとは思いますが、子を先立てて年寄りが後に残って、思い煩わ
ぬ親はいません。お暇乞いもせずに参りますが、これを形見として渡してください。」
と言うと、髪の毛を少し切り取って、涙と共に渡したのでした。これを受け取った翁は、
涙ながらに、
「ああ、それにしても、我が子の形見を受け取るとは、まったく逆さまの世となってしまった。
伝え聞く釈迦牟尼如来は、子供の羅睺羅尊者に密行を説き、また、孔子は、子供の鯉魚
(鯉伯魚)を先立てたとはいえ、今を陽春と輝く我が姫を先立てて、後に残って何を頼
りに生きて行くのか。ああ、恨めしい我が身じゃなあ。」
と嘆くのでした。その時、忠太は、
「御嘆きは道理ながら、それ、人間の命は電光朝露(でんこうちょうろ)、夢の幻。また
北州の千年すら今は跡形もありません。殊に人間五十年は夢現(ゆめうつつ)。時刻も
移りました。そろそろ参りましょう。」
と、声をかけました。翁は、いよいよ思い切って、
「今は、いくら嘆いても仕方ない。私も一緒に行くべきところだが、これより、庁屋へ赴き、
御台所をお慰め申すことにする。姫をよろしくお願い申す。」
と言いました。藍子の姫は、
「されば、これまでなり、父上様。必ず後世にてお待ちしております。さらば、さらば。」
と、別れを告げると、忠太に連れられて満濃が淵へと向かったのでした。
池に着くと、忠太は、小船一艘捜してきて、藍子の姫を乗せると、沖を指してこぎ出しました。
やがて、忠太は、
「只今こそ、御最期です。念仏申されよ。」
と、言いながらも、目が眩み心も消え失せんばかりです。しかし、御主のためには、
心弱くては叶わないと、念仏を唱える藍子の姫を、かっぱとばかりに突き落としたのでした。
これはさておき、壱岐の浦の漁師達は、沖の漁に出ていましたが、強い南風に吹き流
されてしまい、玄海が島に漂着したのでした。漁師達は、取りあえずこの島で一休みし
ようと、上陸しました。これを見た百合若大臣が、久しぶりに見る人影を懐かしく思っ
て近づきました。すると、漁師達は、化け物が出たと恐ろしがって逃げ回ります。大臣
は、これを見て、
「ああ、浅ましいことじゃ。我は生も変えずに鬼となってしまったのか。」
と、涙を流して悲しみました。涙をながしている大臣を見た漁師達は、やがて近づいて
来て、何者かと問いました。百合若大臣は、名乗るべきか名乗らぬべきか迷いましたが、
名乗っては恥と思い切り、
「私は、昨年、百合若大臣殿が蒙国(むこく)へ向かわれた時の水夫ですが、その時に
この島に取り残されてしまい、このような姿となってしまいました。一樹の影、一河の
流れを汲むも他生の縁とありますから、お情けに日本へ帰してくださらぬか。」
と言ったのでした。漁師達はこれを聞いて安心し、大臣を乗せて帰ることにしました。
喜んだ大臣が、潮を汲んで手水として、
「南無諸神菩薩。再び日本の地に帰してください。」
と、虚空に向かって祈誓すると、仏神三宝も、さすがにこれを不憫と思われたのでしょう。
たちまち、順風に変わると、帆柱の蝉口(せみぐち)に八大龍王が現れ、船の舳先には、
不動明王が、カンマンの二つの目を光らせ、降魔の利剣をひっさげて、守護に立たれた
のでした。さらに、艫(とも)では、広目天、増長天、伊舎那天、大光天、羅刹天、風
天、水天、火天などが、雨、風、波を沈めるためにずらりとお並びになられたのでした。
こうして、難無く三日の後には、筑紫の博多に船はお着きになり、百合若大臣は、よう
やく帰国なされたのでした。有り難きとも中々、申すばかりはなかりけり。
つづく